2017年9月25日月曜日

1073「シャーマン11」2017,9,25

 3日朝は素晴らしい天気に恵まれました。台風は遥か東方に過ぎ去り今日1日は好天に恵まれるようです。朝風呂を頂き、朝食は7時です。朝食も精進料理と普通食に別れますが、半バイキングでそれなりに工夫していて美味しく頂けました。
 この不二やホテルは是までも天命塾では何度も利用していますが、毎回皆さんに好評を頂いています。こじんまりした旅館ですが和風の豪華さ、おしゃれな雰囲気がさりげなく落ち着くのです。お風呂も露天も素晴らしく私もお気に入りの宿です。
 玄関ロビー脇にはギャラリールーム「夢見館」があります。売店でも皆さんお土産を沢山買っていましたが、元気に清清しい出発に成りました。



 8時過ぎにバスは発車して一路、岩手県岩手町の浮島古墳に向かいます。途中、岩手山が綺麗に全容を現して出迎えてくれています。

 高速道路を下りて一般道路を東に進むと正面に送仙山の台形状の全貌が見えます。更にその後方に端整な姫神山が見えます。浮島古墳は送仙山の麓にあります。
 これら岩手山、送仙山、姫神山の3山に物語があります。以下は「岩手の伝説」から紹介します。
「太古、岩手山は雄神で、姫上山(1125m)を本妻とし、南の早池峰を妾としていた。しかるところ姫神は、嫉妬が激しすぎるというので、岩手山は夫婦の縁を切ってしまう。
 姫神はこれを恨み、麻をつむいだ丸緒(へそ)を、岩手山の裾野に投げつけた。これが数多くの塚になり、やがて丸緒森になった。
 また、姫神をポン出す(追い出す)とき、岩手山はオクリセンという従者をつけ、ずっと遠くへ送るよう申しつけたが、姫神はすぐ近くの真向かいに座してしまった。岩手山はこれを見て大いに怒り、命に背いたオクリセンの首を切った。この首は、岩手山の右裾に見える大きな瘤になった。
 こうしたことから、姫神山に登る人はその年は岩手山に登ってはならず、岩手山に登る人は、姫神山に登ってはならいという。もしもこの禁を破ると、必ずその者に災厄があるのだそうだ。」
 
 このように岩手山と姫神山を巡る神話には、送仙山というあまり目立たない山が登場します。岩手山の命令を受けた送仙山は姫神山が不憫で連れて行くことが出来ずに夜が明けてしまう。まだ身近に姫神山がいることに気づいた岩手山は、激怒して、送仙山の首を刎ねてしまう。だが、姫神山とよりを戻し、冷静になった岩手山は、送仙山に申しわけなく思って、切り落とした首を自分の肩に載せた。それが岩手山の東の裾野の瘤になった。と言うのです。このような古の人たちの想像力には驚かされます。霊界の存在では有り得るのかもしれませんね。

 浮島古墳は以下の様に紹介されています。
「奈良時代後期から平安時代初期に造られた土饅頭式の小円墳郡。円型船底古墳で、屈葬形式の土葬墳である。発掘調査の結果、直刀、ヤスリなどの鉄器、ガラス玉、丸玉などの副葬品が出土した。岩手県指定史跡」






 到着して古墳を見学しましたが、神人さんはお墓では演奏はしない事にしているようです。以前に他の所でそのこ主に怒られたようです。
 レイラインに関する興味深い以下の様な記載があります。
「姫神山の北西にある送仙山は、じつは姫神山と大湯環状列石を結ぶちょうどその線上に位置している。
 姫神山と送仙山との間には遮るものがなく、どちらからもその山容がはっきりとわかる。興味深いのは、送仙山の姫神山と向き合う反対側に、浮島古墳と呼ばれる奈良時代末期のものとされる墳墓や竪穴住居跡があることだ。
 さほど目立つ山ではなく、周囲の山と比して標高も高くない送仙山が、神話上、重要な役割りを果たし、麓には古代の遺跡を眠らせている。そこには、この山の持つ何か大きな意味がありそうな気がする。」