2017年10月31日火曜日

1109「鬼門15」2017,10,31

 次の目的地は同じ南陽市の岩部山天狗岩です。鬼面石から10分弱でその全容が見えます。岩部山の山中に巨石が沢山あるのです。以下の様に紹介されています。

「岩部山、南陽市と上山市の境に奇岩怪石に三十三観音が彫られている。
 南陽市にある岩部山(標高506m)の南面の岩に彫られた33体の観音像(磨崖仏)が存在する。この観音像は天保年間に凶作のために乱れた人心と世の中を救おうと地元の松林寺の16代の和尚であった金毛和尚が彫りあげたもので、西国三十三所の巡礼時に写した像が元となっている。
 観音像を掘ることとなる発端は岩部山のそばで老石工が一心に石を彫っているのを金毛和尚が見たのがきっかけであり、その翌日より雲水となって国々を歩き渡っている。以前凶作による村人の憎しみを仏の慈悲で消そうと説いて廻ったが効果はなかったという。」

 巨石近くの駐車場から巨石、観音巡りの散策コースがあります。中山さんは路上から眺めてここはこれで良いでしょうという事になりました。



 次の目的地は高畠町二井宿観音岩の大洞山慶昌寺境内にある観音岩です。こちらも観音霊場です。国道113号線を東に向かいます。
観音岩の説明です。
「二井宿大洞山慶昌寺境内にあり、露出した凝灰岩の風水飾作用或は、崩岩など、種々な奇観を呈し、多数の岩に、三十三観音、及、十三仏を祀る。
 又自然洞窟(内、評定岩、最も大なり)より縄文~弥生の土器、石器、貝殻、骨角器等の出土がある。
 また線彫としては日本でも有数の大きさの延命観音への参拝者も多い。
 大同年間(806年~)、徳一上人が地方布教のおり、当山に立ち寄り、夢枕に観音像が現れたので自ら千手観音を刻みまつったのが三十三観音のうちの一番観音像で、これが観音岩のはじまりといわれている。当山の慶昌寺は、天正元年(1573年)の開山と伝えられて、この西国三十三観音を中心に十三仏、延命観音、千畳敷などを結ぶ岩巡りコースや、蛭沢湖までの遊歩道も整備されている。」
 
 観音岩には誰もいません。以前ここを訪れた時に熊の声を聞いて退散した事がありました。散策路を登り、程よい巨石、くぐり岩の前であわ歌を響かせました。


 


 森閑とした自然の中で果たして如何なる存在が感応しているのでしょうか。植物、動物、鉱物、気体、液体、森羅万象に発する人としての響き、振動です。言葉は通じなくてもその振動に込められる情報は明らかに伝達されているように思います。一番伝わりにくい存在が人間なのかも知れません。そんな思いに駆られる精妙な空気に満ち満ちている場です。今回の巡りで果たしてここが最後のあわ歌の響きあいになりました。
 その時のお言葉です。
「あー(拍手)
 努め来たるこの泡沫の地は真へと参り行き、
 全てを変わる時 迎えまする。
 長き時をありがたき。
 その来る時、全ての方々、等しく受けて、等しく発し、
 大いなる真と一つと成り行く。
 その時、皆々無しと成り、新たなる響きにて現わるる。
 大いなる嬉しきなり。」15:04

「この泡沫の地は真へと参り行き、大いなる真と一つと成り行く。
 その時、皆々無しと成り、新たなる響きにて現わるる。大いなる嬉しきなり。」
 この言葉に全てが含まれているようです。





 この巡りも終盤です。最後の目的地、同じ町内にある小湯山・大師岩へ向かいます。

2017年10月30日月曜日

1108「鬼門14」2017,10,30

  113号線を東に進み、目的地は南陽市の烏帽子山八幡宮です。南陽市内の小高い丘、桜の名所の烏帽子山公園の中にあります。烏帽子石が有名ですが、以下の様に紹介されています。

「烏帽子山八幡宮の創建は寛治7年(1093)に源義家の弟である加茂義綱が祠を建立した事が始まりとされています。
 境内には烏帽子石と呼ばれる巨石があり、古来から赤湯七石に数えられ信仰の対象になっていたと思われます。中世に入ると山岳信仰とも関係が深くなり烏帽子石には梵字や年号などが刻み込まれています。烏帽子石は高さ約3m、重量10数トン、石には板碑と思われる彫り込みが7箇所あり中には天文6年(1537)の銘が読み取れる事から少なくともこれ以前のものと思われます。元文から明和年間(1736~1771)に編纂された古文書「米府鹿の子」によると「塩釜明神より慈覚大師の方へ使の神来り問答終り塩釜に帰らんとする時 えぼしを置きたる石なり」とあります。烏帽子石は民俗学的に貴重な事から昭和43年(1968)に南陽市指定文化財に指定されています。
 又、参道にある石造大鳥居は継ぎ目がない1本の石から切り出されたもので同形式のものとしては日本で1番大きいとされています。大鳥居は明治35年(1902)から明治36年(1903)にかけて製作したもので石工吉田善之助と建師市川良次が中心となり、当時の赤湯の住民の多くが携わったとされます。材質は烏帽子山八幡宮の境内背後から切り出した凝灰石で総高10.75m、笠石12.7m、柱心間7.65m、平成14年(2002)に南陽市指定文化財に指定されています。祭神:應神天皇、菅原道眞、鳴雷神。」

 巨大な鳥居を見て烏帽子岩を見学しました。ここも特にあわ歌を響かせる事も無く、参拝、見学だけです。






昼食は直ぐ近くのお蕎麦屋さんで、ここで時間調整がうまい具合に出来ました。
 そば処よしだやで二色蕎麦を頂きました。この日午前は大波石で十分という感じです。ゆっくり寛ぎモードで美味しい新蕎麦、野菜に大満足です。





 午後の最初は南陽市の鬼面石です。民話に次のような話が伝えられています。
「「鬼面石」のある山には大蛇が棲んでおり、金山地区からの登り口は「竜の口」とも呼ばれていた。大蛇は時に大雨を降らし、土砂を流して村を埋めたといわれ、「蟒み沢(おかばみさわ)」として恐れられていた(因みに、「蟒」は普通、「うわばみ」と読んで、大蛇を意味する。東北地方では「おかばみ」という大蛇がいて、一説には手足がある蛇だともいう。)。「鬼面石」は「唐戸石」とも呼ばれていたが、そこには「隠れ座頭」という仙人が住んでいて、七日盆の日には向かいの山まで綱を張って忍術の道具や装束などを虫干ししたりしていた。この日には村人も決してこの山に近づかなかった。
 しかし、仙人も、「蟒み沢」の大蛇が暴れるのに堪り兼ね、金縛りの術で大蛇を押さえつけようとした。大蛇も大雨を降らせるなどして抵抗したが、ついに仙人の術が勝って、大蛇は小さな白蛇に変えられ、川樋地区の諏訪明神の使いにされてしまった。以来、川樋の諏訪明神は雨乞いの神として信仰されるようになった。」というもの。
 しかし現地の案内板には以下の様にあります。
「「鬼面石」には大きな洞穴があり、そこに鬼が棲んでいた。鬼は、ここを通る旅人を襲って金品を奪うので、人々から恐れられていた。鬼は、七日盆の日に、奪った着物を岩と岩の間に渡した竿に干したが、それを見た者は長者になるとも盲目になるともいわれた。」

 道路から見上げるとその巨石が目に入ります。目のある顔のような巨石です。





あわ歌無しで中山さんのお言葉だけ頂きました。
「お~ (拍手)
 お出ましなされよ(拍手)
 わの仲間なり。伝えを広める。(拍手)
 するするり お~。遥かな西より巡り来る。
 大波くれぐれご注意なされよ。
 その後、激しき事ごとなり。
 皆々写すぞ。(拍手)
 あい分りたり。承知。」13:33
 お言葉に「西より来る大波を注意とのこと、その後は激しき事ごと」とあります。果たして如何でしょうか。


 実はここを以前下見で訪れた時にこの巨石でカモシカと遭遇したのです。鹿は神の使いでしょうか、顔を見合わせて暫し時間が止まって咄嗟に写真を撮りました。その時の写真です。




2017年10月29日日曜日

1107「鬼門13」2017,10,29

 充実感に満たされて次の目的地へ向かいます。次は山形県小国町にある大宮子易両神社 です。胎内の町を抜けて田んぼ道の国道を北に向かうと、なんと右手に巨大な日輪が見えるではありませんか。大いなる存在が呼応して、この大波石での響きあいへの祝福をお与え下さったようです。是までの巡りでも、行なった事へ承認のメッセージとして、虹た瑞光、日輪等の自然現象でその意を伝えてくださるのです。嬉しき、ありがたき、喜びの時間です。
 車を止めて思い思いに陣取り撮影に興じました。



 この写真はO、Tさんが撮影したもので不思議な波紋、大波が出ています。


 国道113号線を東に進み、荒川に沿って荒川峡、赤芝峡の名勝地を通ります。紅葉の時には赤芝峡は全山が赤芝のように赤く染まるのです。以前訪れた時にその景色を堪能しましたが美しい自然のハーモニーです。
 小国町に入り大宮子易両(おおみやこやすりょう)神社 に到着です。1300年の歴史がある羽前の国 一ノ宮です。以下の様な紹介があります。
「当神社は和銅5年(712年)遠江の国周知郡から勧請した神社で、大宮神社は大巳貴命を、子易神社は国常立尊、高皇霊尊、神皇産霊尊及び木花咲姫命を祀っている。
 安産、子授かり、子育ての神として有名。」





「国道113号線から小国役場前に入り、1km程進むと、男石女石がある羽前一ノ宮大宮子易両神社に着く。
 男石は境内の駐車場の直ぐ傍にある。石に囲われた男石が眼に入る。此処に持って来られ飾られたものであろう。近くに、「大宮和合宮」という建物があるが、その中に見事な女石が別の男石とともに鎮座されられている。リアルな男石が露骨であるが、(・・・・別に露骨に飾った訳でもなく、ものが露骨に見えるだけなのだが・・・・)ちなみに、何故か、男石は金丸太郎、女石は種沢花子という名前がついている。」





 境内をのんびりと散策しました。まずもってこの様な山国にこの様な由緒ある羽前一ノ宮の神社が鎮座しているのか不思議です。大宮和合宮ではリアルな巨石を目の当りにしましたが、何時の世も子孫繁栄、子宝に恵まれる事が一番の願いだったのでしょう。
 ここはあわ歌を響かせることなく参拝、見学で次の目的地に向かいました。

2017年10月28日土曜日

1106「鬼門12」2017,10,28

 そしていよいよ「夏井の大波石」と対面です。巨大な波石が輝いています。不思議な存在感があります。見つめていると頭がくらくらする感じもあります。何ともいえない異様な情報を、エネルギーを発しています。それにしてもほんの100メートルほどの間にこの様な波石が散らばっているのも不思議です。このような波石がまだまだ土の中に隠されているのでしょうか。





 丁度、朝日が光りを燦燦と降り注ぎ、又微妙な変化を感じます。皆さん暫し、大波石の観察、写真撮影やら周囲の見学です。







 そしていよいよ巨石に向かってあわ歌を響かせました。最初、中山さんが口上でしょうか、お言葉を発し、それから皆さんであわ歌を歌いました。しかし、私には中山さんお一人で響かせた方が良かったのではと思いました。
 響かせている最中、後ろに気配を感じて振り向くと、キジバトでしょうか、道を数羽が横切って行くではありませんか。写真を撮りましたがかろうじて鳥を確認出来ます。あわ歌の響きに自然界の生き物は反応し、集まってくるのでしょう。熊さんも来ていたよ、と誰かが言っていましたが果たして?です。






 その時のお言葉です。
「あ~ 大切なるこの時を持ちたり。
 それぞれのその身を全て委ねて、
 からから からりこ かん からり。
 無しと致して、響きをその身に。
あわ歌
 あ~あ~あ~
 ふつふつと湧き出でる、この生みだすを、
 長きにわたりてここに現し来たり。
 是よりの時に、始めて新たへ向かう、大いなる巡りと成りた。
 思いを始めて、開きて、伝えて、結び行きて、拡げれば、
 更なるこの地が現れ出でる。
 一人づつが皆々と繋がりて、この地球を覆いたれば、
 見事なる地と成り行くなり。
 それぞ見事なる嬉しきなれば、互いに一つと成りませ。
 深き波は大きく押し寄せ来る。
 それぞれの真、しっかり据えて、受けられませ。(拍手)
 さんさんさん さらり さらさら さんた さるら」9:38


 新しきへ向かう皆さんへの課題を示されたようです。ここで大きな仕事を終えたようです。珍しく中山さんは大きなワクワク感、達成感を抱かれたようです。その高揚感の中に浸り、ここで今回の巡りの主たる目的が達成出来たような感じすらします。