「隠津島神社 社殿裏 磐座 郡山市湖南町福良字福良山7414
隠津島神社は郡山市湖南町福良に鎮座している神社です。隠津島神社の創建は不詳ですが伝承によると貞観8年(866)に宗像大社の分霊が勧請されたのが始まりとされます。
延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載された論社として古くから信仰されていました。旧安積郡で記載されていた式内社は宇奈己呂和気神社(名神大)と飯豊和気神社、隠津島神社の3社しかなく当時から格式の高い神社として知られていました。現在式内社隠津島神社の論社は当社の他、福島県郡山市喜久田町に鎮座する隠津島神社と福島県二本松市木幡に鎮座する隠津島神社の3社があり何れも自称しています。
隠津島神社は歴代領主からも崇敬庇護され寛永年間(1624~1645年)には会津藩初代藩主保科正之が社領2万5千㎡を寄進し正徳元年(1711)に「菅明神」から旧社号に復した際、3代藩主松平正容により社殿が造営されています。宗像大社は浜辺に鎮座した辺津宮と海上の島々に鎮座した中津宮、沖津宮の3社で一体とされそれぞれ市杵嶋比賣命、多岐理比賣命、多岐都比賣命が祀られていた事から隠津島神社も宗像大社の境内配置を模し、布引山南麓の滝の傍にあった峡岩の頂と、三代にあった沼地の畔に祠を設けました。享保16年(1731)に火災により社殿が焼失し、翌年である享保17年(1732)に再建され明治22年(1889)に改築され郷社に列しています。
隠津島神社境内は菅谷地や風穴、菅滝、烏帽子岩などが点在する聖地として保護され原生林が残され多種多様な植物(約200種)や巨木も多く学術上も貴重な事から社叢約15ヘクタールが「隠津島神社本社叢」として昭和39年(1964)に福島県指定天然記念物に指定されています。又、昭和60年(1985)には「隠津島境内の原生林」として福島県緑の百景にも選定されています。祭神:市杵嶋比賣命、多岐理比賣命、多岐都比賣命。
延喜式内隠津嶋神社参拝のしおり
1、隠津嶋神社-福島県郡山市湖南町福良鎮座
1、御祭神-隠津嶋神社の御祭神は、市杵島比売命、多岐理毘売命、多岐都比売命の三女神を御祀りし、武勇武神、交通安全、商売繁昌の主護神として広く崇敬されております。
1、御由緒-隠津嶋神社は郡山市湖南町福良の南約6キロメ-トル、布引山の東麓、加護山(福良山)に在り、式内社旧安積郡三座の一座であります。
境内は杉や雑木の原生林におおわれ県の天然記念物、緑地環境保全地区、国の保健保安林に指定されて居ります。寛永年間、正之中将入部ありて後2万5千平方米余の土地寄付され、正徳元年、神職桑名尚永氏、吉田家に講じて、延喜式内社隠津嶋神社の号を復した。尚隠津嶋神社は、社前に菅の多く生する為、菅明神とも称へられ、又、同年間藩候肥後の守(正容)又家臣に命じて、神殿を新たに造営されました。
隠津嶋神社は総て福岡県の宗像三社に擬して、本社より南方約5キロメ-トル余り布引山の南麓、黒沢と伝処に瀑布の磅、峡岩の頂に小祠を営み、宗像の奥津宮に準へ早魃に雨を祈る所とした。又、本社より東4キロメ-トル余り高井原山の東麓、三代の地内字栃窪、東西約72メ-トル、南北約36メ-トル余りの処に菅の生たる沼があり、周囲に古木欝蒼として列れり栃の老樹1株、周囲約4メ-トル余りあり、ここの御社を辺津宮に準じたと伝えられております。
何時の頃よりか、布引山の祠殿は廃絶し、現在は三代に鎮座する御社と、この隠津嶋神社の御社とがあるのみでございます。
御境内-当神社の境内は数多くの原生林でおおわれ日光をさえぎり泉石幽邃にして神秘の地であります。
菅谷地-社の前に多く菅の生する所があり、往古早魃の時神職桑名氏潔斎して菅を採れば雨が必ず降ると伝えられております。
風穴-社の後なる山に風穴多くあり、夏は冷風、冬は暖風吹上ぐるにより神風岩として知られ商売繁昌のヘビ神様として信仰されております。
菅滝-(御手洗川)即菅川の源なり、高さ7メ-トル余りあり、往古より禊の場としており、又同じく雨を祈る所であります。
烏帽子岩-御本殿真後にあり当隠津嶋神社の御神岩とされてある。
天然記念物-隠津嶋神社社叢
御祭礼-隠津嶋神社の御祭礼はつぎのとおりであります。
例大祭礼-7月23日、7月24日(23日の夜は夜ごもり参拝)月次祭-毎月24日」