2017年1月26日木曜日

831「奈良田・富士3」2017,1,26

 次の目的地は静岡市清水区河内にある「河内の大石、大石神社」です。水神社から車は山を下り、新東名高速道路長泉沼津インターから高速に入りました。入って直ぐの駿河湾沼津SAで休憩です。
 素晴らしい天気に、水神社であったお言葉のように、駿河は晴れ渡り、太陽が強烈な光を降り注いでいます。海面にミラーのように光が反射して輝きを放射しています。しばし、皆さんで自然の美、パワーを堪能し、写真撮影に興じました。




  新清水SAで高速を下りて興津川を上流に遡るように進みます。丁度、駿河湾を弧を描くように西に進んだ感じです。

 目的地の河内は真富士山の近くです。興津川はフォッサマグナ東端と言われる静岡県の富士川と安倍川の間を流れる川です。明日訪れる予定の山梨県早川町の奈良田は富士川の上流の支流になる早川流域にあります。 
 河内の大石は集落を抜けて直ぐに、その巨大な雄姿を前方に見せています。

 河内の大石の謂れは以下のようです。
「高さ19m、周囲長さは60mもあり、市指定の文化財になっている大石です。安政地震の際に影響を受け、その翌年の大雨で真富士山中腹から流出したものといわれています。石の上は広く蕎麦8斗を乾かすことができたために8斗石とも呼ばれていたそうです。現在では、大石神社としてあがめられ、安産の石としても知られています。」


 両河内村史等に以下の様に記されています。
「時は安政元年霜月二十八日正午頃突如として起こった所謂安政の大地震は真富士連山を震撼し岩石をとばし樹木を倒し山容は一変するに至った。
 明けて翌年の旧七月二十六日正午頃より、豪雨沛然として至り雨勢は刻々劇甚寸時も衰えることなく夜半に及び、昨冬地震にて崩れ落ちた土砂岩石は雨水の為泥濘と化し、沢くぼを押し出して緩々巨石を包みて下方に移動流出なしこゝに止まった。泥濘は流れて川を埋め人家を流した。
 夜は明けて空は一転の雲もなく晴れたれども人家の流出、人命の行方不明死、其の類多く人々は皆果然として驚き、親は子を呼び子は親を求めんと愁々の声止むところがなかった。」
 そのような惨禍をもたらした災害の置き土産である大石にもかかわらず、地元の人々はこの石に「高御産巣日神(たかむずびのかみ)」と「神産巣日神(かみむすびのかみ」)を祭り、毎年七月二十六日にお祭りを行っているのです。」




 大石の裏、横手にも巨石があり、大石と繋がるようにあります。その岩と岩の間であわ歌を響かせました。
 響かせている時に、頭上に現われた雲は龍神の様な姿で、南西に流れて行きましたが、
 その時のお言葉です

「うみう うみう うみう
 更なる広がり、これよりなれば、この響きと共に天空駆けて、
 西へ、南へ広がり行きて、更に参る。
 北よりの大きな気を受け、この地より発して下され。
 真っ直ぐなる思いは大きなり。
 駿河の大き海と共に、新たへ参りませ。」15:53


 お言葉の様に白龍様が天空を駆けて行きましたが、北よりの気を受けてこの地より発し、駿河の海と共に新たへ、とあります。北の地の中心柱となる大石を2月に巡りますがそちらが起動することでこちらと連動して、西、南へと繋がるようです。

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