2017年9月4日月曜日

1052「玄気1」2017,9,4

 8月18日は久しぶりのあわ歌会でした。前回は3月31日でしたので4ヶ月半ぶりです。しかしその間、6月30日から7月2日に掛けて鞍馬・三河の巡りで中山博さんとご一緒でしたのでお会いするのは1ヶ月半ぶりです。

 ほぼ毎回あわ歌会は金曜日の午後の開催になりますので、私は13時からのカルチャー教室で真向法体操の指導をしてから参加しますので15時からになります。
 会場の天命舎に入ると、なんと室内にテントが張られているではありませんか。えっ!と言う感じです。中に一人仰向けに寝て、頭の方に中山さんが座ってあわ歌を響かせていました。


 どうやら、中山さんが会場に着いた時に、先日、我が社のスタッフが使用したテントを乾かすのに広げて張っていたのです。それを見た中山さんがこのまま歌会に使おうということになったのでした。一瞬、あわ歌会用に中山さんが持参した最新バージョンのあわ歌拝受の仕掛けかと思った次第ですが。臨機応変に上手い具合に仕掛けられているようです。


 中山さんのあわ歌の響きはまた一段と進み、変化が著しいのが聞いていて分ります。程なくして私の順番がきました。テントに入って仰向けに寝て拝受しました。歌の響きは頭頂から全身を巡り全身が波打つ、振動を感じます。意識は薄れ、異次元に誘われ、睡眠に入ります。終わってみればあっという間、浦島太郎状態です。リセットされた様です。
 その時頂いたお言葉です。
「巡り来る来る、巡りて参る。 
 巡りた先に現われ出でて、その又広き地知らせて参る。
 嬉しき事なり。
 進みは大きく是よりを示す。
 只ただの広がりを、その身のものとなされませ。」


 嬉しきことです。新たを知りえて、広がり進む、喜びの体現です。差し当たり明日からの陸奥の玄気を発する旅が楽しみです。

 私の前に拝受したTさんのお言葉です。
「遊べ、遊べ、遊びて遊べ。
 この写し世に在るは遊び。
 するする するりこ すんたるらりあ
 響きに乗り行き、その身を浮かせ
 たらりろ らりと
 浮かせて遊ぶ 大いなる嬉しき。」
(絵がありますが8月20日の事のようです)


 Kさんの拝受後のお言葉です。
「写りて参る、多くの響き。
 生み出だされるは、ここにある思い。
 皆みな出で来て、流れて消え去る。
 泡沫のこの地、さあさあ その身の真
 嬉しき出だされませ。」

 今回、初めてあわ歌を拝受した方が3名下りましたが、それぞれに腑に落ちる内容だったようです。求める真の己が必要とする振動が発せられ、何層かに覆われる我なる夾雑物を取り除くのでしょうか。己であって己でない己の視点の変容です。身体は素直に反応しているようですが、頭は、思考は翻訳できません。あっ!そうか!の瞬間が全ての開きに繋がります。己の必要、必須を感じて実践、体感して歩む楽しみです。それを選択出来るかは今の己次第です。確実に進んで行ける方々のようです。是からが楽しみです。

 あわ歌唱和会が引き続き開催されました。中山さんのあわ歌は、正調であり変調なので各自が思い思いに響かせますが、中々面白い響き合いでした。



 明日からの巡りに向けてのお言葉のようです。絵も何を表しているのか興味深深です。

「あ 新たへと踏み行く始め。元なるを訪ねて この印を納め、流して参られ。」
 

 1度歌い終わって中山さんはおしまいにと思われたようですが、リクエストでもう1度響かせました。その時のお言葉です。
「さすれば、皆々大いなるを見る。
 是よりの灯 響きと共なり。 
(大きな岩、立石の絵か)
 参られませ。」



 この絵の立石は明日から巡る地の巨大な石の様です。私にはあそこかもと思い当たる場所が浮かびました。いつもながら、中山さんには時空間を越えた情報がもたらせるようです。それが導きの徴、印なのでしょう。

 その後の食事会も楽しく話が弾み、杯も進み、嬉しき、楽しき、喜びのひと時はあっという間に過ぎてお開きになりました。