2018年8月18日土曜日

1400「体質改善3」2018,8,18

◆産声を上げたときから
・産道にいる微生物
 微生物は我々の遺伝子に組み込まれているものではない。微生物との共生は人間に利益をもたらすが、その微生物はどうやって子孫に受け継がれているのだろうか。子宮内部の羊水に浸かっているとき、胎児は無菌状態にある。しかし、破水と同時に外界との接触が始まり、産道を通るときに微生物のシャワーを浴びる。
 新生児の腸内細菌の構成は、母の膣内と最も近い。大人の腸内と違い、病原体を殺す役割をする乳酸菌の割合が高い。ヒトは赤ん坊を守るため、膣に大切な微生物を待機させておくよう進化してきたのだ。先進国ではお産の三割程度が帝王切開で行われるが、帝王切開で生まれた子は感染症やアレルギー、さらには自閉症や肥満になりやすいというデータもある。もちろん帝王切開は緊急時には必要となる大事な出産手段だが、子どもの健康上の影響についても知っておきたい。

・母乳の中にいる微生物
 オリゴ糖を含む食品は大人の食事には必要ないが、出産直後の母乳にはオリゴ糖が含まれている。これは赤ん坊の腸内にはオリゴ糖を特殊な酵素に分解して免疫系を発達させる細菌がいるからである。赤ん坊の腸内細菌はとても不安定なため、出産直後には母乳が欠かせない。そして、赤ん坊の成長に応じて母乳に含まれるオリゴ糖の含有量は減っていく。
 また、母乳には母親の腸内にいるのと同じ細菌も含まれている。血液を通して細菌が腸内から母乳に移動しているのだ。さらに驚くべきことに、母乳の成分は出産方式によっても違う。陣痛を経験した母親の母乳は、陣痛が始まる前に計画的な帝王切開で出産した母親の母乳よりも微生物が豊富なのだという。
 では、粉ミルクで育つ赤ん坊はどうなのだろうか。粉ミルクで育つ赤ん坊は感染症にかかりやすい。乳幼児突然死症候群で死亡するリスクも二倍だ。そして、皮膚炎や喘息、過体重にもなりやすい。
 我々は、粉ミルクよりも母乳の方がいいということは感覚的に分かっているものの、母乳をあげないとどうなるのかについてはあまり知らない。子どもに受け渡す遺伝子を変えることはできないが、受け渡す微生物は選ぶことができるということをもっと考えるべきだろう。

◆微生物生態系を修復する
・微生物は補助食品として補充できるのか
 ここまで読めば誰もが自分の腸内のバランスを整え、いい微生物を保有したいと思うだろう。そのためには何をすればいいだろうか。ひとつにはプロバイオティクスと呼ばれる細菌を口から摂取するという方法がある。スーパーでよく目にするヨーグルトがいい例だ。
 ヨーグルトを食べるといい影響があるかと聞かれると答えはイエスだが、目に見えるほどではない。ヨーグルトに含まれる最近は一〇〇億個ほどだが、腸内細菌は一〇〇兆個もある。また腸内細菌は種類も豊富なので、ヨーグルトに含まれる限られた細菌が影響を与えるのは簡単ではない。

・他人の糞便を分けてもらう
 抗生物質の治療により腸内細菌が死滅してしまったような場合はどのように修復すればいいだろうか。そんな場合にいま注目を集めているのが、糞便移植だ。想像するとほとんどの人が顔をしかめるだろうが、他に方法がなく、瀕死の状態の人はどんなことでも試したいと願う。
 実際に、糞便移植によって劇的に回復をしたケースは数多くある。しかし、移植は誰のものでもいいというわけではなく、持病がないなどという輸血と同様の条件のほか、過去に抗生物質の治療を受けていないという厳しい条件もある。欧米では適合する人物は1%もいないと言われており、理想のドナーを探すのはまだまだ困難な状況だ。
 プロバイオティクスはマイクロバイオータを通して制御系T細胞を活性化する(敵がいないことで不安定な免疫細胞を沈静化できる=アレルギーやリーキーガットがおさまる)
糞便移植はすばやく効果的にマイクロバイオームを健全化する手法。
 プロバイオティクスにはプレバイオティクス(細菌のエサ)をセットで使用する。


2018年8月17日金曜日

1399「体質改善2」2018,8,17

◆あらゆる病気は腸からはじまる
・カロリー計算で体重コントロールはできない
 地球上の成人の三人に一人は過体重で、九人に一人は肥満だ。欧米では三人に二人が過体重で、その半分は肥満だ。なぜこんなことになってしまったのだろうか。世の中ではさまざまなダイエット法があるものの、確実に痩せられる方法は今のところ外科手術により胃を小さくする方法しか見つかっていない。
 マイクロバイオータの研究者によると、同じ量の餌を与えても、太ったマウスは痩せたマウスより多くのカロリーを吸収しているという。それらのマウスの腸内細菌を調べると、細菌の組成比に特徴があることが分かった。摂取カロリーはどれだけ食べるかでなく、腸内細菌がどれだけ分解し、腸が吸収するかによって決まる。

・心を操る微生物
 ある少年は、一歳のときに耳に感染症ができ、抗生物質で治療を行った。それまでは健康体で育ったものの、治療中からよく下痢をするようになり、奇行も目立つようになった。二歳になるころには重度の自閉症と診断された。
 生まれたときには正常だったのにそれはおかしいと感じた母親は、いくつもの文献や論文を読み漁り、息子は抗生物質で体内の細菌を殺している間に破傷風菌に感染してしまったのではないか。そして破傷風菌が腸に入って下痢を引き起こすだけでなく、何らかの形で脳にも達したのではないだろうかとの仮説に至った。
 何十人も断られた後にその話を信じてくれる医者をなんとか見つけ出し、破傷風菌を殺す抗生物質を投与してみたところ、なんと少年は正常な状態を取り戻したのである。自閉症だけでなく、統合失調症などと診断される病気も腸内細菌の組成比が影響しているという研究結果が出たのはごく最近のことだ。

・「衛生仮説」の不備
 花粉症をはじめとするアレルギーも二一世紀病のひとつだが、その原因はまだ特定されていない。衛生水準の向上により昔に比べて免疫系の出番が減ったため、力を持て余した免疫系が花粉のような無害なものまで攻撃するようになった、というのが「衛生仮説」であり、現在の世の中で支持されている。
 しかし、この仮説には弱点がある。病原体や寄生虫が不在のとき、他に免疫系の標的になりそうな微生物はたくさんいるのになぜ花粉が標的になってしまうのかということだ。ひとつ言えることはヒトの免疫系も単独に進化してきたものではなく、微生物と共に育ってきたシステムだということだ。つまり、微生物生態系のバランスが崩れると免疫系のバランスも崩れてしまうのである。「衛生仮説」ではなく、二一世紀病を抑えるためには微生物の力が必要だという説を唱えるべきときがきた。

◆微生物生態系への理解を深める
・抗生物質が微生物集団の構成を変える
 二十世紀の初めにフレミングがペニシリンを発見して以来、抗生物質が我々を感染症の危機から救ってくれたことはもはや説明するまでもないが、抗生物質は体内のマイクロバイオータに対してはどのように寄与しているのだろうか。
 抗生物質は感染症を引き起こしている細菌だけでなく、関係のない細菌まで大量破壊してしまうことがある。先に述べた自閉症児の例以外でも、過去に抗生物質を処方されたことのある子どもは過体重になりやすかったり、喘息やアトピー、花粉症になりやすかったりといったデータもある。もちろん、抗生物質のすべてが「悪」というわけではない。無数の命を救い、多くの苦しみを防いできた抗生物質だから、そのメリットとデメリットを天秤にかけてから使うか使わないかを決めるべきだろう。

・微生物に必要な餌をやり忘れていないか
 肥満の原因を探るために、何を食べたかではなく腸内細菌の組成比を知る必要があることは先に述べたとおりである。アフリカの僻地の子どもと先進国の子どもの食生活を比較すると、目立つのは先進国の子どもの食べる脂肪と糖の多さだ。しかしどれだけ調べても、脂肪や糖を食べる量と体重の増加の関連性は見つからなかった。
 そこで改めて二地域の子どもの食生活を比べると、摂取量が明らかに違ったのは食物繊維だった。アフリカの僻地の子どもの摂取する食物繊維は多く、先進国の子どもは少ない。アフリカの僻地の子どもは食物繊維を分解する腸内細菌を数多く持っており、この細菌の組成比が体重の増減に影響を与えていることが分かった。


2018年8月16日木曜日

1398「体質改善1」2018,8,16

 かれこれ1か月以上前の事になります。7月6日から8日の3日間で第46回座禅断食会を開催しました。今回も参加者は少なく10名です。内容は実り多いものでした。私も50回ほどの断食を経験していますが毎回、自身の健康にとっても新たな気づきもあり、ありがたき体験です。
 野口法蔵師の考案したこの座禅断食は健康法として、腸内の宿便を出し、腸内環境、腸内細菌の生態系にアプローチするのですが、その結果、体質改善に繋がり多くの効果があります。この断食方法は今更ながら21世紀病と言われる諸々の病を防止し健康改善に効果があると実感しています。その微生物生態系の考えと参加者の感想などを中心にお伝えします。
 
 先ず最近読んだ著書「あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた」(河出書房新社)は分かりやすい内容で、日ごろ私が思っている考えを裏付けてくれるものでした。そのポイントを紹介します。
 本の帯に以下の様に記されています。
「肥満も、アレルギーも、うつ病も微生物の問題だった。
 あなたの腸内には、知られざる豊かな微生物の生態系が広がっていて、あなたの健康を維持している。今、その生態系が破壊され、さまざまな問題が引き起こされている。あなたは自分の生態系を破壊しているのではないだろうか?最新の科学的知見をもとに、微生物生態系のしくみと健康の関係を解き明かしつつ、大切な微生物たちを守り、育む方策を示す。」

◆要点は
1、私たちの体を構成しているもののうち、ヒトの細胞は10%しかない。残りの90%は細菌であり、人体から微生物がいなくなったら私たちの生活は成り立たない。
2、肥満やアレルギー、心の病気などは「二一世紀病」と呼ばれるが、これらの原因を探っていくと、人体の中の微生物の存在がクローズアップされてくる。
3、有益な微生物を増やすことは健康への第一歩だ。食生活の改善や出産方式、授乳方法などを見直すことにより、私たちは微生物を「選択」することができる。

◆二一世紀の病気
・人体は微生物生態系に満ちている
 ヒトゲノムの解読によりヒトの遺伝子への理解は進んできたが、それは私たちの体を構成する細胞の数でいうとほんの10%ほどの部分でしかない。残りの90%はマイクロバイオータと呼ばれる100兆個の共生微生物から成るが、その研究はまだ途中段階だ。
 人体のうち外界と接しているのは皮膚だけではない。消化管など私たちが体内だと思っている場所も「外側」であり、微生物の棲息地となっている。中でもその多くを抱えているのは腸であり、腸の中には常に肝臓と同じ重量に相当する1.5キロの細菌がいるという。
 腸内細菌は人が食べるものを食べているため、腸内細菌の組成比は人によって異なる。腸から出てくる糞便の中身は食物の残骸というよりほとんどが細菌で、そこから見つかる細菌はその人の健康状態や食生活をよく表している。健康な人とそうでない人のマイクロバイオータを比較することで、様々なことが分かってきた。

・四つのイノベーション
 人類はこれまで、天然痘やコレラやペスト、麻疹や風疹など様々な病気と闘ってきた。そして十九世紀から二十世紀にかけ、医療や公衆衛生について四つのイノベーションが起きた。それは予防接種、医療現場の衛生習慣、水質浄化と、抗生物質だ。これらの誕生により、人類は感染症の脅威から遠ざかることができた。
 そのかわり、花粉症や肥満、うつ病などそれまでなかったような病気が過去六十年間に次々と出てきている。これらは「二一世紀病」と呼ばれており、あまりにあちこちで見られているために私たちはそれが普通だと思ってしまっているが、実は普通ではないのである。

・二一世紀病を疫学的に問うてみる
 二一世紀病に共通するものは何かと考えたとき、まず浮かび上がるのは免疫系だ。アレルギーも自己免疫疾患も免疫系の過剰反応である。そして次に浮かぶのは消化器障害だ。自閉症の患者は慢性的な下痢に悩まされているし、うつ病と過敏性腸症候群は連動して起こる。肥満も腸内を通過する食べ物が起源だ。
 また、かつて感染症は人と人との接触を通じて広まったが、肥満や自閉症、アレルギーや自己免疫疾患はみな欧米で流行している病気だ。これらの国は地理的に接触しているだけでなく「豊か」だという共通点もある。最近では新興国や途上国でも近代化に伴って拡がっている。また、時期的にはどれも一九四〇年代にはじまったと言われている。二十世紀の半ばに何かが変わったのは間違いない。現代の欧米式の豊かな暮らしはなぜ、私たちを二一世紀病へといざなうのだろうか。」

 ここでは「あらゆる病気は腸からはじまる」という視点で語られています。

2018年8月15日水曜日

1397「里山18」2018,8,15

 旅の終わりにこの辺りに来た時にちょくちょく利用する新花巻駅近く、宮沢健治記念館へ向かう交差点にあるカフェレストラン「きゃびん」で最後のミーテイングを行いました。

 パフェやらケーキ、プリン大福、クリームソーダ、コーヒー、冷麺等々それぞれ頂きながら今回の旅の感想などを和気藹藹、楽しくシェアしました。簡単に紹介します。

・S、Aさん
 「久々の参加でしたが、とても楽しかったです。又来たいと思います。」

・O、Yさん
 「橋野鉱山跡が印象深かったです。今回は食事が良かったです。」

・K、Hさん
 「昨晩の夕食会、2次会が面白かったです。今日の「悟道の里山」の昼食は凄いし、里山も凄かった。あそこの手入れは大変だなと思いました。」

・S、Uさん
 「山登りはきつかったです。これから地球環境を汚さずに、自分でやって行きたい事を淡々としていきたいと思います。」

・M、Aさん
 「今回の旅で、日ごろの疲れを休ませてもらいました。私には繋ぐ相手が居ないので自分で頑張れということかな。自分で出来ることとして、また五体投地礼を再開しました。10年前に6万回で止めていたのですが、今2ヶ月続いているので体力的に復活していいます。」

・O、Hさん
 「テンメイに参加して農場を12年やっているが今年70歳を過ぎました。これからはやりたいことを絞っていくつもりです。昨晩の懇親会の話しが良かったです。今回、「悟道の里山」がとても参考になりました。伝統あるものに新しいことを繋げていくこと、これからも続けて行きたいです。昨年から身体不調で、今は体調を整えてやっていますが、これから若者へ繋げていきたいと思います。」

・T、Sさん
「木内さんと近い方で、縁して大分時間が経ちますが、木内さんの夢、構想に付いてきています。仙台でも木内さんと同じ目的を持って出来ることをやってきました。これまで沢山の点を打ってきていますが、それが繋がってきて線になり、存在感が出てきていると思います。今回の「悟道の里山」も繋げてくれるし、重なるともっとあるようです。会社の本社ビルが仙台の北仙台にあり、ボーの家具のあった1階の所に美と健康の店を出すということです。そのコンセプトはトータルヘルス・デザインで行っていることで、内の息子にも繋がることです。どういう状態で出来ているか、向かう方向に当て嵌めて、共有し共存出来るものだったと思います。それは木内さんとも繋がっていることです。
 点を沢山打つと見えて来るものがあります。これまで地球からの恵みを頂き、共存していた技術を継承されてきているが、それが今駄目になって来ている。それはお金のせいです。でもこれから起こりくる変化が楽しみです。」

・K、Yさん
 「昨晩の2次会楽しかったです。目の前の事に振り回されていて自分がぶれていたのに気づきました。自分が決しないといけないこと、とストンと腹に落ちて気付きました。泊まりで大久保先生と話すのが良い改めて思いました。又ツアー参加したいと思います。この様に身内のように打ち解ける仲間が居るのは凄いことです。これからも木内構想に繋がって行きたいと思います。」

最後に木内からのお話です。
 「宿からの海を見ていて、この宿は震災、津波で被害を受けたが、あの海の中には沢山の亡くなられた人達がまだ眠っている。そこにゴミを捨てている。そのゴミは太陽光で熱に変わって海水の温度が上がっている。
 それを見ていて腹が立ってきた。亡くなった方々が怒っているのでは、失礼なことをしている、と感じました。政治、経済は今どうしようもない。もうひっくり返したい気持ちです。私は大器晩成型だが、海に眠っているところを汚染してはいけない。私たちは謙虚に学ばないといけないと思う。
 これからも私は講演会活動で伝えていくつもりです。今日の里山はそうだ、と改めて感じました。今度、紫外線装置の処理でプラスチックを分解させてみたいと思っています。
 今回いろいろありがとうございました。」

 時間も丁度17時半過ぎです。そろそろお開きです。Kさんと新花巻駅でお別れして一路仙台駅に向かいます。


車は順調に走り19時半過ぎに到着して駅中のいつもの中華屋さんで食事を軽くして木内さんとお別れです。
 今回も濃厚な旅でした。次回は9月22日木内さん講演会です。是非ともご縁の方々の参加宜しくお願いします。

2018年8月14日火曜日

1396「里山17」2018,8,14

 次の目的地は遠野市土淵町栃内にある「山崎コンセイ様」です。その前に同じ栃内にある「舌出し岩」を見学しました。以下の様に紹介されています。

「国道340号線沿いの西内にある巨石。花崗岩の巨石で、その姿舌を出して麓を見下ろす龍の顔に見えることからこの名前がついたとのこと。その昔、栃内の沼袋に住み村人を苦しめた龍が石になったという伝説があり、胴体は二つ岩(栃内)、尾は大楢と角城境の河原にあると伝えられている。 
 実際に見た感じは確かに蛇やその類いの生物が舌を出しているように見える角度がある。舌はやや斜めに突き出しており、角度が変わると石棺の入り口のようにも見える。この巨石の下は人工的に積み上げられたように見える四角い積み石がある。これも自然のものであるならば、なんとも自然の造形力はすばらしいことか。」 

 さっと見て写真に収めてすぐ近くの「山崎コンセイ様」に向かいます。以下の様に紹介されています。
「沢の治水工事を行った際に、金勢様が地中から発見された。以後、御宮を建立し、5月5日に例祭を行っている。子授けや女性の腰の病気に効験があり、また、豊作を司る神とも言われる。
 金精様とは豊饒と子孫繁栄のシンボルとして男性の性器をかたどった石や木を祀る民俗神である。遠野ではかつては家々で祀っていたこともあるという。また、オトコサマという名称でよく似たものが祀られていることもあったという。
 こうした民俗神は過去たびたび“淫祠邪教"として取り締まられた過去をもつ。戦前には有志によって持ち出され埋めたり隠されたりして守られたという話も聞く。いま残っている民俗神は地元の人々によって守り抜かれた貴重な文化遺産なのだ。
 古くから続いてきた素朴な信仰を悪いものとして否定するという事自体が野蛮な考えとしか思えないのだが、善かれと思って始めたことが極端な全体主義となって作用することはよくあることだ。」



 社の中にも外にも石の巨大な金精様が祀られています。性はいのちの継続、生きる大きな活力であり、子々孫々が栄えて行く原動力です。そこには神の摩訶不思議な力が宿り、崇めたのでしょう。この信仰は日本各地に見られますが遠野に残された貴重な遺産です。

 巡りもいよいよ終盤です。最後は遠野市綾織町にあり「続石」の巨石です。以下の様に評されています。          
「遠野物語拾遺第11話に登場する続石。盛岡から来る途中の綾織で散策出来る名所です。 
 続石の前には弁慶の昼寝場があり、背後には山神社がある。少し離れた左手奥には泣き石がある。この泣き石の奥にも大岩があるが名前はないようだ。
 続石の全面には不動岩があり、とでかい岩がちょっとした岩壁となっている。この一帯には大岩がここかしこにあり、その昔地震や大雨かなにかで岩肌が現れたように思われる光景がこの山中にはある。続石も微妙なバランスで元々土に埋まっていたものが地表に現れたものだろうか。」 
 
 遠野物語拾遺第11話を紹介します。
「 綾織村山口の続石は、この頃学者のいうドルメンというものによく似ている。
二つ並んだ六尺ばかりの台石の上に、幅が一間半、長さ五間もある大石が横に乗せられ、その下を鳥居のように人が通り抜けて行くことができる。武蔵坊弁慶の作ったものであるという。
昔弁慶がこの仕事をするために、いったんこの笠石を持って来て、今の泣石という別の大岩の上に乗せた。そうするとその泣石が、おれは位の高い石であるのに、一生永代他の大石の下になるのは残念だといって、一夜じゅう泣き明かした。
弁慶はそんなら他の石を台にしようと、再びその石に足を掛けて持ち運んで、今の台石の上に置いた。それゆえに続石の笠石には、弁慶の足形の窪みがある。
泣石という名もその時からついた。今でも涙のように雫を垂らして、続石の脇に立っている。
-『遠野物語拾遺 第十一話』より-」
 更に以下の様な表記が続きます。
「遠野三山・石上山の南麓にあり、字名は山口なので、石上山への登り口であり、石上山の遥拝所として山神を祀っているのだろう。その祠の前に、2mほどの2つの巨石の上に、
7mの笠石を載せた鳥居状のドルメン。実際は、笠石は祠に向かって左側の大石の上にだけ載っている。鳥居状なので、もちろん人間が立ったまま歩いて通ることもできる。 
『遠野物語』第九十一話には、この続石の奥で、鳥御前と呼ばれていた鷹匠が、赤顔の男女と遭遇。いたずらに刃物を抜いたところ、赤顔の男に蹴り飛ばされ、失神した。
山神の遊び場を汚したとされて、その祟りでその後死んだという話が載っている。」

 続石は何度も訪れていますが不思議な造形物です。自然のものなのか人工物なのか不明ですが、自然のものとは考えにくいです。



 予定の巡りを終えて帰路につきました。今日は何と言っても「悟道の里山」が印象深いものでした。

2018年8月13日月曜日

1395「里山16」2018,8,13

 優雅な、贅沢な昼食を頂き、食後はこの「悟道の里山」の見学をお願いしました。案内はこの里山の責任者のEさんと庭など樹木の管理を1人でしている男性の方が丁寧に説明し、案内くださいました。
 ここはかつて遠野の有名な企業人が作られたもので、「万世の里」と呼ばれていたようです。しかしやがて荒廃し、廃墟になっていたそうです。そこを311東日本大震災後にあるご縁を頂いてM社長さんが8丁歩の敷地、建物などをすべて購入されたそうです。M社長の会社の本社は仙台市青葉区の北仙台にあるのです。
 Eさんは社長同様に石巻市出身で、現在も石巻から車で通っているそうです。2時間半かけての車の通勤は驚きです。石巻のテンメイ仲間、お米作りのでんでん虫のKをご存知で世の中狭いというか、何かのご縁がありそうです。
 しっかりした古民家、倉、屋敷ですがその荒廃ぶりは大変なもので、通って来るのが嫌と思うほどだったといいます。皆さんと協力して片付け、掃除をし、今ある姿まで再生し、蘇らせたのです。今はこの里山がとても気に入り、来ることが楽しみといいます。
 ここは宿泊施設にもなるようで、これまでも多くの方々が利用しているようです。食事を頂いた曲がり家「真野家」の地下には岩風呂があります。ひんやりして気持ちが良い空間です。


 「真野家」の庭にでて家を見ると重厚な造りに驚きです。この茅葺の屋根も葺き替えをしたようです。考えただけでも、この里山作りにはとてつもない労力、人手、お金が投入されています。そこには当然、今あるような里山として活用していくビジョン、プランニングがあったのでしょう。

 私たちは通用門から入ったのですが表門から入るとすぐに「真野家」が見えるのですがその右手は東屋「瑠庵」があります。巨木を抱きかかえるように家に取り込んだ作りで、ここが作家の宇野千代さんの書斎、仕事場だったそうです。

調べてみると宇野千代さんのこの地との繋がりを知ることができる表記がありましたので紹介します。

「亡くなった作家宇野千代が愛したと言う寳壽院(真言宗)を訪ねた。周囲は10センチ以上の雪が積もっていたが万世の里と隣り合っていて万世の里の茅葺き屋根の門や同じく中の茅葺き屋根の荘厳で大きな別荘風の建物が目を引き、庭や門に植えられた桜や紅葉の木の配置も良く、春と秋が待ちどうしい気持ちになる。寳壽院も含め無人で寳壽院は門も閉まっていた。ここはさすがに宇野千代が愛したというだけのことはある場所だ。」

「20年ほど前、私は岩手県・遠野市の「万世の里」というところに招聘されて、そこに穴窯を築き、作陶していました。そこの村長さんが宇野千代さんで、よくいらっしゃいました。「素晴らしき仲間」というテレビにも一緒に出ました。当時宇野さんは87~88歳で、いつも薄くお化粧をして、色っぽい方でした。」

 林の中の散策路を暫く進み行くと陶芸の工房「陸奥窯山」、宿坊、ワイン貯蔵庫があり、菜園、リンゴ園を左に見てまた林の中に進むとお茶室の「無心庵」があります。数寄屋造りの本格的な茶室です。洗練された佇まいは確か帝国ホテルのお茶室と同じ間取りで建てられたとのこと。驚きの広さです。
 




 次は供養院「眞仁寺(しんにんじ)」です。ここは無宗派の寺院で、広く解放された安らぎの殿堂です。鐘楼があり舞台もあり池を見下ろす好立地です。お堂の中には十二支の守り本尊、子安地蔵、お釈迦様など祀られています。





 松林の参道を下って行くと仁王像2体が門番をしています。踊鹿の池を眺めながら表門から真野家に入り、戻ってきました。



 途中の石碑に「万世の里 宇野千代」と記され、更に同じく宇野千代さんの直筆なのでしょうか「幸福は幸福を呼ぶ」と記された石碑があります。



 その他、倉や味処「なごみ」などがありますが、まだまだ整備途中でこれからのようですが、果たしてこれらがどのように活用されるの楽しみです。いずれにしても採算度外視して今は投資の段階のようです。やがて地元でも認識されて有機的な利用がなされていくのでしょう。




 かれこれ2時間半ほどものんびり「悟道の里山」を楽しませて頂きました。

2018年8月12日日曜日

1394「里山15」2018,8,12

 昼食の時間です。お昼食は遠野市青笹に昨年オープンした「悟道の里山」で頂きます。
今年5月の天下伺朗さんのホロトロピックネットワークの岩手の祈りの旅3日目で訪れたところです。私は1日目のみの参加で現地に伺うことは出来なかったのですが、新たな里山つくり、その活動に興味があり、今回の木内さんの巡りに是非とも皆さんで訪問したいと思っていたところです。
 以下のようにオープンの時に紹介されています。
「循環型社会構築とリサイクルの六次化を推し進める(株)JACより、岩手県の遠野市にかねてから準備を進めてきた「悟道の里山」の開山のお知らせが届きました。
 悟道の里山というのは、敷地の中に庭園や供養院、曲がり家、茶室、陶芸工房、食事処、宿泊施設などが趣のある蔵や古民家のまま点在する広大な施設です。中でも、先の東日本大震災を受け「肉親を失い家を破壊されて心までも奪われた東北の方々に何かしたい」という強い思いから、震災供養及び震災で受けた心身の痛みを和らげてもらいたいという思いで建立された供養院には真新しい十二支の守り本尊と子安地蔵が安置されました。
 社長ご自身が石巻の方でご自身も被災者というのもあると思うのですが、供養院には特にこだわっていらしたように感じます。仏師の方が彫りあげ、開眼供養された守り本尊。真新しい木の香りがしてきそうじゃありませんか?
 2017年10月21日(土)、22日(日)に開山祭礼日程が決まりました。その時に東北の手しごと・伝統を発信する物販ブースが設けられるそうで、ただ今出店希望を募られているそうです。ワークショップ、実演販売可とのこと。
 広大な自然の中に樹林や池沼、庭園が続く敷地内には、十二支の守り本尊や子安地蔵が祀られた供養院、 曲がり屋、茶室、陶芸工房、食事処などが趣のある蔵や古民家のまま点在するまさに心やすらぐ里山となっております。」
 道路には大きな門柱がありそこを進むと駐車場があり、茅葺の大きな門があります。そこには「悟道の里山」「真野家」と表札が掲げられています。あらかじめ到着時間を連絡していましたので出迎えいただきました。


 茅葺屋根の曲がり家の真野家に案内されました。天井が高く良く整備されていて家に風が通り、心地よいエネルギーです。奥座敷には毘沙門天像が鎮座しています。高さ2m40㎝の迫力ある像です。毘沙門天を信仰すると十種の福を得るとされ、その中には無尽の福、長命の福、勝軍の福、愛敬の福などがあるそうです。
 冷えた麦茶を頂き一休みです。今日のメニューは遠野の名物料理のひっつみ定食を頂きました。メインはひっつみ汁にいなり寿司、地元の野菜のてんぷら、お手製の漬物がつく豪華な定食です。遠野の70歳を過ぎたお母さんの手作り料理です。皆さん美味しいと大喜びです。食後のデザートのアイスと蕨餅、アイスコーヒーにもご満悦です。暫く庭を眺め、太陽に輝く庭園の木々を味わいました。



2018年8月11日土曜日

1393「里山14」2018,8,11

 北上山地の笛吹峠を越えて遠野市へ向かいます。天気に恵まれ快適な山道ドライブです。目指すは遠野市立博物館です。博物館は遠野市中心部、南部遠野藩の居城があった鍋倉城跡の上り口にあります。その紹介です。

「遠野市立博物館は、昭和55年(1980)に開館した日本で初めての民俗専門の博物館です。平成22年(2010)に『遠野物語』発刊100周年および開館30周年を迎えたことをきっかけに全面リニューアルを行いました。
 遠野の人々の自然や暮らし、文化、歴史を、『遠野物語』を軸に多彩な映像や展示でご紹介しています。」

遠野文化研究センターがあり運営されていますが、その趣意書です。
「『遠野物語』の誕生から、百年の歳月が過ぎ去り、いま遠野とそこに生きる人々は、あらたな百年に向けて歩み始めている。遠野という、『遠野物語』を産み落とした土地こそが、やがて主人公となることだろう。そこに堆積している歴史や文化や風土をひとつひとつ掘り起こしながら、明日の遠野を創るための糧としなければならない。
 それらを丁寧に記録し、土地の記憶のアーカイヴへと育てていく。そして、そこから明日をデザインするためのたくさんの知恵や技を汲みあげ、再発見することになるだろう。
 遠野文化研究センターは来るべき百年に向けて、あたかも東北が厳しい試練にさらされている2011年の春に創設された。それは、『遠野物語』を産んだ、遠野という地域の歴史や文化や風土を包括的に研究し、それを地域資源として生業や観光の現場に繋げていくことをめざす。
 文化を生きられたままに継承するためには、人を育てること、地域社会を守ることが欠かせない。開かれた市民参加の学びの庭を創らねばならない。
 思えば、遠野という土地の名前が、すでに大きなブランド力を秘めているのではないか。だからこそ、それをしなやかに、したたかに活用することにしよう。 遠野のあらたな百年を創るために――。 遠野文化研究センター所長 赤坂 憲雄」

「【遠野文化研究センターとは】
 遠野市には、『遠野物語』をはじめ、人々のくらしの中で生まれ受け継がれてきた豊かな文化資源があります。これらの文化資源の調査研究を行い、そして活用し、「永遠の日本のふるさと遠野」を実現するため、遠野文化研究センターを設立しました。
【沿革】
平成23年04月01日 遠野市立 遠野文化研究センター設立
平成23年06月12日 三陸文化復興プロジェクト 開始
平成24年02月10日 遠野文化友の会設立
【遠野文化研究センターの機能】

 皆さん興味深く「遠野物語の世界」、「遠野 人・風土・文化」の展示物をご覧になっていました。