次の目的地は栗原郡金成町津久毛小迫にある小迫観音・白山神社です。この小迫観音も坂上田村麻呂所縁に奥州七観音の1つです。
白山神社の御祭神は、菊理比咩神、伊邪那岐神、伊邪那美神です。以下の様な記載があります。
「その境内の小高い丘に白山神社が祀られており、境内の中ほどに「観音堂」が鎮座している。この神仏は分離されず今も一体である。白山社の社伝には、神亀元年(724)創建で、田村麻呂東征のとき、ここに営所を作り、戦勝祈願のため観音堂を建立したとある。「営所」すなわち営岡(たむらがおか)として、田村麻呂あるいは源頼義・義家が陣を構えたという伝承を持つ地名は、この近くに数多くある。
「白山神社」の境内のほぼ中央にある「観音堂」は、閉ざされたままで中を見ることができない。ここも箟嶽や牧山と同じく、神仏が習合し、伝説が幾重にも塗り込められた複合体である。この神社には社務所がない。山門を少しくだったところに、「楽峰山勝大寺」があり、この寺が今も別当を務めている。明治の神仏分離令で、一旦分離されたものが、再びその前の姿に戻っているのである。
そして、この寺の檀徒を中心とする保存会の人たちによって「白山神社」の祭りが行われる。その祭りは小迫祭りと呼ばれ、その時に奉納される「延年の舞」は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。かつては、七日間に及ぶ祭礼行事であったが、現在は毎年四月第一日曜日に行われる。簡略化されているとはいえ、主要な行事は受け継がれ、前日の土曜日の夜から始まる祭りは、五穀豊穣を祈る神事と、「白山神社」の前庭で神前に奉納する芸能「延年の舞」は、祭りの核として残されている。
佐藤信要は封内名蹟志で、この様子を詳しく説明している。現在演じられる「延年の舞」は、これと同じ内容である。「延年の舞」は六段で構成されていて、その三段目にある「入振舞」は、「田村舞」ともいわれている長刀の舞である。田村麻呂伝説の名残ではあるが、ここでは長刀を持ち、笛の曲に合わせて優雅に演じられる。
神社の鳥居をくぐると、無骨で大きな山門があり、仁王像があるべきところは部屋らしく設えられていた。かつては「延年の舞」を上演する際の楽屋として使われていたといわれる。今は、「勝大寺」の境内に新しい楽屋が建てられている。」
http://www001.upp.so-net.ne.jp/densetutanbo/tamuramaro/obasama.htm
大きな鳥居を過ぎて参道を進むと、広い境内を右手山の上に白山神社、その階段の登り口の左手に大きな観音堂があります。堂の中は見えず参拝して白山神社に向かいました。
曇りで今にも雨が降り出しそうですが、無事に参拝出来ました。この地も古からの聖地、要所だったのでしょう。
次の目的地は一関市釣山の田村神社・釣山公園です。国道4号線を北上し、県境を越えて道を下り市街地に入るころに雨が降り始めました。段々と雨の勢いが増して来ます。田村神社近くまで来た時には更に強い雨になりました。木内さんとも相談して、予定の2箇所はキャンセルして宿へ向かうことにしました。
今日の宿は一関市厳美町の厳美渓温泉いつくし園です。15時半にチェックインです。宿に着く頃には先ほどの大雨が嘘のように上がり、太陽が顔を出して来ました。これもありがたき神仕組みでしょうか。宿のロビーには大きな雛飾りが飾られて私達を迎えてくれています。
お陰様で木内さんにはゆっくり休んで頂けます。皆さんもゆっくり温泉を堪能して小休憩できました。夕食は豪華な料理を美味しく頂け、2次会は長野のMさん手作りの漬物を頂き遅くまで木内さんのお話を拝聴しました。木内さんは確実に元気になり、体力も回復してきています。話し始めたら止まらない感じで、嬉しき、楽しき時間を過ごせました。