2015年12月2日水曜日

518「真の事5」2015,12,2

 神人は小さい頃から、一線を越える訓練をさせられていました。実際に干されて孤立するのですが、その都度、天に感謝できるのです。そして人間の特性を良く見てきました。多くは、自らが危うくなると手のひらを返すことをしますが、それは魔物のやり方です。孤立化させ、奴隷化させるのです。それが喜び、というのが魔物の性質です。
 魔物はこれまでそれを堂々とやっているのです。そして皆、それに屈して行くのです。個の世のトップが悪魔霊団です。是まで時々、そこと戦ってきて勝てないで潰されて来ているのです。
 しかし是からは、それが終わりに向かっているのです。悪魔霊団が移動して来ています。内部告発され、経済がごちゃごちゃし、人とのいざこざが起きて来ます。それは、新しい家を建てる時、古い歪んだ家を誰かによって壊されていく。それを悲しい、悔しいと思うか、これで新しいものが出来ると喜ぶか。と同じことです。それは設計図を持っている人と、持っていない人の差です。設計図は未来のビジョンです。それを楽しみに見て行けるかどうかで、それを選べるか、です。

 淘汰だ、天変地異だと、言われ、自害し、戦いをして潰れて行くことが起きます。それは神の操作であり、自然が神です。実は、悪魔も神によって存在させられているのです。その悪魔を改心させる時、神より生かされていることを理解させ、教育するのです。それが出来る大人の人をどれだけ増やせるかです。それを勇気を持ってするのです。是までは難しかったのですが、今、これからサポートが入るので大丈夫です。守護霊、指導霊、その他の霊が入って来て、流れが変わって来ています。この1ヶ月、良い流れです。神人も変わって来ています。

 仙台はいつも新しいこと始まるところです。今回も浄音ライブで、病い治しが出来ました。今日も何も決めずに講演をしています。おそらく、これも共通しているのは、参加している人も今日を境に変わって行くし、行けるということです。皆さんはそのきっかけに来ているのです。
 神人も、この街、仙台は要だと思います。歴史を見てもそうです。新しいもの受け入れ、新しいものが始まって行くところが仙台です。そこで生きる人がそれぞれの分野で、その役割があります。大きく変えていく為に、賢く、ずる賢く行く事です。相手がずる賢いので、時期を見計らい、準備をして進めていくことです。いざ、決めたら同士が集まり、サポートしてくれます。

 神人の生い立ちを中心に話してみます。青森県の八戸市で生まれ、青森県の南部地方、津軽地方を転々としました。父親が教員だったので転勤です。その行く先々で遺跡がありました。田舎者で都会に憧れていました。ですから田舎を誇り、嬉しいと思わずに田舎を出ました。今、40歳半ばに成り、今世の目的で、青森に生まれたことを理解出来ました。そのことは大切な事です。東北は凄いところで、歴史を知れば知るほど、その意味を理解出来てきました。
 全てに意味があります。出逢い、起こる現象にも必要だから、その意味があります。自問自答するとその答えは、必要だからです。どう必要かと考えてみる。どう今の私に必要なのか。すると、どう思い、どう行動するか、が解かってきます。
 まず肯定してしまうこと。そして、だから今起きている、と。次に進む為に、進化、成長の為にその経験が必要だということです。自分だけでなく家族、友達にも当てはまります。そう考えると解決できます。
 霊存在と会話出来る事は特技です。それを利用し、喜びを得ようとしたのです。科学的、物的証拠は無いのですが、自分が納得出来るかどうかです。世の中で当たり前と言う物を、自分のフィルターを通して考えてみるので。そして、それを楽しんでみるのです。
 右脳的生き方、左脳的生き方があります。左脳は大事で、統計的で目安になるのですが、全てはそれが答えではないです。右脳は動物的、本能、直感的なものですが、答えになるものがあるので、右脳を、自分の感覚を信じます。指導霊、守護霊に尋ねる対話が神人には成立するのです。それは一人芝居ではないです。人の思考は本来そうなっていて、誰でもが守護霊、指導霊がいて、対話出来るのです。

 座禅、瞑想は素晴らしいのですが、雑念が湧き、他の霊も関与してきます。そこでは意図して悪事を企てるものも入ってくるのです。それを外していく訓練が必要です。3次元的に情報が氾濫しているので、それを外して守護霊、指導霊と繋がり、直感、ひらめきを強く感じられる様にすることです。そこを見極めることです。自分との対話を日々して行くのです。どういう形でも良いので、集中しやすい環境を自分で選択します。スタイルもどれがリラックス出来るのか。眠ってしまっては記憶が残らないので、眠らない、ギリギリでするのです。ですから座禅法、瞑想法は大事です。
 自分のリーダーと対話をするのです。呼びかけていくのです。そこでどういうひらめき、直感が返って来るか。繰り返していると、どんどん鋭くなってきます。そうすると悩むことが少なくなります。瞬間で答えが返って来るのです。これが右脳的生き方です。
 左脳的なものは説得力になるのですが、感覚的なものの方が自分を信じられるのです。訓練していくことです。修行するだけでなく、どこでも自由に集中できることが大事です。その環境を自分で考えて、作るのです。
 自分を磨く意識を持って、高めるにはどうするか。自問自答の時間を設けることです。それを習慣化すると良いです。自由にすることで、ねばならず、にならない様にして、宗教的な儀式に囚われずにすることです。