2015年12月8日火曜日

523「好日一如1」2015,12,7

 師走に入りなんとなく慌しい毎日です。仙台では先月末に1度みぞれから雪になり、初雪があったようですが、私はいまだ雪に遭遇していません。暖かい冬で、過ごしやすくありがたいことです。
 木内鶴彦さんの講演会、ツアーが12月4日から6日に企画されていましたが、木内さんの体調不良で仙台にお越しになれずに中止になりました。しかし、木内さんの居ない木内ツアーに数名のキャンセルがありましたが、14名の参加を頂き、お陰様で実施できました。ありがたいことです。
 今年は7月の津軽、10月の出雲、12月の宮城を木内さんと巡る中に、古代日本の世界、縄文、アラハバキ、スサノウをテーマに、木内さんの視点で解き明かすことを意図して計画していました。木内さんの巡りは、今年は3戦、1勝2敗ですが来年はリベンジして下さるようです。来年は新たな視点で巡るとして、今回の木内さんの居ない宮城アラハバキの旅の内容をお伝えします。

 4日は終日雨でしたが、5日の明け方に上がり、少し青空が見える天気に回復していました。集合場所の仙台駅に向かう車中から、綺麗な虹を見る事が出来ました。今回の旅には幸先の良い徴を頂きました。
 全員揃い、7時半にバスは出発出来ました。ほとんどの方は津軽、出雲の参加者で全く初参加は1名でした。気心の分かる面々で明るく軽いバスの雰囲気でスタート出来ました。

 最初の目的地は仙台市の隣町、利府町菅谷にある伊豆佐比賣(いずさひめ)神社です。
 県道沿いにある小高い丘にある神社は遠めからその存在には気付きます。狭い道を登って行くとあまり手入れが成されていず、何か気が抜けてしまった、些かな感じのエネルギーの場所ですがここは、御祭神は溝咋比賣命(みぞくいひめのみこと)です。あまり逢うことが無い名の神様ですが、その神様については以下の方のようです。
「『古事記』の神武記に、 三島溝咋の娘に、勢夜陀多良比売(別名を溝咋比賣命、玉櫛姫という)と呼ぶ大変美しい比売がいたが、 この比売を三輪の神(大物主神)が見染めて結婚した。 そして生れた子神が富登多多良伊須須岐比売で、 神武天皇の皇后となったとある。」
 創祀年代は不詳です。以下の表記もありました。
「『新撰陸奥風土記』には、「天武天皇白鳳二年圭田を奉り神祭を行へり」とある。俗に、「御姫の宮」とも呼ばれていた。鎮座地の名称は、長者。昔、ここの九門長者という豪農が住んでいたという。」
 この九門長者にまつわる坂上田村麻呂に係わる伝説のあるところです。その伝説とは以下の内容です
「九門長者屋敷跡の伝説について
 ここには、今から約千百十余年前、奥羽地方でも名高い 豪農の九門長者の邸宅があった。
 その時、造った外濠や長者の井戸が現在も残っている。
 この長者屋敷跡について、次のような伝説がある。
『長者の家には、多くの召使が雇われていたが、その中に 悪玉という誠に醜い女がいた。彼女はもと紀伊の国の 斎大納言という公家の姫君でたいへん美しく頭のよい 娘であったが、伊勢参詣の帰り、悪者どもにだま され、この九門長者の召使として売られてきたの である。そこで、彼女は自分の身を守るため「普通 の人には醜い女と見え、身分の高い人にはもとの美し い姫の姿に見えるように」と守り本尊の観世音菩薩 に祈願をしていた。時に征夷大将軍である坂上田村麻呂 が蝦夷征伐の折、この九門長者の家のお立ちより になり、彼女を見そめた。延暦十八年巳歳(七九九)八月 一日、彼女は男子を出産、名を千熊丸といい、当時の人々 は神童と呼んでいた。千熊丸は十三歳になった時、母と共 に都に上り、父の将軍を親子の対面をし、二代目田村麻呂 将軍となった』ということである。」
 この内容に似たものは他にも見られるのですが、田村麻呂2代目という表現が気になります。

 神紋は九曜紋です。九曜紋は北極星を信仰する妙見信仰に見られるものですが、以下の解説があります。
「妙見とは北極星のこと。広辞苑では、北斗七星のことと載っている。
 古代より、洋の東西を問わず、太陽、星、月には神秘の念を持ち、畏敬の心でこれを崇めた。
 特に古代中央アジアの草原での牧畜を営む遊牧民にとっては、星座は実生活の羅針盤であった。就中、北極星は、その際たるものであって、この北極星に対する信仰は、広く世界に伝播されていった。中国では、道教に取り入れられたという。わが国にも渡来人の来朝と共に妙見信仰の思想が伝わったとされている。
 従って、最初の妙見信仰は、農耕神、地鎮神、鎮守神であって上記のような武勇の信仰神ではなかったといわれているが、平将門の御霊信仰の影響が結びつき、その武勇は、妙見の加護に由来するという伝承を生み出したと考えられる。
 この妙見信仰を象徴化されたものが、九曜紋、或いは月星紋と呼ばれるものである。」



 いろいろと盛りだくさんな謂れのある神社で、古の頃には大事な神様をお祀りしてこの地に恵みをもたらしたのでしょう。地名の菅谷は須賀の谷で須賀、須我はスサノウに通じます。これは次に向かう菅谷不動尊にも言えることです。

 同じ利府町菅谷にあり、車で5分弱の菅谷不動尊と道安寺横穴古墳群です。震災の影響で本殿の建て替え工事が成されていて、残念ながらお不動様は拝顔できませんでした。朝陽が丁度差込み初めて参道も輝いていました。奥宮は横穴古墳にあり、山道を5分程登るとあります。林の中に穏やかな日差しをうけてほんわかした場です。かつては近くまで海だったのかも知れません。ここは太陽の恵みを沢山頂ける陽だまりの地のようで、清清しい地です。将に須賀、菅しい谷です。