2016年7月29日金曜日

649「法施9」2016,7,29

 そのように、高天原という高い位置にいる魂は、まだ(地上世界的な)形にはなっていなくて定かではないのですが、なにやら潜在的なエネルギーがあるわけです。そんな「目に見えぬ、万象創造のポテンシャルな場」が『カ』のコトダマなんだというわけです。
 たとえば、夜中に耳元でブーンブーン羽音がするのだけれど、どこにいるのか定かではない虫が「蚊」ですね。なんだかハッキリしなくて、相手に質問する時は、「・・・・ですか?」と「か」を最後に付けて質問形としますね。ですから、まだ形にはなっていないが、何らかの高いエネルギーが潜んでいるようで、それが形の世界に現われようと、今や動き出さんとしている状態が、『カ』のコトダマなのです。

 次は、「カムロギ・ミ」の『ム』ですね。
 すべて、「マ行(マミムメモ)」のコトダマは、集中(中心に集まる)を表しています。
 なぜそうなのかというと、「マ」は、唇と唇を合わせて(集めて)発音する音だからです。 たとえば、「マト(的)」は、矢をそこに集める(マ)場所(ト)ですし、「マトメル(纏める)」は、一所に集めること。「マイル(参る)」は、ある中心者(たとえば神仏)に向かって進む行為、「マツリ(祭り)」は「マ(中心者である神)」に「ツル(連ツる=連帯する)」行為のことですね。
 「マ・ミ・ム・メ・モ」列の「ム(mu)」は、「ウ(u)」行にも所属し、「ウ」行は、運動・活動のコトダマです。動詞(遊ぶ、歩く、歌うなど)の語尾は、必ず「ウ」ですね。
 つまり、「カムロギ・ミ」の「ム」は、「カ」が持っていた潜在エネルギーを ズーッと下降させ、凝縮集中させていって、いのちの領域の半径をドンドン 小さくしてゆく変容過程を表しています。

 『ロ』は、「制限と制約を持った個の存在を表す」コトダマなのだそうです。「炉ロ」がその説明にぴったりで、 囲炉裏でイメージされるといいですね。
 狭い囲いの中で、生命エネルギーが凝縮されて燃え盛っています。これが、制限と制約のルールの中で、それらのルールに従いながらも、いのちを伸ばそう、進化させようとして、たくましく生きてゆく地上世界での個のいのちの状態を表しています。
 はなはだ狭い制限制約の囲いの中に閉じ込められてはいますが、高天原の「カ」のポテンシャルエネルギー(高天原の神々のエネルギー)の総量が、それぞれの人の「炉(制限制約の囲い)」の内側で激しく燃え盛って使用されるのを待っているのです。
 この『カムロ』で、逆円錐のエネルギー場が完成し、最後に、そのエネルギー場『ミ』と『キ』が注入されて、地上での肉体を持った人が姿を現わします。
 まず、『ミ』は「身」です。詳しい話は、すでにどこかでお話ししたことがあるので省きますが、私たちは三つの「身」を持っていて、それは、「宇宙身(神体=あめの 身 なかぬし)」と、「霊界身(心体=たか 身 むすび)」と、「地上身(肉体=か 身 むすび)」です。

 また、『キ』とは「気=意志」のことです。これにも三つあって、まず「根本意志」で、これは、地球次元の進化達成を必ずやり遂げるぞという意志のことです。この「根本意志」は、すべての人に共通に与えられています。次は、「役割意志」で、進化達成のために、それぞれの人に割り振られた役割遂行の意志のことです。最後は「自由意志」で、これもそれぞれの人に与えられています。
 なぜ「自由意志」が各人に与えられているのかというと、「根本意志」と「役割意志」のプログラム通りに動くだけではロボットにすぎませんね。これでは本当の意味の学びにはなりませんし、試行錯誤が許されなければ、真の意味の魂の進化にはなりません。
 失敗する自由もある、悲しんだり、怒ったりする自由もあるということが大切で、ですから「自由意志」が注入されているのです。」