2020年6月20日土曜日

2073「時事時局17」2020.6.20

質問:今日のようなお話をされている動画などで見ていて、私はしっくりくるのですが、周りの人と話をしていると、みんなポカンとしています。こういう変わり目というものを、突然みんながわかるようになるのか、徐々にわかるようになるのか、どうなのでしょうか。

藤原:良いお話ですね。今から約25年前、私が今のように独立したのは1993年なのですね。だからもう27年ぐらいやっているのですよ。私は、アメリカの金融を辞めたときに、間違いなく金融は潰れると確信していました。中で見ていたから。「これは必ず潰れる、アメリカも潰れて日本も潰れる」と、私は見てわかっていましたから、いろいろな人たちに言っていました。しかしね、誰も信用していませんでした。「おぉ、元気なことを言うね」とかね、あとで潰れた会社の役員とかに言われたこともありますよ。「あなたの会社の話をしているんだけれどな」と思っていましたけれど。「うーん、若いのに元気があって良い」とか褒めてもらったこともありますよ。ほとんど信用しませんでした。
 それから、みんながハッとしたのは、やっぱり山一証券の倒産だよね。山一の倒産は、本当の素人さんでもみんな行列を作りましたね、東京でも。あれから、みんな黙っちゃった。ところがその後にすぐ追っかけて来たのが、製造業をはじめとした金融以外の会社の大リストラだったのですよ。他人事だと思っていたら、自分の会社がなくなるとかの大リストラで、そのまま混乱に入っていっちゃったのですよ。
 あのときは、何回かありましてね。1990年から株の暴落が始まったわけ。一番賢かった人は、1989年の段階で売り抜けていました。ゴルフ場でも不動産でも。大正解。これは、ほんのわずかにいました。ですから、暴落前に売り抜けた人たちがほんのわずかにいたのです。そこから、1990年に暴落したときに、ほとんどの人たちが黙って見ていました、株についてね。39,000円台から半年で32,000円台になったのです。ここで、たくさん買った人たちがいたのです。一番損した人です。一番損したのは、39,000円から32,000円台になって、「もうこれは買い場」なんて言って、買った人たちが一番損したのです。そのまま2万円台前半まで突っ込んじゃったのです。パーです。あれで潰れた会社が結構あったのです。法人でも結構それがあったのです。
 それから、その後1992年に14,000円まで行ったのです。そのときは、パニックが広がっていました。政府も銀行も。「潰れる。潰れる。」とみんなパニックを起こしていました。そのときのパニックを救ったのが、大蔵省だったのです。年金資金投入です。年金の資金の管理は、当時大蔵省がやっていて、年金の資金で株を買い上げたのです。これでみんなが「助かった」と思ったのです。
 ですから、それ以来現在に至るまで、1992年から28年間、ほとんどの日本の株式投資家は、株価は政府が支えるものだと信じて疑っていない、信仰があるのです。信仰のある人は、なかなか救われません。「政府が必ず救ってくれる。アメリカが救ってくれる」と思っている人は、今に至るまで救われないから、暴落があるたびに損をしています。1992年の段階で、見切った人も中にはいました。だから、私もそうですけれども、もう辞めちゃって出てきました。「日本の会社にいたって同じ。アメリカも酷いし、日本も酷い」と、ですから私は1993年に辞めましたよね。あの頃に出た人も結構いました。そのときは、まだみんなはおかしいと思っていないから、随分と楽に自由にできました。まだパニックではないから。
 それから、今度は1995年ですよ。1995年には、小さな銀行が潰れ始めるのです。それから、阪神大震災が起きましたよね。あれで雰囲気も一変に悪くなったわけ。これは元に戻らないのではないかと。1985年の段階で、株や不動産やバブルが元に戻らないと判断して、あそこで売り切った人は助かりました。1995年が、たぶん最後でした。1995年で全部売り切っちゃって、頭を切り替えて、古い商売をやめて立て直しをした人たちは、だいたいその次、暴落した後のチャンスにちゃんと巡り会えましたね。
 ですから、1995年が最後でしたね。そこで踏ん切りがつかない人たちは、1997年にもういきなり金融津波に押し流されてしまったのです。金融津波に押し流されて、大混乱になっちゃったのです。ところが、1997年の段階で次を考えていた人たちもいたのです。不動産なんかは、1997年までに暴落に次ぐ暴落で、下がっても下がっても誰も買い手がつかなかったのです。1997年の山一證券が潰れた大混乱の頃に、当時の私の事務所は渋谷にありましたが、渋谷駅のセンター街の入口のところに、ワシントン靴屋があって売りに出したのですよ。いつものことなら、誰も買い手がないまま暴落するはずが、あのワシントン靴屋が、確かケンタッキーとマクドナルドとあともう1・2社ですね、外食チェーンがキャッシュで買いに来たのですよ。それで、パッと売れたのですよ。
 渋谷にいて、「あ、売れた」という話を見聞きしていて、「あぁ、不動産は大底を打った」と思いました。ですから、片一方で一番最後までわからない人たちが金融津波で流されるその瞬間に、次を見ていた人たちが、パッと買いに来たのです。あれが不動産の大底で、そこから東京の不動産が上がっていったのです。そんな感じなのです。
 したがって、周りが何も言わないことは、まだチャンスなのです。言い出したら大変です。本当にいい出してからの1997年以降は大変だったのです。職安には人が溢れちゃって、どこへ行ったって採用はしてもらえないしさ、もうみんなが大混乱で。要するに、自信を失っていった人たちもたくさんいたのね。