2015年12月31日木曜日

551「年の瀬6」2015,12,31

 丸池様は牛渡川の上流、箕輪鮭採捕孵化場の奥にあります。採捕場には鮭の寒風さらしでしょうか、腹を開かれイクラさんを取り出された姿で沢山吊るされて干されています。水槽には丸々とした鮭が泳いでいます。イクラの販売は終わっていて残念ながら購入出来ませんでした。



 丸池様には採捕場の駐車場から歩いて直ぐに牛渡川を渡りますが、川は清く澄んでいます。この牛渡川は鳥海山の湧水のみを水源とする川でどこまでも澄み渡り、清流の象徴の梅花藻(ばいかも)がいっぱいです。初夏には白い花を咲かせるようです。




  小さな橋を渡り、道を進むと右手の林の中に巨石が1つあり、過ぎて直ぐに左手に林の奥に丸池が現われました。その池の色はエメラルドグリーンで神秘的な世界で、その自然美に魅了されます。曇り空で今ひとつ色の輝きの冴えがありませんが素晴らしいものです。  
 丸池様には以下の様な紹介があります。
「丸池は湖面がエメラルドグリーンに輝き、神秘的な雰囲気があることから古くから「丸池様」と呼び信仰の対象になっていました。直径20m、水深3.5mの池の水は全て鳥海山からの湧水から賄われ、池自体を御神体とする丸池神社が祀られてきました。
 その事から丸池神社は鳥海山、月山を御神体として出羽国一之宮である大物忌神社摂社となり、鳥海山信仰の一翼を担う重要な史跡として国指定史跡に指定されています。
 又、境内の社叢や丸池は神域として伐採や漁労が固く禁じられてきた為、古代からの自然形態が残され遊佐町指定天然記念物に指定されています。」 
 
 池を眺めて写真を撮っている方も沢山でしたが、先に進んでいた中山さん達は丸池神社のところで楽しげに手で腿を打ち鳴らし、喜びのパフォーマンスをして早く皆さんが揃うのを待っておられました。
 その丸池神社のところであわ歌を響かせました。歌い始めると俄かに曇り空から太陽が顔を出してきらきら輝きをもたらして下さいました。その光で湖面の色の変化が素晴らしいのです。













その時のお言葉です。

「ありがたや ありがたや 共々の、皆々様方、揃いて、参りて、この響き、嬉しやな、嬉しやな。
 是よりこの地、この地球、地の中より気を出だし、しっかり皆々、繋がりて、大きなる新しきへ、変わり行く。
 全ての余分を取り除く、大きなる事、成し行くは、この響き。
 共々、共々、皆々で、参りましょうぞ。参りましょうぞ。」13:22 


 ありがたい、嬉しき、喜びのお言葉です。そして、「全ての余分を取り除く、大きなる事、成し行くは、この響き」との事です。更なるあわ歌の響きが求められています。



お陰様で、今回の巡りは目出度く、ありがたく初期の目的を達成することが出来ました。晴れ晴れとした満足感、充実感で中山さんはじめ皆さん喜びいっぱいです。丸池様の素晴らしい神秘な世界を堪能してその地を後にしました。

 少し遅い昼食は20分ほど車で南に進んだ酒田市の山間にある大松家さんです。ここも大きな古民家を改装したお店で、炭火焼の田楽のコース料理を頂きました。囲炉裏を囲んで山海の恵みの炭火焼きを楽しみました。丸池様であわ歌を歌うところは終わりで、後は観光です。中山さんも安心して熱燗を召し上がり頂き、皆さんも心満たされて美味を堪能出来ました。






 食事を頂いて外へ出ると、太陽の強烈な輝きが私たちを迎えてくれました。暫し、その光の世界に身を委ねて写真撮影に興じました。




 巡りの最後は酒田市内にある土門拳記念館です。酒田市出身のカメラ作家の土門拳さんの作品の常設館です。そこに向かう途中、これまた厚い雲の空の中に太陽の強烈な瑞光(吉兆を示すめでたい光)が下ろされています。車を止めて写真を撮らせて頂きました。






 土門拳記念館は飯森山公園の中にある、池に面した洒落た建物です。時間も16時を過ぎて夕闇が迫る中皆さんと見学しました。
「1974年 酒田市名誉市民第1号となった土門拳は、自分の全作品を郷里酒田市に贈りたいといわれた。酒田市はそれにこたえ、1983年 土門拳記念館を完成した。
 土門拳記念館は日本最初の写真専門の美術館として、また、個人の写真記念館としては世界でも唯一ものといわれ誕生した。土門拳の全作品 約7万点を収蔵し、その保存をはかりながら順次公開している。」 



 展示作品の常設の「古寺巡礼」、企画の「土門拳没後25年 ぼくの好きなもの」「筑豊のこどもたち」を観ましたが皆さん強い感動を頂いていました。
 土門拳の写真については以下の表記があります。
「実物がそこにあるから、実物をもう何度も見ているから、写真はいらないと云われる写真では、情けない。実物がそこにあっても、実物を何度見ていても、実物以上に実物であり、何度も見た以上に見せてくれる写真が、本物の写真というものである。
 写真は肉眼を越える。それは写真家個人の感覚とか、教養とかにかかわらない機械(メカニズム)というもっとも絶対的な、非情なものにかかわる。時に本質的なものをえぐり、時に瑣末的なものにかかずらおうとも、機械そのものとしては、無差別、平等なはたらきにすぎない。そこがおもしろいのである。
 写真家は、機械のうしろに、小さく小さくなっている。写真家が小さくなって、ついにゼロになることは、なかなかむずかしい。せいぜいシャッターを切るとき、あっちの方を眺めるぐらいなものだ。写真の中でも、ねらった通りにピッタリ撮れた写真は、一番つまらない。「なんて間がいいんでしょう」という写真になる。そこがむずかしいのである。」

 土門拳の古寺巡礼の冒頭に、以下の様な言葉があります。
「最初に僕の心を捉えたのは、弘仁時代の一本造の仏像だった。内部に鬱積するものを自然に流露させるに至らず、まるで怒っているみたいだ。苦渋な表情をたたえた弘仁彫刻は、それはそのまま当時は、戦争政策の進行とともに、戦争以外の全ての道を閉ざされた日本知識階級の表情とも受け取れた。」
 弘仁(こうにん)時代は坂上田村麻呂が蝦夷を平定し、亡くなったあたりで、弘仁貞観文化は詳しくは以下です。
「嵯峨天皇の弘仁年間(810年―824年)と清和天皇の貞観年間(859年―877年)をさす文化史・美術史の用語。最澄・空海による天台・真言両宗の興隆に応じて密教美術が栄え神秘性の濃い仏画・仏像が制作された。」
 興味のある方は以下も参考にして下さい。
(仏像―弘仁・貞観時代) http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/butu-kouninn.htm

 古寺巡礼の巨大な佛像の顔面、その姿は強烈な印象を与えてくれました。来年から仏の世界を巡る覚悟を決めている中山さんにとっても、この佛との対面は今回の巡りを締め括るとてもタイムリーで必要な出会いだったようです。
 とっぷりと日が暮れて仙台への帰路に着きました。車中厳しきお言葉がありましたが、明らかにすることが出来ません。来年の巡りに繋がるところだけ抜粋してみると、
「影踏みて、この地にありて、闇なる所の見えざる輩、是より参りて、大きなる光を響きと共に送り行く。参りて、共々全てを統べる大いなる供と成られませ。この地の強き力と成りて、宇宙へ繋ぎて参ろうぞ。
 篩いは激しきなれど、皆々の思いは強きなれば、定めて参ればひとつなり。いざ いざ参れ。ようよう参るこの時成れば、写して見せます全ての新しき仕組みを。」

 来年3月5~6日、4月9~10日の2回に分けて奥州33観音菩薩霊場+特別3観音菩薩の36箇所を巡ることが決まりました。おわ歌の音を響かせ音を観る境地を巡る世界です。いよいよ33、36の世界の幕開けです。33には以下の様な意味があります。
「高い波動 菩薩 無償の愛 常識の枠におさまらない物質世界を超えた精神世界、宇宙愛、人類愛。菩薩の域を暗示する数字。33の持つ波動があまりに高いため、この数字は一般的な常識では図れず、理解されにくいとされる神聖で特殊な数字。」
「観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて33の姿に変身する”と説かれ、三十三観音信仰のもととなりました。菩薩様は、衆生(生命あるもの全て。特に仏教界では人間をさします)に、広大無辺のあたたかい救いの手を差し伸べてくれます。」

 仙台に予定の19時に帰り着きささやかな食事会をして、次回は3月での再会を期待して散会となりました。



 今回、このみちのく光を繋ぐ巡りを年の瀬の押し迫った中に開催し、このブログを大晦日12月31日に書き終えました。これで12月は36個ものブログを上げることになり、是までの最多です。来年の33観音菩薩巡りにも繋がる数にも思えます。全ては次なる事への橋渡し、前提条件になります。
 年の瀬の意味を調べると
「瀬には、川の浅い箇所、流れの速い場所という意味があります。つまりは、単純に一年の末や暮れが近付いているというよりは、鬼気迫った状況を洗わす言葉が年の瀬なのです。」
 明日からの2016年、新年が厳しい中でも皆様に素晴らしい年になる事を念願するのみです。私も大掃除をして場も心身も整えて新たなる明日へ向かいます。

550「年の瀬5」2015,12,31

 次の目的地の玉簾の滝は、酒田市の日向川上流に位置する高さ約63m、巾約5mの名瀑で、山形県内随一の高さを誇る滝です。かつては山岳宗教の修験場であり、滝の前には御嶽神社が祀られています。以下の様な紹介があります。
「伝承によるとおよそ1200年前、大同3年(808)弘法大師が全国行脚の際、霊夢に不動明王の化身が立ち、玉簾の滝の位置を示すと共にその霊地に不動明王を祀るように告げたと伝えられています。当初は、滝姿から白糸の滝とも呼ばれていましたが、滝の中腹に安置されていた不動明王前後に流れる景観が玉簾に似ていた事から何時しか玉簾の滝と呼ばれるようになりました。
 文人墨客も数多く訪れ江戸時代の能書家である白井千代梅が玉簾の滝を探勝し時に詠んだとされる
「雲ゐより落くる瀧の水かみは そらにながるるあまの川かも」、
「山川のへなでさりせばししにきて 見るべきものをこれの瀧つせを」
の歌碑が建立されています。」

 山間の集落を抜けたところにある駐車場は完全に氷結して氷で覆われていて、つるつるで、歩くのも難儀です。駐車場から参道を10分程進むと滝ですが、この道も凍っていて足元要注意です。


程なく林の中に御嶽神社があり、その奥に見えた玉簾の滝の姿は圧巻で、大きな滝の流れです。どう見ても玉簾の名にそぐわない名瀑です。


近くは水しぶきが飛びかかりますのでかなり離れた場所で円陣をなして寒さの中、あわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「大いなるかな、この響き、貫き、登りて、この天空へ参り行かれて、皆々様と、供なる光と相成りたり。」11:00





 次の目的地は胴腹の滝です。そこに向かう途中、雲間から太陽の光が筋状に幾つも下ろされています。鳥海山も山頂は雲で覆われて全容を見る事が出来ませんがその山懐に向かう山道を進みます。


 この胴腹の滝は鳥海山からの伏流水が織り成す滝です。この伏流水が2筋、岩肌の途中から直接噴き出す珍しい滝で、山腹から湧き出ている様子が身体の「どうっぱら」という例えで胴腹滝と呼ばれています。






 この伏流水はまた銘水でも知られ、2カ所から噴き出しているのですが、右と左の味が違うと言われています。そのため、この水を汲んでいる人の中には右の水を汲む人、左の水を汲む人、半分ずつ混ぜる人など好みで別れ、口あたりや水質の良い名水で他県からも水汲みに水くみに訪れる人が多いそうです。そしてここは山深く雪も多いのですが、冬でも凍ることがなく、年中水汲みの人が絶えないようです。
 案内板によると以下のようにあります。
「遥か神代よりこの地に恵みをもたらしてきた鳥海山には、鳥海山大物忌神と月山両神の不思議で魅力的な伝説が多く伝えられています。ここ胴腹瀧の水の神秘もその1つです。鳥海山は日本有数の高山でありながら、岳人に水筒要らずと言われるほど言われるほど水質の良い泉や流れの豊富な山です。その八合目を源とし、岩中の間隙を幾日も辿りながらなぜか源泉の冷たさをそのままに、優れたミネラルバランスの水が此処に流れ出し続けているのです。子安大聖の謂れの通り、人の身体に自然に吸収されるこの瀧水は自然本来の水の味と香り、そして心の潤いを思い出させてくれます。」
 駐車場から歩いて5分程でしょうか、林の中に、遠く小さなお堂、その両側に胴腹の滝があります。先ほどの玉簾の滝とは全く別物で、小さなかわいい滝です。自然の木々の中にあり、調和した素晴らしい滝で風情があり、流れ落ちる川の岩には苔が満ち満ちていて綺麗い色鮮やかに輝いています。その2つの滝の間にあるお不動様まで上がれます。その前であわ歌を響かせました。

「あ~ する する する。いやうえおあ、いやうえおあ、いやうえおあ。
 つる つる つる つる (拍手)
 ありがとう。」12:03
 
 何とも意味不明ですが、つる、鶴が4回出ました。清清しい自然の大気を頂き元気漲りました。


さて次はいよいよ丸池です。寒さの中で皆さんの生理現象も限界です。途中、遊佐駅に寄って暫し休憩をして、すっきりさっぱりして丸池様に向かいました。後で思うと、この休憩の時間も必要なようでした。