この地はせせらぎ公園として親しまれ、看板には以下の様に紹介されています。
「ここよりのぞむ、対岸にそそり立つ岩は、鏡岩と呼ばれ古くから、地域の人々の景観地として、又信仰の対象として親しまれている。
その名の由来は、言い伝えられるところによれば、月の夜に手前にある松の影が、まるで鏡に映るがごとくに岩に映しだされ、特に十五夜ともなれば、それは見事な情景が創りだされたと言われる。
その上、中腹よりやや上方には、二間~二間半ほどの長さの三日月状の筋があったともいわれる。これらのことより、この鏡岩には、鏡権現(別称月夜権現)としてまつる小さなお宮があった。
また、鏡岩より湧き出る水は、目の病等に効用があるとして、遠方からも、この水を求めて人々が来たとの言い伝えもある。」
今年の2月11日の訪れた時のお言葉は以下でした。
「あーあーあーあーーー(唄うように)
光よ光よ、この岩に注ぎて、注ぎて、限りなく。
大いなる光を、四方八方、十二方
輝き送る、大きな岩ぞ。
全てをこれより送られよ。」14:29
光りを四方八方、十二方に輝き送る大きな役割の岩です。その鏡岩に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「届かぬ願いを皆々持ち来て、多くの事、積み重ねたり。
この事、是より大きな揺らぎ持ちて、砕きて、流して消し去る事となる。
この地の揺らぎも皆々変え行き、新たへと向かう。
写したるこの地は、すさみを外し、響きと光りを大きく写し、
1つと成すは皆々様が鏡なり。」16:11
厳しきお言葉です。「すさみを外し、響きと光りを大きく写し、1つと成すは皆々様が鏡なり。」です。己が鏡を如何に成すかです。
今日の予定は全て終わり、早めにホテルに入って希望者の方にあわ歌拝受を特別にしてくださることになりました。遠野市内に入り申す直ぐホテルに到着する辺りで、中山さんが「清心尼のお墓があるようだね」とおっしゃいます。実は私もそのお墓が気になっていてお参りをお願いしようかと逡巡していたのでした。詳しくは「1054玄気32017,9,6」の紫波町佐比内にある「岩谷観世音の巨石」のところで記してありますのでご覧下さい。
急遽お墓に参ることに決まりました。5分ほどで到着出来るところです。細い道を入り到着です。
そこで中山さんからお言葉がありました。
「届かぬ長きを痛みいる。
古き、残したるこの事、この地、
是より元なる見事な気を受け、発して、
この地に大いなる力を共々注ぎましょうぞ。
踏み渡りて、遥かなる元よりの響きと成られませ。」16:58
素晴らしき清心尼の生き様、精神性が更に注目を集め、見直されこの地に更なる大きな力が注がれ、ベースと成るのではないでしょうか。 以下のサイトの記事は参考になりますので興味のある方はお目通し下さい。
「清心尼公の墓を参詣して…」
https://blogs.yahoo.co.jp/syory159sp/27257002.html