それは、この『大祓詞』に説かれている「人の構造」が、私に訪れたインスピレーションが教えてくれた「ヒトの逆円錐モデル」と同じ構造のものであるということに気付いたのです。私の「ヒトの逆円錐モデル」は、地上世界からみたヒトの構造で、意識が上昇して、いのちの領域が拡大してゆくことが進化なんだと、人類の魂の進化の方向性を示してくれているのですが、『大祓詞』には、高天原から降下しながら、意識の質を下げ、いのちの領域を縮小しながら、ついに制限と制約の「囲い」に覆われた「人」が、地上世界に生み出されるまでの過程が描かれています。
この二者はともに、逆円錐状の「ヒトモデル」なのです。 この二者を合わせると「ひとついのち(高天原)」から出て、再び「ひとついのち」に戻るという、人類の魂の進化過程が示されることになります。
しかし、旧来の神道では、この「ひとついのち」に戻る過程が、復古主義(昔は良かった、憲法を改正せよ!天皇元首制復活!)になってしまいます。それに対して、『金平糖大作戦』という進化モデルは、Uターンではなく、前進を続けながら、再び「ひとついのち(以前のものより進化した)」に戻るというもので、こういう復古主義の呪縛に囚われる弊害はありません。
このようにして、『大祓詞』の勉強から、大敬の「ヒトの逆円錐モデル」と、人類の魂の進化モデル「金平糖大作戦」は、旧来の神道の発展形であるということが分かり、とても感激しました。
後進の「魂の探求者」の皆さんが、この方向でさらに参究を続けて下されば、きっと将来、神道は世界宗教になれるでしょう。
『大祓詞』では、「天孫降臨」とあって、これは天皇さまが地上に光臨(降臨)される際の光景なのだ、一般の人はそうでないのだとされ、また随所に、天皇さまの神聖性、天上界の神々に委託されて地上を統治することの正当性を強調するような文章が挿入されています。これらは、中臣氏が伝承してきた本来の『大祓詞』に、後ほど加えられた「魂のにごり(部族エゴ)」であると思われます。
そういう「にごり」を含みながらも、やはり『大祓詞』は素晴らしいもので、実は、私たちの本来の住まいであった高天原で、同志の人々(グループ魂、類魂などといいます)と相談し、役割を分担して地上に次々降下してゆく際の様子が描かれているのだと、私には読み取れます。
この天上界(高天原)の親神(私たちを地上世界に送り出すプロジェクトの計画、主宰者)である、カムロギ、カムロミという神名に、この逆円錐のヒトモデルが暗示的に示されています。
『コトバの原典』松下井知夫、大平圭拮(東明社)のコトダマ説をもとにして解説しておきましょう。
『カ』は、この本によると、「無から有を生じる、目に見えぬ、万象創造のポテンシャル場」なのだそうです。物理学に「ポテンシャルエネルギー」というのがあって、これは「位置エネルギー」と訳されています。
重力の場合で説明しますと、高い位置にある物体を落とすと、下に落ちるほど、どんどん速度が速くなります。つまり、運動エネルギーが増加するわけです。その運動エネルギーはどこから来たのかというと、高い位置に置かれていた物体は、潜在的にエネルギーを持っていたわけで、落ちるに従って、その位置のエネルギーが減少して、その分が運動エネルギーという、目に見えるエネルギーに変換してゆくわけです。