2019年10月24日木曜日

1835「下北・恐山1」2019.10.24

 2019年の木内鶴彦さんとの陸奥巡りでのメインイベントは9月21日から23日の青森県恐山、下北半島、八戸の旅です。木内さんと巡る旅は未知との遭遇であり、その場に訪れる事で木内さんの記憶が呼び起こされるという貴重な出逢いに立ち会える面白さ、楽しさがあります。参加くださる面々にとってもマニアックなほどにローカルエリアのポイントを巡りますので始めての所がほとんどですから興味深々です。

 青森の下北半島は日本の本州最北端の地で、辿り着くまでに距離、時間を要しますのでなかなかに訪れる機会が無い所です。木内さんも下北、恐山は未知の世界で、是非とも一度訪れてみたいと熱望されていました。今回、ようやくそのチャンスを頂けました。
 今年から木内ツアーは天命塾会員限定にしましたので仲間、気心の知れた面々だけの旅ですので、何かと都合が良いです。今回は総勢16名で全国各地から集合場所の八戸駅に22日9時半に集まりました。

 木内さんは前日20日、八戸入りしている予定でしたが、日本へ帰国する飛行機到着遅れで東京宿泊になり、当日臨時はやぶさ45号、東京6時発でお越しになりました。連休初日で予定の新幹線はやぶさ1号が満席でこの臨時のはやぶさ45号も残席1のその席をゲットして、何とそれもグランクラスのスペシャル席で木内さんも初体験の快適?な旅を満喫して来たのです。グランクラスは私も未体験ですが、恐山が木内さんを迎えるにあたり特別な配慮だったのではないか?と思った次第でした。
 木内さんは8月の時と同様に、今回もマレーシアのクアラルンプールに行って来ての帰りです。今回は第2回目の点滴療法を受診して来られたようです。札幌医大で開発された幹細胞から取った培養液を点滴で体内に入ると、免疫力を機能させるところにスイッチを入れられる、と言う夢の治療法で、未来型医療として木内さんも未来で見て来た医療の1つの様です。詳しくは当ブログの「1808「最先端技術1」2019.9.27」以降をご覧ください。
http://tenmei999.blogspot.com/2019/09/18082019927.html

 木内さんに駅でお逢いしたら元気そうです。顔の色も以前の黒ずんだ肌色が明るくなり身体も締まった様子です。免疫療法の効果かもしれません。後2回受けて完了の様ですが、楽しみな事です。
 私も同じはやぶさ45号で集合予定時間より早く到着して、レンタカーをあらかじめ手続きをして9時半前に八戸駅前に乗り着けて準備万端整えて皆さんの集合をお待ちしていました。そして駅改札に迎えに上がり、皆さん予定時間に集まり全員勢ぞろいしました。そして出発式をして2台のワンボックスカーに乗り込みました。


 天気に恵まれ最高の出だしになりました。最初の目的地は八戸市是川にある是川縄文館です。八戸市は私の生まれ故郷で高校卒業後仙台に移り住み現在に至っています。ですから地元の事は長い間不案内でしたが、この20年程の間に色々と見分を深め、青森だけでなく東北地方を尋ねる事が多くなって来ています。先ず八戸市の簡単な紹介をします。

「八戸市(歴史)概要:八戸市は古くから開けていた地域で中居遺跡(縄文時代晩期:植物性遺物)と一王寺遺跡(縄文前期-晩期:円筒土器)、堀田遺跡(縄文時代の住居跡から宋銭が見つかった為ミネルヴァ論争に発展した。)の3つの遺跡で構成されている是川遺跡では様々な出土品が発掘され中でも「腕組する土偶」や「合掌する土偶」など個性のある土偶も見ることが出来ます。
 建武元年(1334)南部師行が甲斐国から下向し根城を築くと根城南部氏として南朝の有力武将として東北地方北部に大きな影響力を与えました。南朝が衰退し南北が統一されると根城南部氏の勢力も限定的なものとなり、戦国時代には三戸南部氏に従属するようになります。
 江戸時代に入ると南部藩に属しましたが、今だ根城南部氏は半独立勢力として影響力を効しており寛永4年(1627)に遠野(岩手県遠野市)に移封となり根城は廃城となり、完全に三戸(宗家)南部氏の家臣となっています。
 八戸市周辺は南部藩直轄となり新たに八戸城の改修と城下町が整備され当地方の行政、軍事、経済の中心に位置づけられました。寛文4年(1664)、南部宗家の家督争いにより南部直房が盛岡藩から2万石が分知され八戸藩を立藩、八戸城(八戸南部氏は城持大名ではなかった為、事実上陣屋構)には藩庁と藩主居館が設けられ城下町は藩都として繁栄し今日見られる八戸市の基礎となりました。明治4年(1871)に八戸藩が廃藩になると八戸県が発足しています。」