雪がまだ沢山積もっています。道路に駐車して、長靴に履き替えて、人跡なき雪の雑木の中に分け入り滝を目指します。
危険ですから滝に近くの巨石には近づけません。皆さんが立ち並ぶことが出来る様に雪を足で踏み固めて準備万端整えて、滝に向かって指定の配置であわ歌を響かせました。
そこでのお言葉です。
「大いなる響きを伝え行くは、
この地の底に流れ来る、大きなる流れが、響きと一つに成り行く事なり。
この流れ、地底にて滞りてある。
響きを南へ流し行き、この地の流れも共々に成らんと致す。
響きを、響きを、響きを、流されませ。」12:03
このお言葉は、地底に滞ってある地の底を流れる大きな流れを、響きと一つにして南へ流すこと。響きと共に流し行くことです。
実は、先の今年1月7日からの奈良田・富士の巡りを行ないましたが、9日に訪れた富士河口湖町西湖、青木ヶ原樹海の竜宮洞穴がリンクしてきます。そこでのお言葉は以下でした。
※ 詳細は当ブログの「840「奈良田・富士12」2017,2,4」を参照下さい。
「うみう うみう うみう
生まれ出づりた、この時に、光となりて、昇り行き、
大きな印をこの地に立てて、集い来る来る、方々へ、送りて、
この海、軽きへとなされませ。」10:12
そしてここであわ歌を発している時に次の絵を中山さんが描かれました。最初は何を意味するのか不明でした。やがてこの絵がローマ神話に登場する「ヤーヌス」であることが判明しました。ヤーヌスについては以下の様に記されています。
「ヤーヌス(ヤヌス Janus)は、ローマ神話の出入り口と扉の神。前後2つの顔を持つのが特徴である。表現上、左右に別々の顔を持つように描く場合もある。一年の終わりと始まりの境界に位置し、1月を司る神である。
入り口の神でもあるため、物事の始まりの神でもあった。1月の守護神であるのは、1月が入り口であり、年の始まりでもあったためである。それから来て、過去と未来の間に立つという説明もする。その役割は、日本の年神によく似ているが、直接の関連性はない。
他の著名な神と異なりギリシア神話にはヤーヌスに相当する神はいない。英語で1月をいうJanuaryの語源(ヤーヌスの月)でもある。」