「見町観音堂 七戸町見町18
見町観音堂は青森県上北郡七戸町見町に境内を構えている御堂です。案内板によると
「見町観音堂は、南北朝時代の南朝方最期の忠臣、南部政光によって、長慶天皇の菩提を弔うために創建されたと伝えられています。現在の建物は、延宝4年(1676)に建てられたもので、室町時代の建築様式を伝える県内では数少ない貴重な建物で、昭和60年に青森県有形文化財の指定を受けました。堂内には、絵馬や羽子板など359点が残されており、これらは平成2年、国の重要有形民俗文化財に指定されています。」とあります。開基者である南部政光は元々、甲斐源氏の諸派で現在の山梨県南部町を本拠としていましたが、南北朝時代に南朝に属し足利尊氏と対立した為、甲斐を離れ根城(八戸市)を本拠とし、その後、七戸城に退くと多くの社寺の創建に携わっています。
見町観音堂は正しくは金鶏山長福寺と称し観光上人や遊行上人が巡礼で訪れた由緒ある寺院で奥州糠部三十三観音霊場第13番札所にも選定されていました(現在の奥州南部糠部三十三観音霊場からは選定外)。七戸地方の観音信仰の拠点として、絵馬(江戸時代中期以降185点)、羽子板(室町時代以降14点)、読経札(113点)、称名念仏札(2点)、納経札(2点)、順礼札(8点)、棟札(応永3年など14点)、その他(21点)、合計359点と膨大な資料を所有し見町観音堂が信仰の対象になっていた事が窺えます。
現在の見町観音堂の建物は木造平屋建て、宝形造、茅葺、桁行3間、梁間3間、外壁は真壁造板張素地、華美な装飾を廃した質実な意匠で青森県を代表とする近世に建てられた三間堂御堂建築として貴重な存在で昭和60年(1985)に青森県重宝に指定されています。七戸南部三十三観音霊場第3番札所(札所本尊:聖観世音菩薩・御詠歌:夜もすがら 仏の御名を 唱うれば 極楽ともに ここに見る町)。山号:金鶏山。寺号:長福寺。本尊:聖観世音菩薩。」
駐車場入り口には絵馬の里、見町農村公園の立派な絵馬の石碑があります。赤い鳥居には金鶏山と記されていて直ぐに階段になっています。この山は間口が狭く奥に細長い形状です。階段を登り杉林の中の参道を5分ほど進むと見町観音堂に到着します。
茅葺のお堂には草木が繁茂して冠を頂いている様です。ここは1676年の建立で340年程経っています。午前に訪れた八戸市の清水寺観音堂は1581年建立ですから、その後95年後です。
綺麗に整備されていて大事に守られている様子がうかがえます。八戸の清水寺観音堂と違い、山中の自然の中にあり異次元の空間を味わえます。暫し、皆さんとこの世界を堪能し、木内さんを中心に話しが弾みました。
帰りは右手に下る道があり公園に出ます。蓮の池があり散策路を駐車場に戻りました。初夏から花の見ごろの頃は見事でしょう。
「個人で奉納するための絵馬として、小型で馬などの絵が描かれて余白や裏面に祈願の内容や氏名などを書くものが、社寺で販売されている。大人数で奉納する絵馬は、大型で、画家に描かせるなどして奉納者が用意することもある。絵馬の奉納は個人的な動機による神仏への願掛けであり、かつては人に見られない時間帯を選んで行われた。また、今日のように絵馬に実名を記すことはなく、「寅歳女」のように生まれた干支と性別のみを記した。
かつて、神々は騎乗した姿で現れるとされ、神輿の登場以前は神座の移動には馬が必須と考えられた。常陸国風土記によれば、崇神天皇の代より神事の際に馬を献上する風習が始まったとされる。奈良時代の『続日本紀』には、神の乗り物としての馬、神馬(しんめ、じんめ)を奉納したと記される。一方、馬を奉納できない者は次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり、奈良時代からは板に描いた馬の絵が見られるようになった。」