2017年3月18日土曜日

882「蝦夷1」2017,3,18 大亀山森林公園、鹿島天足別神社

 3月4日から5日は木内鶴彦さんと巡る、「蝦夷・アラハバキ・アテルイの旅」です。昨年12月に巡った「陸奥の光と陰を辿る旅」で最後に訪れたアテルイの里であり大和朝廷に支配された胆沢の資料館を見学して、木内さんはこの内容は違う、と言葉を発しました。そして、もう少しアテルイやアラハバキの蝦夷の世界を深めたい、という事で今回の巡りの開催に至りました。案内には以下の様にその趣旨を書いています。

「陸奥は縄文の頃から栄えた地で、蝦夷たちはアラハバキ神を信仰し豊かに暮らしていました。その陸奥は大和朝廷の征夷大将軍坂上田村麻呂と蝦夷の長アテルイの戦いでついに大和朝廷の支配が及ぶことになりました。今回はアラハバキとアテルイに焦点を当て陸奥の深奥を探る盛り沢山な貴重な旅です。」
 
 4日朝7時に仙台駅に集合して総勢10名で出発です。今回は木内さん以外の参加者を9名に限定して、10人乗りのハイエースをレンタルしての旅です。車はかなり大きくて、ゆったりして広く、荷物も後ろに置けて、座り心地も良く、すこぶる快適です。運転手は私が勤めました。

 最初の目的地は富谷市大亀にある大亀山森林公園、鹿島天足別神社(かしまあまたりわけ)です。朝早いので大亀山森林公園駐車場には誰も居ません。道路脇に鳥居があり直ぐに階段です。大きな石を積み上げた階段で苔むした感じです。
 6年前の東日本大震災の時にこの大亀山、及び神社は被害があり、道路に亀裂が走り、階段が崩れ、鳥居から上はロープで立ち入り禁止でした。今は階段も整えられ問題なく参拝できます。しかし階段の石は不揃いで少し難儀で、200段ほどでしょうか、息を切らせてどうにか上りました。木内さんも難なく上がることが出来ました。毎日7キロほどのウオーキングで身体を鍛えている成果が見えます。





 本殿の左脇には大きな巨石、亀岩が鎮座していて、直ぐに目に付きます。
「亀石は、縦横ともに3.8m、1.9mという亀のような形をした巨大な岩。社殿の東側にあり、神社の別名「大亀神社」や地名の「大亀」は、この岩に由来すると言われる。」
 この亀岩は先の地震で移動してしまい、かつての様に亀の形には少し見えない状態です。

 神社は西暦800年代にはこの地に鎮座していたと推定されていて、御祭神は經津主命、武甕槌命です。以下の記載がありました。
「勧請年月日は不明ですが、坂上田村麿が黒川郡に進出した際に勧請したという言い伝えがあります。昔は、大亀大明神、岩下明神と称されていましたが、明治のはじめに、現社名に復しました。明治42年に、近隣の神明社・吹上社を合祀しましたが、「舊神祠記」では、当社を式内・石神山精神社とし、この吹上社を、式内・鹿嶋天足別神社としています。
 社名の天足別神とは鹿島神の子孫とされていますが、この神の名は御祭神として残っていません。明治期に御祭神の差し替えはあちこちであったと聞いていますが、この神はマイナーとはいえ鹿島神の末裔、差し替えの必要性は感じられません。一体如何なる理由でこの様な状況になってしまったのか? とても疑問が残りました。」

 この表記によると坂上田村麿が関わりがありそうです。
 神社前には樹齢が500~600年と推定される宮城県指定の天然記念物アカガシの古木が生育していて、一際目を引きます。




 神社から右手へ進むと巨石が道路のそこかしこにあります。程なく展望台のタワーがあります。階段の入り口に118mの表示があります。皆さんで階段を上り、最上部の展望所で360度の眺望を満喫しました。西に船形山、七つ森、南西には蔵王が遠く見えます。
 この展望所の高さは138mで、タワーは20mの高さです。138mの高さは実は「十三八」富谷市の名からこの高さを決めているようです。
 下りは山道をショートカットして駐車場への最短ルートで戻りました。