この自鏡山は平泉町の立石山・二本立石から西南方向にあり、綺麗にピラミッド形に見えた山ではないかと思われます。近くに立石山もありますが、自鏡山には古から貴重な役割があったようです。以下にこの地、自鏡山・吾勝神社についての記載を紹介します。
「標高314米、廻りの山々より一際緑が濃く、落ちついた自鏡山に当社がある。
御祭神は吾勝大神・保呂羽大神・白鳥大神の三神である。頂上の奥宮は「安永風土記」によると、日本武尊が東夷征伐のため、当地に下向した際、吾勝宮を勧請し戦勝祈願したものである。
吾勝神社「小笹ヶ森」(持経山)現在の自鏡山に天照大神の御子、正哉吾勝速日天忍穂耳命を祭っている。現在白鳥神社(日本武尊)保呂羽神社(少名彦名尊)を合せて自鏡山の中腹に中殿の社を建立したのが当社である。
その由来は桓武天皇、延暦16年(紀元797年)坂上田村麻呂が朝廷の命により東下し、蝦夷を征するに当り日本武尊を相殿に勧請し戦勝を祈願したものである。当社はまた平城天皇、大同二年(紀元807年)伝教大師が霊社山を創立したという由来から吾勝宮又は勝宮と呼んでいたが、保呂羽権現として、篤く崇拝されている。
明治四年(紀元1871年)廃仏毀釈の法令により村社吾勝神社と改名する。昭和21年神道指令により、氏子・崇拝者より吾勝神社として護持され現在に至る。」
以下の写真のように端整な山容の山です。
25年3月24日に中山さんを同行して訪問していますが、中山さんはあまり記憶になかったようです。中腹まで車で登れます。中の鳥居から参道のかなりな数のきつい階段を登ると拝殿があります。社の奥に巨石が鎮座しています。
そこから山頂か木々の合間にかすかに見えます。細い山道を更に登ると、道路脇に鏡岩のような巨石は南に面してそそり立っています。更に道を進むと奥宮の小さな社があります。その裏手が山頂で、見事な枝ぶりの木はその存在を示して立っています。
山頂から眺望を楽しみ、北西に雪を頂く栗駒山、焼山連峰、北東に、平泉方面、大文字山、立石山が見えます。
「うましことなり。
この地の流れ、細きなるが、繋がりたり。
是よりなるなり。
放ちたる先は、西へ、南231キロ。
その先は、320。
そこよりは大きく広がり行く。」9:53
ここで凄いお言葉がありました。「この地の流れ、細きなるが、繋がりたり」です。嬉しき事です。放った先は西、南231キロ、その先320キロとあります。更なる広がりの役割を果たす事が求められています。
後で調べたら231キロは栃木県那須あたりで、そこはSさんの本拠地です。そこから320キロはどうやら奥三河辺りでは無いかとの推理です。
うきうきと晴れ晴れした軽快な足取りで下山しました。