2017年9月30日土曜日

1078「シャーマン16」2017,9,30

 いよいよシャーマンライブツアーも最終を迎えました。最後の目的地、宮城県大崎市の
宮沢遺跡に向かいます。遺跡の紹介は以下です。
「昭和49~51年に行われた東北自動車道に伴う発掘調査で発見された奈良時代~平安時代の城柵・官衙遺跡である。大崎平野の北端部に位置し、標高50m前後の長岡丘陵上に立地しており、内部にはいくつかの谷がある。全形はやや歪んだ長方形で、東西1,400m、南北850mと、東北地方のこの種の遺跡の中では最大規模である。外郭区画施設は、築地や土塁で、位置をわずかに変えながら造り替えられており、櫓も所々に設けられている。
 なお、平成4年の調査で、ほぼ中央部に築地でかこまれた一郭が発見されているが、政庁か否かは判明していない。さらに文献上のどの城柵に該当するかなども確定しておらず、今後に残された課題は多い。」

 大分、陽が落ちてきていますが、バスはベストな時間に到着出来ました。
 東北自動車道脇の広陵にあるその遺跡からは360度の眺望が効きます。南に大崎平野、七つ森、舟形山など。










 丘の上には石碑がありますますが、そこでシャーマンライブのクライマックスです。西に日が沈み、東に月が登り、地で人々が自然に感謝をし人としての喜び、歓喜の声を発し、楽器を打ち鳴らし、舞い踊る。何とも言えない深い、大きな感動の時空です。全てが感謝と喜びに包まれたいのちの現われでした。これが大日月地の神のお示しなのでしょう。













 神人さんの導きによる陸奥の多くの皆々様への捧げ物です。主催者としては全てが大いなる存在の支援の中、計られた如く丁度良い、素晴らしい展開にただただ感謝です。









 丘を下りる時は駆け足で闇が迫り、あっという間に夜の世界です。全てを終えて仙台駅に向かってバスは進みます。
 バスの車中で皆さんから感想を頂きましたが、感動、喜び、感謝の沢山のお言葉を頂きました。そして是非とも又参加したいと。ありがたいことです。大いなる神の計いで、神と人とのコラボの旅であったように思います。           

 最後に神人さんからお言葉を頂きました。
「大久保さんには沢山お世話になっています。今回もツアーで新たな発見、感動、良き思い出が沢山ありました。それらは次回への期待へと繋がっています。
 今回、新たな形で更新出来たように思います。毎回良い感じですが、今回の違いは共演者が居たことです。にゅーさん、あやこさん、今回は参加者が少なくてギャラなしで来てくれるということで、そんな良き仲間3人ですることが出来ました。是までに無い大きなテーマを達成出来た感があります。
 秋田、青森、岩手、宮城の霊団と関わり、因縁にどう関わればよいのか。京都にいて青森で生まれたシャーマンとして何が出来るのかと考えました。そして今回は入れ物に徹するつもりのツアーにして、言いたい事を表現してもらうことにしました。
 色んな内容がありました。そして最後に沢山の出迎えをしてくれました。ありがとうございます。樺山遺跡では試されてやっていたのですが、それを受け入れてもらえて全部が上手く行きました。喜びを叫ぶ事は無いのが、霊人達は叫んでいました。それで一緒に喜びを叫びあいました。もう最高の財産です。シャーマンをやって来て良かったと思いました。
 前はさんざん虐められたのですが、苦あれば楽ありでした。今回テーマを持っていました。今それが終わりますが明らかに良い方向へ向かっていると思います。
 大久保さんはツアーの段取りを考えてくれ、下見をして決めて、とご苦労がありますが何も言わずにやってくれています。それをSさんは笑いながら応援しているナイスコンビです。これからも宜しくお願いします。運転手さんもありがとうございました。」

 神人さんが話し終えると丁度仙台駅が見えてきました。仙台駅には予定の19時半丁度に着きました。全てが驚きの2日間の陸奥シャーマンライブツアーでした。神人さんはじめ皆様ありがとうございました。来年も神人陸奥ツアーを企画します。ご縁の方は是非参加ください。日程はシャーマンライブは2018年6月9,10日、ライブツアー8月11,12日の予定です。内容確定したら告知します。
 その前に神人さん仙台5時間講演会、ライブは11月3~5日です。是非参加ください。http://genkiup.net/seminar/seminar303.pdf

 追記
 神人さんの2017,9,4霊媒日記に以下の記載がありましたので紹介します。
 「私は縄文北国である青森の地にて生まれ育ったシャーマンです。意識が縄文へと導かれるように遺跡近くにて点々と暮らしてきた経歴があります。
  人にはそれぞれ今生与えられた課題であり役目がございます。私の今生の課題と役目は、縄文と弥生の因縁浄化することにあります。シャーマンとして古の御魂らと繋がり言葉や音に変え、現代日本に生きる人々に真実を伝え、正しい歴史を御理解頂き、ネイティヴの御魂らの苦しみを解消してゆくことです。縄文と弥生の因縁解消こそが日本が抱える諸問題の根本解決に繋がると考えております。」

2017年9月29日金曜日

1077「シャーマン15」2017,9,29

 今回のシャーマンライブでのメイン会場は北上市の樺山遺跡です。以前、神人さんが訪れてこの遺跡でライブをした事がありました。兎に角、この樺山遺跡は西に北上川、焼山連山を見てその景色はいつもながら感動深いものがあります。



 以下が樺山遺跡の紹介です。
「この遺跡は、縄文時代中期の配石遺構群を伴う、縄文時代前期末から後期にかけての集落跡です。
 特に、配石遺構と呼ばれる石組み群が、丘陵西側の緩い斜面部から平坦部にかけての一帯に不規則に分布し、石を組んだモニュメントが37個発見され有名になりました。
 東側の高台上には約5,000年前の村が、西側の斜面には約4,000年前の村があり、モニュメントの造られた時期は謎の一つです。
 個々の石組みの石の並べ方にいくつかの型が認められますが、花崗岩(かこうがん)の細長い川原石1個を立てた周りに、数個の山石を放射状に並べたものを典型とします。
 石組みの下は少しくぼんでいますが、土こう(あな)と言えるものではありません。石組みに伴って出土した土器や石器から縄文時代中期のものと考えられます。

 配石遺構は、縄文時代前期から知られていましたが、樺山遺跡以降の代表的なものとして、秋田県鹿角市の大湯環状列石があります。これは縄文時代後期のもので、石組み群の中の日時計と呼ばれているものが、樺山遺跡の石組みに似ており、樺山遺跡のものを祖源とみることができます。 

 このような配石遺構は何のために造られたかについては、以前から墓地とみる説と、祭り場とみる説とがありますが、北海道地方では墓地がほとんどであり、その他の地方では両者があって一様ではありません。樺山遺跡では、墓であるかどうかをみるため、石組みの下の土を 「リン分」 の分析しましたが、墓としての確かな証拠が得られませんでした。 

 丘陵上には、配石遺構を造った人々が生活した場所と考えられ、縄文時代中期の竪穴式住居が復元されており、史跡公園として親しまれています。」 

 この中で注目するのは、大湯のストーンサークルの原型、祖源はこの樺山だとあります。樺山遺跡を始め、この北上市を中心に展開されている遺跡群が陸奥の縄文の中心であったのでしょうか。そして時代は下りますが、この地はアテルイの活躍した地でもあります。長きにわたりネイティブの中心と言えるのかもしれません。
 ここに最初に神人さんが訪れた時に、配石遺構のお墓で霊人のお叱りを受けた事があり、それ以降、古墳等でのライブは差し支える様にしているとのことです。

 竪穴住居が復元されてある丘陵でシャーマンライブが行なわれました。見晴らしの良い丘の上から、西に傾き始めた太陽、空、雲、川、山、木々、田畑に向かって、30分強にわたって神人さん始め3人のシャーマンライブが繰り拡げられました。





 皆さんも思い思いに自然に溶け込んで至福の字空間を満喫しました。仰向けで寝ていると飛行機が上空を飛んでいく姿が見えました。暖かい日差しを沢山受けて満たされる喜びいっぱいです。








 大きな感動を頂けました。演奏を終えて3人も晴れやかです。