「岩部山、南陽市と上山市の境に奇岩怪石に三十三観音が彫られている。
南陽市にある岩部山(標高506m)の南面の岩に彫られた33体の観音像(磨崖仏)が存在する。この観音像は天保年間に凶作のために乱れた人心と世の中を救おうと地元の松林寺の16代の和尚であった金毛和尚が彫りあげたもので、西国三十三所の巡礼時に写した像が元となっている。
観音像を掘ることとなる発端は岩部山のそばで老石工が一心に石を彫っているのを金毛和尚が見たのがきっかけであり、その翌日より雲水となって国々を歩き渡っている。以前凶作による村人の憎しみを仏の慈悲で消そうと説いて廻ったが効果はなかったという。」
巨石近くの駐車場から巨石、観音巡りの散策コースがあります。中山さんは路上から眺めてここはこれで良いでしょうという事になりました。
次の目的地は高畠町二井宿観音岩の大洞山慶昌寺境内にある観音岩です。こちらも観音霊場です。国道113号線を東に向かいます。
観音岩の説明です。
「二井宿大洞山慶昌寺境内にあり、露出した凝灰岩の風水飾作用或は、崩岩など、種々な奇観を呈し、多数の岩に、三十三観音、及、十三仏を祀る。
又自然洞窟(内、評定岩、最も大なり)より縄文~弥生の土器、石器、貝殻、骨角器等の出土がある。
また線彫としては日本でも有数の大きさの延命観音への参拝者も多い。
大同年間(806年~)、徳一上人が地方布教のおり、当山に立ち寄り、夢枕に観音像が現れたので自ら千手観音を刻みまつったのが三十三観音のうちの一番観音像で、これが観音岩のはじまりといわれている。当山の慶昌寺は、天正元年(1573年)の開山と伝えられて、この西国三十三観音を中心に十三仏、延命観音、千畳敷などを結ぶ岩巡りコースや、蛭沢湖までの遊歩道も整備されている。」
観音岩には誰もいません。以前ここを訪れた時に熊の声を聞いて退散した事がありました。散策路を登り、程よい巨石、くぐり岩の前であわ歌を響かせました。
森閑とした自然の中で果たして如何なる存在が感応しているのでしょうか。植物、動物、鉱物、気体、液体、森羅万象に発する人としての響き、振動です。言葉は通じなくてもその振動に込められる情報は明らかに伝達されているように思います。一番伝わりにくい存在が人間なのかも知れません。そんな思いに駆られる精妙な空気に満ち満ちている場です。今回の巡りで果たしてここが最後のあわ歌の響きあいになりました。
その時のお言葉です。
「あー(拍手)
努め来たるこの泡沫の地は真へと参り行き、
全てを変わる時 迎えまする。
長き時をありがたき。
その来る時、全ての方々、等しく受けて、等しく発し、
大いなる真と一つと成り行く。
その時、皆々無しと成り、新たなる響きにて現わるる。
大いなる嬉しきなり。」15:04
「この泡沫の地は真へと参り行き、大いなる真と一つと成り行く。
その時、皆々無しと成り、新たなる響きにて現わるる。大いなる嬉しきなり。」
この言葉に全てが含まれているようです。
この巡りも終盤です。最後の目的地、同じ町内にある小湯山・大師岩へ向かいます。