2つ目の内容も講演会でお話のあった大祓の内容ですので紹介します。
「カムロギ・カムロミ」
「今年の4月から全国行脚をスタートしています。私が3月いっぱいで学校を退職してフリーな立場になれたというのが、「全国行脚」をスタートしたひとつの理由です。
それと、あちらの世界にいた時、地上に降りる前に同志が集まって、「人類の魂の進化成長のために、地上世界に降りて一緒に活動しようね」と約束し、それぞれの人が果す役割を相談して決めて(神集ひに集ひたまひ、神議りに議りたまひて<以上、『大祓詞』より>)地上世界に降りてきたのに、まだ再会を果たしていない、一緒に協力して活動出来ていないという人がたくさん全国に散らばって生きていらっしゃるのです。
それで、そんな魂の同志たちと、今生で地上滞在している間に、ぜひ再会合流したいと思うのです。 そして、そんな仲間の方々とも、あちらの世界で約束したように、今生で一緒に活動できたらなんとしあわせなことでしょう。
そんな「人類の魂の進化向上を目指すムーブメント」が軌道に乗るところまでは、地上世界に留まって活動に協力してゆきたいなあと念願しています。
さて、そんな全国行脚を始めて気付いたことは、どの地方の会場でも「神道」の話をすると、とても興味を持って下さったり、質問も集中するということです。なぜそうなんでしょう?
それはこういうことではないでしょうか。神道は、日本民族が持つ「魂の根本遺伝子」です。 そして、その遺伝子は、「危機の際」に発動し、表面に現れて活動し始めます。
現在は、世界や日本にとってはなはだ「危機の際」なので、「神道遺伝子」にスイッチが入り、再び働き出そうとしているのではないでしょうか。江戸末期、黒船の到来などから始まった西欧文明との遭遇という「危機の際」にも、神道が盛んになりました。 そして、この「神道遺伝子」の発動によって、なんとかその危機を乗り切ることができたのです。「神道遺伝子」には、そういう体制変革を一気にやり遂げるエネルギーがあります。
しかし、その際に神道は国家神道にされてしまい、国家の保護は受けるが、そのために国家に奉仕するためだけの宗教になってしまいました。 自主性と独立性を失って、神道を世界宗教へと昇華させる絶好の好機を失してしまいました。
江戸末期から明治初頭における民衆宗教の誕生、たとえば黒住教や金光教、天理教、大本教などは、そのような神道の世界宗教化への試みの芽生えでしたが、それらすら国家権力からの執拗な干渉と弾圧を受けて順調な成長が阻害されてしまいました。
神道は、世界宗教(キリスト教や仏教など)に比べると、すごくシンプルで、それゆえにこそ行動力があり、パワフルでもあるのですが、理論面や精神面では、まだまだ発展途上です。
キリスト教の、横にすべての人に愛と許しの手を差し伸べ、足を運んで行こうという、民族を超えたチャリティー精神の積極性もありませんし、大乗仏教が生み出した、世界に一人でも苦しんでいる人がいるならば、私は決して仏にならず、何度も生まれ変わり地上世界にやって来て、すべての人を救済し尽くすまで決して止めないという意志を持った「菩薩」という崇高な人間像を生み出すにも到っていません。
私たちの時代は、グローバルな時代で、世界単位でものごとを考え、行動してゆかねばなりません。そんな時代なのに、再び神道を民族主義・国粋主義の旗印として掲げようという動きが現れてきているのが残念です。
第二次世界大戦前にも神道が盛んになりましたが、これは日本民族が大戦を前に一致団結して戦う総動員体制をつくるために、為政者が神道と天皇制を利用したのです。そんな民族主義、国粋主義、天皇至上主義などの弊害が神道には、まだまだこびり付いていて、それが神道を世界宗教に発展させる可能性を阻んでいます。