巌龍神社の不動巌は遠野市小友町にあります。国道からもその巨大な不動巌が見えますが神社への参道の赤い太鼓橋から正面を見ると、さながら龍が山を登り上がる姿です。神社そのものは江戸時代に開山された巌龍山大聖寺と言われ、巌龍の名は、高くそびえる岩(巌)に龍を感じた名称のようです。この地はかつて金山で栄えたところのようです。
圧倒される巌龍を見上げ話が弾みます。
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時間も夕暮れ近くになりました。宿泊先の遠野市駅前のホテルに予定時間に到着です。今回は温泉旅館が満室で取れず、ビジネスホテルです。少し部屋で休息をして夕食は歩いて5分ほどの居酒屋さんに繰り出しました。
地元の料理を美味しく頂きました。スペシャルは地元産のホップを使ったビール、キリン一番しぼり“とれたてホップ”が美味しいのです。最後の1ケースを私たちの為に取って置いてくださいました。ありがたく全部飲みつくし、日本酒やら大分杯が進んで皆さん上機嫌です。3時間も優に過ぎてお開きです。
帰り道、頭上には綺麗なお月様が満々と充ち満ちて輝きを発しています。今日は満月のようです。喜びでホテルに戻りましたが、つわもの達はフロント前のロビーで午前を回るまで歓談しました。お陰様で私も久しぶりに楽しく頂きました。
翌朝は6時半過ぎから朝食で8時出発です。皆さん元気に集まりましたが、K嬢が極度の二日酔いでダウンです。結局、彼女はほとんどバスの中とトイレでその日は過ごすことになりましたが、さぞかし美味しい楽しい酒宴で天国と地獄を満喫できたことでしょう。もっとも酒席の隣席は私でしたが!
続石までは20分ほどです。清清しい朝の陽気を頂いて今日も快調に始りました。駐車場から15分ほど山道を登りますが良く整備されています。続石の巨石で遠野物語にも登場する有名なもので天然の自然造形とは考えにくいものです。木内さんも人工造形と言います。古代にはその技術があり、方位の測定、祭祀、通信などに活用されていた巨石文化が存在していた証のひとつと言えそうです。
案内板には以下の記載があります。
「小高い杉林のなかに、古代巨石文化がのこしたものといわれている大きな石があります。 二つならんだ石の一方の上に、幅7メートル、 奥行5メートル、厚さ2メートルほどの巨石 が笠石としてのっています。
弁慶がそばの石に笠石をのせたら、位の高い 石なのに大石の下になるとは残念と嘆いたの で、いまの石の上におきかえたという話を、 『遠野物語拾遺』第11話が伝えています。」
その遠野物語にの内容は以下です。
「綾織村山口の続石は、この頃学者のいうドルメンというものによく似ている。二つ並んだ六尺ばかりの台石の上に、幅が一間半、長さ五間もある大石が横に乗せられ、その下を鳥居のように人が通り抜けて行くことができる。武蔵坊弁慶の作ったものであるという。
昔弁慶がこの仕事をするために、いったんこの笠石を持って来て、今の泣石という別の大岩の上に乗せた。そうするとその泣石が、おれは位の高い石であるのに、一生永代他の大石の下になるのは残念だといって、一夜じゅう泣き明かした。
弁慶はそんなら他の石を台にしようと、再びその石に足を掛けて持ち運んで、今の台石の上に置いた。それゆえに続石の笠石には、弁慶の足形の窪みがある。泣石という名もその時からついた。今でも涙のように雫を垂らして、続石の脇に立っている。」
-『遠野物語拾遺 第十一話』より-
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/030_tuzukiishi/030.htm