2019年1月13日日曜日

1548「会津5」2019,1,13

—今回のように唐突に逆境に立たされた時、人はどう考え、動けばよいか、そこを弥右衛門さんはどう捉えてらっしゃるか。

佐藤:人間が動く時というのは、「悔しさ」しかないからね(笑)。そんな美しい論理では動かない。
 私が喜多方に帰ってきた昭和50年頃だけど、その頃は片方では三倍醸造清酒で、「量さえつくれば」と、酒蔵によっては設備投資をどんどんして。それを片目で見ながら、親父は「酒づくりは 杜氏に任せるから、お前は売ってこい」と言うわけです。
 それでトラックに酒をのせて売りに行っても、これがまたコテンパンにやられるわけ。相手はTVコマーシャル、新聞広告、しかも景品付きで、こっちはブランド力もないまま田舎から出て行って、そりゃあお話にならんわな。小売店を2日間で22、3店舗まわって、積んだ酒を細かくおろして、お愛想を言って、ご機嫌をうかがって、ちょっとあがってお茶を飲んで、老人の話相手をしないと買ってくれねえんだ(笑)。
 だからそこは、小さな蔵元の生き残り方。地域に合った、サイズに合った、そしてお客様のニーズに合った対面販売をすることで、そこが出てくる。つまりその裏には、したたかに生きていくための、オレたちなりの考えがあるわけです。
 それは、あんまり果敢に強引に攻めてもダメだけど(笑)、先走らずに「時代を読む」ということ。そして「時代を読む」ためには動いてないとダメさ。オーナーが自ら、お客様の現場に行き、同業他社のところにも行き、情報を持ってないと、未来に対しての投資がトンチンカンな投資になっちゃう。「儲かるから」って今流行りの商売に手を出したら、それは10年、20年でお終いだからね。

—エネルギーに限らずとも、これまで他県や他の酒蔵の取り組みで、「これは活きたな」ということはありますか?
佐藤:いや、そのままですよ。会津電力みたいな、小が大に立ち向かうなんていうのは、こちらはゲリラ戦なわけ。ただ一つあるのは、FIT(固定価格買取り制度)でしょう。これがなかったら、私たちはこんなことやりませんよ。
 昭和58年、熱塩加納村で、有機農業の世界に 小林芳正というリーダーがいた。これは県の農業関係の人間はみんな知ってるんだけど、オレも当時いい米が欲しかったの。添加物が入った三増酒なんかやめて、「純米酒をつくろう」と。それで純米酒づくりのために契約栽培したわけだけど、今は一俵一万円もしなくなっちゃった米が、3万円以上して、高くてね。でも、その小林芳正と一緒に、「消費者と顔の見える関係をつくろう」と。まさにその言葉を地で行って、だから常にゲリラ戦さ。

—ヨーロッパのエネルギーの現場では、だいたい協同組合をつくるところからすべてがはじまると。
佐藤:それが正しいんだけど、ヨーロッパはいいところも悪いところもあって、油断すると根こそぎ持っていかれるし、殺される。だから自分のところに資源がないと、協同組合的な、「みんなで守り合う」というのが出てくるんだよね。
 日本の場合は生協(生活協同組合)とか、今、彼らも安全安心とか、環境だとか、消費者運動をやってきて、2000万人くらいいる会員が一番のパワーだと思うよ。「個人から変えていく」ってことを考えた時、そこを見ていきながら、彼らも私たちを応援してくれるわけだ。そして彼らだって、日本が高齢化して人口減少で組織運営のために売上げを出す必要性がある。「次は何売るんだ」ってなれば、「再生可能エネルギーだ」ってなるわけでしょう。
 オレは地域だし、自分たちで水と食糧とエネルギーを持って、奪われたものを取り返す。自分たちでどれくらいのボリュームがあるのかと言うと、今の電気代にして、東電の設備やら送電線を買い戻せば、会津に3000億から4000億の会社ができるんです。
 会津でその規模は、それはそれはすごいです。会津には自治体17市町村あって、人口が28万人。その行政予算がどんなものかわかりますか?

—わかりません。
佐藤 喜多方が200億、若松が400億で、特別会計を入れたってその1、2割増し。そこに地方自治体、町とか村とかを入れたって、せいぜい1000億円、あるかどうか。
—そこに3、4000億の会社ができる。
佐藤 喜多方に3、4000億の会社。しかも、それをどこかから持ってくるわけじゃないよ。地元の資源による地域に根差した発電所が、卸しにするか小売りにするかは別としても、それを売上げにして、圧倒的に自由に使えるエネルギーとして、出てくると。
 会津は、ポテンシャルの塊なんです。ものすごい森林資源を持ってるから、雇用が発生するし、水力も風力も地熱もやることができる。

—確かに、会津のみならず、県全体の電力も賄えそうです。
佐藤:福島県はやれるんじゃないですか。ただ、問題は東電の水利権がね、「誰のものだ」と。「オレたちに返せ」と。「そうすれば、自分たちでやりますよ」と。
—「水利権を取り戻す」作業は、難しくはないんでしょうか?
佐藤:そんなことやってみないとわかんない(笑)。オレに力をくれればいいさ。金と情報と人材をまわしてくれれば、なんぼでもやるから(笑)。
—会津で9代目の弥右衛門さんが、山口県ご出身の 飯田哲也さんと共に取り組みをされています。本来、会津と山口は犬猿の仲かと(笑)。
佐藤:彼は仲間。それに仲間にはもう一人、末吉竹二郎というのもいて、あれは鹿児島だからね(笑)。だから、「今度の闘いは薩摩長州会津だぞ」と言ってるの。
—従来の関係性を超え、素晴らしいことと思います。
佐藤:そこ、クローズアップしてください(笑)。
—会津と薩長がこの事態を受けて共闘という、ある意味、ロマンを感じます。
佐藤:客観的に見てるのは楽しいかもしれないけど、オレたち当事者はなかなか大変よ。でも、長州だろうが、鹿児島だろうが、そこは志。有志だから、どこ生まれだろうが関係ない。
—それこそ昔ながらの土地と捉えがちな、歴史も深い会津で、弥右衛門さんは普通に先駆的な感覚をお持ちです。
佐藤:志を持ってるということと、その志の下には打算というか、合理的な考え方がないんでは仕方ないよね。「正義ばかりでお金も何も突っ込んで」ではなく、そこに経済性を持たせ、理想を現実にしていく。そこに、そういう「商人の根性」も持たせないとダメでしょう。
 公務員な学校の先生方は、給料をもらった範囲で、研究だけやってればいい。それはいいけど、机上の空論は役に立たないからね(笑)。」