2017年3月28日火曜日

892「蝦夷11」2017,3,28 黒石寺

 次の目的地の黒石寺は奥州市水沢区黒石町にあります。黒石寺はあわ歌の中山博さんとは何度も訪れているところで、有名な蘇民祭の中心となる天台宗の古刹です。年代的にはアテルイと坂上田村麻呂と戦い以前に開山されていますので、ある次期までは大和朝廷側と交流があり穏やかな関係の時期があったことが伺えます。
 黒石寺に付いては以下の表記があります。

「黒石寺は、天平元年(729)行基菩薩の開山で、東光山薬師寺と称したが、延暦年間の蝦夷征伐の戦火にあい寺は焼失した。大同2年(807)飛騨(今の岐阜県)の工匠が方七間の薬師堂を再建し、嘉祥2年(849)第3代天台座主慈覚大師円仁が復興し妙見山黒石寺と改名した、天台宗の古刹である。盛事には、伽藍48宇を数えたといわれる黒石寺も、弘長元年(1261)の野火、天正18年(1590)の兵火、そして天保11年(1840)の祭火、更には明治24年(1881)と火災にあい、伽藍の一切を焼失し、現在の本堂と庫裏は、明治17年(1884)に再建されたものである。
 本尊は、薬師如来坐像で、胎内に貞観四年(862)の造像銘があり、古代東北の仏教信仰を伝える貴重な作例である。また、「黒石寺蘇民祭」は、東北地方への蘇民信仰の伝播を伺わせる祭りで、古代の姿を今に伝える貴重な民族的遺産である。」

 その蘇民祭に付いて『備後風土記』の中に蘇民信仰の逸文が残されていますので紹介します。
「北海の武塔神(たけあきのかみ)が南海の神の娘をめとろうと旅に出、途中で日が暮れた。そこに蘇民将来と巨旦将来という兄弟が住んでいた。兄の蘇民(そみん)将来は大変貧しく、弟の巨旦(こたん)将来は裕福で家や倉を百余りも持っていた。武塔神は弟に一夜の宿を借りようとしたが断られ、やむなく兄の家に泊めてもらった。兄は粟の飯でもてなした。
 後に武塔神は八人の王子と帰る途中、兄の蘇民将来の所に寄り「かっての報いをしよう。おまえの子孫がその家にいるか」と問うと、「妻と娘がいる」と答えた。 すると「茅の輪(ちのわ)」を腰に着けるよう命じた。その夜、神は蘇民と妻、娘を除いてすべてを滅ぼしてしまった。
 そして「私は須佐之男命(すさのおのみこと)なり、後の世に疫病あらば蘇民将来の子孫といい、腰に茅の輪をつける者は疫を逃れるであろう」と言った。
 武塔神・須佐之男命・牛頭天王・薬師如来は同一神仏であるという。」

 穏やかな日差しの中、参拝できました。蘇民祭の行なわれる本堂には立派な龍の彫り物がそこかしこにあります。日本の龍神様は3本指、朝鮮は4本指、中国は5本指だそうです。数が多いほど上位に位するとの事です。







 本堂には蘇民祭のポスターが張り出されています。勇壮な裸参りです。

 本堂の右側奥の階段を登ると北斗妙見信仰の妙見堂です。


ここで木内さんから2005年の熊野本宮大社での御神事、翌年の二見が浦での禊の神事の事などお聞きしました。それは木内さんが、スサノウの御魂が未来に現われて九鬼宮司の収めている「無食い祝詞」の言葉の文章を作り、封印を解除した、というお話です。詳しい事はお伝えできませんが、そこから10年間、天皇が禊に入られ、昨年の退位のお言葉に至ったことも関連がありそうだ、ということです。

 黒石寺妙見堂に祀られている妙見菩薩の解説は以下です。
「妙見尊星王や北辰菩薩ともいい北極星を神格化しその本地仏。童顔の武将仏で玄武(亀と蛇の合体した想像上の動物)に乗り、唐服を着、笏や剣を持つ。
 脇侍は北斗七星を示す北斗菩薩。道教・陰陽道の影響が強く、武運長久、国家安隠、五穀豊穣の尊神であるが、物事の真相を見極める霊力があるとされることから眼病平癒の霊力を持つといわれる。平氏、源氏の妙見信仰には篤いものがあった。」
「北辰と言えば北辰妙見で、天御中主尊に繋がり、北極星(北辰)を神格化したもので、仏教でいう北辰菩薩、妙見、天王とみなす信仰です。この「天王」が牛頭天王(=素戔嗚尊)とされるから、妙見社に素戔嗚尊が祀られることも多い。」

 違う切り口で参考になりますので、以下のものも紹介しておきます
「天智天皇や持統天皇が大和朝廷を確立しようとした頃、アラハバキ神や瀬織津姫などの縄文神を封殺しようとしたのと同時に、古来からの縄文人やスサノオ、ニギハヤヒ、出雲族を抹殺しようとし、また、いわゆるスキタイ(騎馬民族)系など源氏系統の人々を関東以北まで追い払っていきました。
 後に大和朝廷と闘うアテルイたち蝦夷(エミシ)や、源頼朝などの関東武士(武士のルーツはアテルイです)たちにも妙見信仰がありました。
 幕末の戊辰戦争で敗れた旧幕府軍である新撰組の土方歳三や榎本武揚たちも、開陽丸に北斗七星の旗を掲げていました。
 新撰組が甲斐甲府城に憧れたのも関係があります。
 空海、修験道、武士…これらに密接に関わる北辰妙見信仰とは、とてもとても簡潔に説明することは不可能どころか、未だ様々な方が研究されており、何冊も本が書けるテーマですが、そこはオイラ、妙見研究家ではありませんので、バサッと結論を言います。

北辰の辰=ヘビ=竜=艮の金神
北辰妙見菩薩=弁財天=瀬織津姫=アラハバキ
艮の金神=アラハバキ=宇賀神=宇宙根元神
実にシンプルじゃないですか!

 元々、北極星・北斗七星信仰とは、宇宙根元神信仰なのですから、渡来人政権である大和朝廷にまつろわない縄文の系譜や、その人々と調和していたユダヤ、スキタイ系統の人々は、名前は変われど同じ神を信仰していたことになるのですね。
 いや、神と言うと誤解が生じる可能性がありますので、真理・法則と言いかえることができます。
 それを縄文アミニズムとも言います。
 人は宇宙根元神の分御霊(わけみたま)でありますので、私=神。
 また、神は万物に偏在しますので、山にも草木にも、動物にも等しく神を見出すことが出来る訳ですね。
 つまり、私はあなたであり、あなたは私であり、私はウリ坊であり、ウリ坊はあなたでもあると。」(縄文アラハバキが世界を変える)

 黒石寺、妙見信仰について以前のブログで記載しています。長文ですが参考にして下さい。
「自分で自分を自分する」322「日高見5」2014,6,28