2019年10月19日土曜日

1830「福島巨石探訪17」2019.10.19

 腹ごしらえを済ませ午後の巡りのスタートです。目指すは鮫川村大字赤坂東野にある天狗橋(巨石)です。かなりの距離の移動です。車中は皆さん心地よい眠りの時間です。

 天狗橋の駐車場に車を停めて少し山道を登り、更に渓流沿いに上流に向かいます。木々のエネルギーを頂き、渓流の自然美を愛で皆さん元気に進み、10分ほどで天狗橋に到着です。

 




渓流に掛かる巨石が見事に橋になっています。以下が紹介記事と写真です。

「天狗橋(巨石)      鮫川村大字赤坂東野字蕨ノ草地内
 その昔、天狗がかけたと言い伝えられる「天狗橋」は、長さ7.9メートル、幅4メートルの自然の石橋です。橋の周辺はイヌブナやアカシデ、コナラなどの 古木がうっそうと生い茂り、涼しい空気が漂います。また、遊歩道沿いには多くの山野草が咲き、訪れる人を楽しませてくれます。
 橋を中心とした0.87ヘクタールの地域は、昭和59年6月に福島県の緑地環境保全地域(第1種地域)※に指定されています。」

 渓流も綺麗で気持ちが良いのです。皆さん水遊びに興じて自然の凉を満喫です。そこかしこに巨石がゴロゴロしています。自然の造形美を堪能しました。









 以下の様なこの造成の解析がなされています。参考に紹介します。

<天狗橋の岩塊群>
 天狗橋周辺の岩巨石群の景観です。
 巨石が落ちてきて止まった側(右岸・東側)の対岸(左岸・西側)から見た様子です。
 下の画像は、この景観の解釈図です。この地形のでき方を順に述べると・・・・、
(1) 最初に、斜面上部で崩壊がおこり、主にマサ砂からなる崩落堆が谷底に落ちて溜まり、平面半円形の高まりを作りました。そのため川が堰き止められ、水路が手前側に迂回しました。
(2) 崩壊後、斜面の大きなコアストーンが、転落し、落ちてきて破断し、崩落堆の上に転石群として乗っかって止まりました。
(3) その後、天狗橋石下の崩落堆に、マサ砂が洗いだされて,トンネルができ、直行する水路ができて、石橋化された。その結果、迂回した水路と直行する水路の2つに分流するようになった。この経緯はこちらからは見えないので後述。
 ・・・・・ということになると思います。
(1)と(2)のイベントは、別の現象ではありますが、崩落堆の頂上に、ぴったり転石群の主体が乗っていることなどから、時間をおかず連続して発生した現象で、斜面のマサ砂崩壊の発生が、その直上のコアストーン露岩の転落を誘発したのだろうと思われます。
  
<天狗橋巨石群の平面図>
天狗橋巨石群の平面スケッチです。
 前の書き込みの画像と同じ範囲。概念略図なので細かいところは大雑把です。
 崩落堆の堰き止めにより、谷底に迂回した水路が作られた後、天狗橋他のコアストーン破断岩塊が転落してきて転石群となった後、崩落堆中央を横切る新水路ができています。これは、転石群下の崩落堆がマサ砂と岩塊からなり、スカスカで水が浸透しやすく、浸透水によりマサが流されて上流側からの水あたりの所が掘られて新水路ができたと判読されます。
 この地形は、谷斜面から、コアストーンが谷底に、崩壊あるいは転落して堆積し、谷底を埋めているタイプの巨石堆積地形ということができます。
 ありふれたよく起こる地学現象で、この巨石のある遷急区間も、この現象の積み重なりで形成された地形と言えます。珍しいと言えば、落ちてくるのが球形のコアストーン岩塊という所ぐらいでしょう。
 しかし、巨石地形としてはあまり見かけません。谷底に落ちてきても、その後の洪水や土石流で運搬されてしまうため、長期にわたって残存せず、伝説の対象になったり、名前を付けてもらえるのが、意外と少ないのかもしれません。
 私も、そんなに歩いているわけでもなく、2例だけしか例が挙がりません・・・・落下した岩塊がコアストーンでない例なら、御岳昇仙峡を始め至る所にありますが。
 1例は、まだ訪ねておりませんが、浜田氏の東北巨石番付2011年5月28日のページで紹介されていた、福島市飯坂町茂庭、茂庭湖上流の亀石地区にある亀石巨石。コアストーンが転石型の典型例ではないかと思っています。
 もう1例は、有名な栃木県足利市名草の奥ノ院巨石群で、こちらは崩壊型の典型例と思います。(つづく)