2017年3月21日火曜日

885「蝦夷4」2017,3,21 荒脛巾神社

 大崎市岩出山町栗字荒脛巾にある荒脛巾神社(あらはばき)です。町名が荒脛巾ですからこの地では大事に祀られ、産土神として信仰されているのでしょう。
 鳴子へ向かう国道47号線を上野目駅近くの立体交差から左手に折れて下ると田んぼの中にぽつんと鎮座しています。道路から参道が続き、何とも淋しげな佇まいです。




道路脇に案内板があり以下の様に記載されています。         
「祭 神:
 祖神として天、地、水の三神を基とし、日輪(日、月星)を父なる神、万物を育む地、水(山海)を母なる神とする。
 自然信仰で、二千年に及んで鎮座する産土(うぶすな)神であります。
由 来:
 古代先住民(荒吐族(あらばき)・荒脛巾族(あらはばき)の祖神、守護神として祀ったもので、ある文献によると、古代の東北、関東の地に六百余社数え、平安期のアラハバキ系中心王侯は南部衣川、安倍氏が後裔と言われる前九年の役後、改神或いは合祀の憂目(うきめ)に逢い、現在県内に残る荒脛巾社は当社他数社のご鎮座が見られます。
※憂目=悲しいこと・つらいこと
祭杞年:
 定かではないが、アラハバキ族の王城の地を西暦前に米山町朝来(あさご)に、また西暦後多賀城へそして古川市宮沢(302年)に移したとあるこれを証とすればこの何れかの時代に、この地に一族集団が安住を求め守護神として祈ったものとして祀ったものと推定される。
御霊験:
 永い間の信仰体験から何時とは無く「みずいぼ」の神と呼ばれ最もあらたかであります。また「目、耳、鼻」の神、また諸願、成就の「産土神」として二千年に及び鎮座し、今なお崇敬者が絶えないあらたかな神であります。

例祭日=旧九月二十九日」

 祭神が自然信仰の大元で、二千年に及んで鎮座する産土(うぶすな)神とあります。大和朝廷の神々を祀ることなくここに在り、信仰されてきているとは驚きです。しかし、元初の大神が今は、みずいぼの神と呼ばれ、些かみすぼらしき風は否めません。


 神社の後ろに回り小さな祠、石塔、鉄の鳥居などあります。そこで急に木内さんにある映像が見えてきたようで、木の根元を指差してその様子を語り始めました。
「紫色の丸い光りの玉が出てきた。アメジストかもしれない。アラハバキの王家の魂が出てきて、とても高貴な存在だ。共和国を治めていたアラハバキで、王様の様で、いい男だ。髪を後ろで纏め、黒い帽子の様なもので頭を巻いている。麻と綿をよった着物を着ている。遮光器土偶の様なだぶんとしたもので、上は柔道着みたいな白っぽい厚手のもの。鹿の角で、ボタンの様に紐で結んで留めるもの。靴は皮を加工して結わえている。
 ここは地元の人が後で祀ったものだ。木の根の下の抱えるように紫水晶がある。1m50cm位の深さに埋めた。その上に御神木が植わっている。
 紫水晶がアラハバキの魂で、それを宝物として、占いに使っていた。祭事にも使用していた。その水晶は20cm位の紫水晶で、ここは大切な処だ。アラハバキの御魂を収めた処だ。」

 何とも驚きのお言葉です。木内さんも最近ではこのような霊視は珍しく、本人もこのように見えたのは久しぶりだ、と言っていました。果たして真偽は如何なものでしょうか。興味深深でいずれもう少し深く探求することに成りそうです。