2015年12月12日土曜日

533「好日一如11」2015,12,12

 今回の巡りもいよいよ終盤を迎えてきました。午後の日差しが眩しいほどです。バスの車中では心身が満たされて睡魔に襲われ、幸せなひと時を皆さんお過ごしです。
 次の目的地は大崎市内から鳴子方面に向かい、岩出山町下一栗字荒脛巾にある荒脛(アラハバキ)神社です。国道の高架を下って直ぐのところを左に曲がると田んぼの中に、ぽつねんと佇む社があります。何ともうら寂しい、荒涼とした景色です。





 御縁起には以下のように記されてあります。

「祭神:祖神として天、地、水の三神を基とし、日輪(日、月、星)を父なる神、万物を育む地、水(山海)を母なる神とする。自然信仰で、二千年に及んで鎮座する産土(うぶすな)神であります。
 由来:古代先住民(荒吐族(あらばき)・荒脛巾族(あらはばき)の祖神、守護神として祀ったもので、ある文献によると、古代の東北、関東の地に六百余社数え、平安期のアラハバキ系中心王侯は南部衣川、安倍氏が後裔と言われる前九年の役後、改神或いは合祀の憂目(うきめ)に逢い、現在県内に残る荒脛巾社は当社他数社のご鎮座が見られます。
 祭杞年:定かではないが、アラハバキ族の王城の地を西暦前に米山町朝来(あさご)に、また西暦後多賀城へそして古川市宮沢(302年)に移したとあるこれを証とすればこの何れかの時代に、この地に一族集団が安住を求め守護神として祈ったものとして祀ったものと推定される。
 御霊験:永い間の信仰体験から何時とは無く「みずいぼ」の神と呼ばれ最もあらたかであります。また「目、耳、鼻」の神、また諸願、成就の「産土神」として二千年に及び鎮座し、今なお崇敬者が絶えないあらたかな神であります。
例祭日:旧九月二十九日」

 ずばり祭神を祖神の天、地、水の三神を基に、日輪(日、月、星)を父なる神とし、万物を育む地、水(山海)を母なる神とする自然信仰で、二千年に及んで鎮座する産土(うぶすな)神とあります。これが将に古代先住民、アラハバキの祖神です。記紀に見られる大和の神が登場する前の信仰です。このアラハバキの神を信仰する民をアラハバキ族といい、縄文の頃は日本各所にその信仰、精神が息づいていたのでしょう。
 社の後ろにある小さな鉄の鳥居のイワクラが何か意味ありげです。

 次は東北自動車道の長者原SA近くにある宮沢遺跡です。この遺跡は高速道路の建築工事に出現した古代遺跡で、奈良時代もしくは平安時代に用いられた官衙もしくは城柵の跡とされているもので、古代城柵としては最大級で国の史跡に指定されています。
「大崎平野の北縁にある長岡丘陵と呼ばれる丘陵地帯にあり、その規模は東西1400m・南北850mにも及ぶ。周囲は築地・土塁・溝などで囲まれており、その内側には掘立柱建物や竪穴式住居の跡などが確認されている他、土師器・須恵器や鏃を含む鉄製の道具、砥石などが出土している。」







 高速道路からも見える桜の名所で、公園として整備されています。この丘に登り南を見渡すと、舟形山、七つ森、大崎平野が一望に出来る素晴らしいところです。何が無くてもこの見晴らしは心を豊にする天地の気を頂ける、嬉しい感じがします。私たちテンメイの大和農場も遥か向こうの七つ森の中にあります。

 今回の巡りのラストワンになりました。岩手県奥州市衣川区石神99にある磐神社(いわ)に向かいます。この地は安倍の館跡が近くにあって、将にアラハバキ族の本拠地だったところです。そして大和王権と蝦夷の戦さの場でもありました。住所の石神はこの神社からのようです。
 御祭神は伊邪那岐命で創祀年代は不詳。式内社・磐神社に比定される古社で、安倍氏の崇敬社で荒覇吐神(アラハバキ)として祀ったようです。
 以下の記載があります。
「この神社は、「石神社」・「大石大明神」・「男石大明神」とも称し、延喜式内奥州一百社の内で胆沢七社の一つとされ、古代より崇拝された神である。松山寺境内の女石神社と合わせた陰陽の二神で日本武尊、稲葉姫命をまつるとされ、二社に分かれるが当社が本社となっている。ご神体は東西10.2m、南北8.8m高さ4.2mの自然石で古来社殿は設けないならわしであったが、明治4年には上衣川村の村社となり、明治30年頃、近郷の氏子の強い要望による寄付金で拝殿が建築された。なお、当社のすぐ右前方には安部館があり、安倍氏は当社を守護神(荒覇吐神)として尊崇し、磐井以南に威を振う拠点をこの地に形成したと伝えられる。」











 田んぼの中にこじんまりと林々に囲まれて神社があります。拝殿後方に巨石がありこれが御神体です。どこかから運び込まれたものではなさそうですが周囲に他に巨石は見当たりません。夕暮れが迫りますが、初めての方は巨石の威容に驚かれています。石を神と崇め、この御神体を通して大自然の大元の神々と通じあい、縄文のころから信仰されていたのでしょう。将にアラハバキ大神の存在をそこに見るようです。往時をしのび観ると、かつてはこの巨石のみであり、その周りで穏やかに明るく祭り事がなされ、アラハバキの民が崇敬する中心として大事にされていたのです。皆さんも何とも言えない、想像しがたい世界に遭遇した感じです。そして全てを終えてバスに乗り込みました。時刻は16時30分丁度です。バスが出発すると間もなく夕闇に世界は覆われてしまいました。

 12月6日は仙台市営地下鉄東西線が開通し、師走の仙台の恒例行事の光のページェントも開幕です。既にある仙台地下鉄南北線とで仙台駅を交点とするグランドクロス、十字系が完成しました。それを祝して市内中心部の定禅寺通りの街路樹に光を発しての目出度き儀式がなされていました。そしてその同じ時に、私たちのアラハバキの巡りも木内さんは無形存在として同行していただきながら、初期の目的を達することが出来ました。巡り合わせのタイミングですがこれも何かの計らい、意味が託されてあるように思います。
 縄文から弥生、大和王権の成立の中で、この陸奥の地で繰り広げられた物語はそこかしこに残り、そこにチャネリング出来る存在は情報を交換できるのでしょう。そして今回、参加してくださった14名の方々の意識の中に古の日本の民族としての精神が脈々と息づいているようです。
 善き日に集い、古と今を繋ぎ、これから如何に、生かされてある自分を活かし、この世でしか出来ない一如をなすかこれからの楽しみです。時、所、人、そして物語、大いなる存在と共に織り成すいちのページェントです。
 バスも交通渋滞を予測して別路を選びましたが順調に進み、丁度、県庁、市役所付近を通過しましたので光のページェントも車中から観られて幸運でした。そして仙台駅には予定の18時半丁度に到着できました。最後に、この様に全ては計らいの中で執り行われた証を頂きました。有形無形の縁者の皆様に感謝です。
 お陰様で、全て丁度良く、天のお許しの基、好日一如の巡りを終えることが出来ました。