2018年9月28日金曜日

1441「神示17」2018,9,28

 午後の訪問先は遠野市附馬牛町上附馬牛にある早池峰神社です。
 早池峰山(1917m)の南麓に鎮座するこの神社は、山頂にある奥宮に対する里宮で、祭神として瀬織津姫命を祀っています。その由緒は以下の様です。

「霊峰早池峰の山霊を祭り、併せて早池峰山とともに遠野三山と呼ばれる石神、六角牛の山霊を祀る。
 草創は大同元年(807年)3月8日猟師籐蔵(後に始閣と定む)が早池峰山頂において権現垂跡の霊容を拝して発心、山道を拓いてその年の6月18日、山頂に七尺有余の宮を創建して祀ったのがこの社の始まりである。
 山頂の社は本宮と称し承和14年(847年)6月18日藤蔵薙髪して普賢坊の長子長円坊が本宮の傍に新たに建立した若宮とともに現在この早池峰神社の奥宮として祀る。
 嘉祥年間天台の高僧慈覚大師奥州巡歴の途次、この地にいたり宮寺妙泉寺を創建して坊を大黒坊と称し不動三尊・大黒一尊各々本尊を別に新山宮と号し、三間四面の宮を建立し早池峰大権現を祀り、脇士として薬師・虚空蔵菩薩を併祀、坊には高弟持福院を住職とし神宮には長円坊を別当として神徒として仕うべきを命じた。
 祭祀に神仏混淆で盛大に行われて信仰は県外に及び阿曽沼親綱の時代に120石、その後南部直栄より65石合わせて200石近い封禄寄進され、明治維新に至り廃仏毀釈により妙泉寺は廃され、新山宮改め早池峰神社として現在に至った。
 現在の神殿は享保三年の建築で、神門は文化年中の建立である。
 旧暦6月18日の祭礼における近くの滝川に神輿を渡して川の水を濯ぐ祭事は珍しく他に例がすくない古代からの伝統行事と言われる。」


 更に以下の紹介もあります。
「早池峰山への登山口は、東西南北に存在し、四方の登山口それぞれに早池峰神社がある。
 西の登山口(大迫町)には、元池上院妙泉寺であった早池峰神社。
 東の登山口(江繋)には、元新山堂であった早池峰神社。
 北の登山口(門馬)には、元新山大権現であった早池峰神社。
 南の登山口には、元持福院妙泉寺であった早池峰神社。
 当地(遠野)と早池峰山との間には、前薬師と呼ばれる山があり、直接、早池峰山の全容を見ることはできない。」

『遠野物語』には幾つかの山人に関する記述があり、この早池峰山にも山人がいたという。
「始めて早池峰に山路をつけたるは、附馬牛村の何某といふ猟師にて、時は遠野の南部家入部の後のことなり。
 その頃までは土地の者一人としてこの山には入りたる者なかりしなり、この猟師半分ばかり道を開きて、山の半腹に仮小屋を作りてをりし頃、ある日炉の上に餅を並べ焼きながら食ひをりしに、小屋の外を通る者ありてしきりに中を窺ふさまなり。よく見れば大なる坊主なり。やがて小屋の中に入り来たり、さも珍しげに餅の焼くるのを見てありしが、つひにこらへかねて手をさし延べて取りて食ふ。猟師も恐ろしければ自らもまた取りて与へしに、
 嬉しげになほ食ひたり。餅皆になりたれば帰りぬ。
 次の日もまた未るならんと思ひ、餅によく似たる白き石を二つ三つ、餅にまじへて炉の上に載せ置きしに焼けて火のやうになれり。案のごとくその坊主けふも来て、餅を取りて食ふこと昨日のごとし。餅尽きて後その白石をも同じやうに口に入れたりしが、大いに驚きて小屋を飛び出し姿見えずなれり。後に谷底にてこの坊主の死してあるを見たりといへり。
-『遠野物語 第二八話』より-」

「神の始 遠野の町は南北の川の落合に在り。以前は七七十里とて、七つの渓谷各七十里の奥より売買の貨物を聚め、其市の日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。
 四方の山々の中に最も秀でたるを早地峰と云ふ、北の方附馬牛の奥に在り。東の方には六角牛山立てり。石神と云ふ山は附馬牛と達曾部との間に在りて、その高さ前の二つよりも劣れり。
 大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早地峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。
 若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山に遊ばずと云へり。-『遠野物語 第二話』より-」

 この三姉妹の話しに登場する遠野三山、早池峰山、六角牛山、石神山の配置について以下の様な表記もあります。
「遠野三山の母神を祀る伊豆神社と早池峰山を結ぶ線上に鎮座している。よくみると、伊豆神社から遠野三山への各線を切断するかのように線路が敷設されているおり、遠野駅は早池峰山への線上にある。
 まるで、結界を切る行為のような印象だ。これが意図的に行われている、つまり何かの呪的行為だとすると、柳田國男が当地に、非常な関心をしめしたのも・・・」 
http://www.genbu.net/data/mutu/hayatine_title.htm