木内さんもその同じ場所に立つと同様にシャッターが自動に切れるのです。何とも不思議な現象に木内さんも首をひねっています。一体何が起きているのか分かりません。
映像の緑色の模様は龍神様のようにも見えます。左上の辺りに円い物が写っていて龍の目の様でもあります。
映像の緑色の模様は龍神様のようにも見えます。左上の辺りに円い物が写っていて龍の目の様でもあります。
この聖域は磁場の何らかの変調がありそうです。
次の目的地は加美町麓山にある飯豊神社(いいとよ)です。以下の表記があります。
「宮城県加美町にある。鳴瀬川に沿って走る347号線が161号線(鳥屋崎小野田線)と合流するあたりから南下し、石神橋を越えると、当社の社務所がある。
社務所の正面に、参道入口の鳥居。鳥居をくぐり、緩やかな坂道の参道を登ると、境内入口の鳥居が立っている。赤い手水舎横の階段を登ると、石碑などが並んだ場所があり、右折して、さらに階段を登ると境内。境内の奥に社殿があり、拝殿の後方に本殿がある。
創祀年代は不詳。一説には、文武天皇慶雲二年(705)、巨瀬麿の代、豊宇気比売命を奉祀したという。
元明天皇和銅二年(709)、巨瀬麿が再び征東将軍となり、当国に来て後は盛んに祭事を行ったという。
聖武天皇天平九年(737)、大野東人が当郡より出羽国最上郡玉野に至る道路を開発し、社殿を造営したという。当初は、社殿を持たず、大石を御神体として祀ったため、通称は、石神様(いしがみさま)。
後伏見天皇正安二年(1300)、小野田朝日城主内海左京太夫長重が宮殿を再建した。
当社の奥宮は、色麻町小栗山山頂の船形神社らしい。一般には、当社は式内社・飯豊神社に比定されているが、式内社・賀美石神社とする資料もある。
本殿の右手に境内社の祠が一つ。境内右手には、中央で割れた石が祀られていた。これが御神体の大石だろうか。資料には五尺とあるから、やや小さいので違うかもしれない。
社殿の屋根には、引両紋が付けられていたが、拝殿前の賽銭箱には、洲浜の紋が描かれていた。どちらが神紋なのだろうか、両方とも神紋なのだろうかは不明。」
「境内には、坂上田村麻呂が植えたとも、源頼朝が植えたともいわれている、周囲約6メートルのスギ(杉)の老木があり、御神木として祀られている。」
と言う記載もありました。
車を社務所前において参道を上り、程なく鳥居があり階段です。左手に湧き水が岩から出ています。階段を上り本殿前に出ると、右手に巨大な杉があり。更に奥に御神体の大石が木の囲いの中にあります。石は割れて重なるような感じですが大きさは差ほどではありません。