2020年3月6日金曜日

1968「年運命運11」2020.3.6

 それでは、令和二年、今年全般のテーマについて、少し言及したいと思います。さて。今年全般に流れているエネルギーの質は、「展開」。ブログでは、「展開」を、天の気に合わせること― つまり、天心で過ごすことが、展開を「天界」のバイブレーションにのって、過ごしていくコツとなるよー、というお話をさせていただきました。
  当メルマガでは、このことをもう少し踏み込んで、別な角度から書かせていただければと思っています。実は今、私自身日々の中で、「何を想うか」ということは「何を体験したいか」と同義語である。ということを意識しながら暮らしています。

  想うという漢字をよくみてみると、心の相と書くように、心がおりなすカタチであり、同時に、心の位相…つまり、想いのエネルギー順位が、「想う」の中に、込められているということです。
  物質には固相、液相、気相といった三相の諸相があるように、心というエネルギーにも、いくつもの諸相があります。一般的には、歓び、幸せ、感謝、情熱といった心持ちは、 エネルギー順位が高く、不満、不安、嫉妬、恐れといった心持ちは、エネルギー順位が低いとされています。
  エネルギー順位が高いものは、宇宙の気=天心と同調しやすく、エネルギー順位が低いものは、発動不足というのでしょうか、宇宙の順延な流れと、逆向きのエネルギーとなるので、
宇宙の気と同調しずらくなります。

  ですので、基本的には、愛や喜び、感謝といった周波数を選択して、身口意を揃えていく、ということが肝要になります。けれども、時にはそれを意識してくらしていても、まるっきり逆の資質をもつ出来事に出逢うこともありますよね。
 たとえば、嫉妬や不安、怒り悔恨といった質のものです。時にはそれが思わぬ形であらわれたりして、とまどうこともあるでしょう。けれども実際は、そんな時こそチャンスだということです。
 それは、一気に、愛のレベルを高めるためにやってくる、宇宙のレッスンであり、同時に、自分の中で未消化だったもの― 愛と反対の指向性を持っていたエネルギーが、今まさに消化されようとしている姿でもあるのです。

 このからくりをしっていると、たとえ何かあったとしても、「あ、しめしめ。今までそこに眠っていて気付かなかった、未消化のエネルギーが、表に出てくることで、『光還元』しようとしはじめているぞ」という意識で、出来事に向かい合うと、「なぜ? どうして?」という疑問や、「私なんて…」とか「どうせ」といった自己否定のサイクルの中にはまらなくて済むようになります。
 まぁ、そんな感じで、感情ドラマにはまりすぎず、かといって、感情を軽視しすぎず、その瑞々しい感情を上手に活用しながら、より精妙な意識を持って過ごすことに心を傾けていけたらと思っています。

 自分の心は、自分のものです。自らが船長となって、心の舵をとることが出来ます。
 自分が今現在、何を想っているのか?想いのベクトルはどこへむき、また、その想いはどこからきているのか?を感じながら、自分の想いに責任をもって過ごす、ということを選択したいと思います。なぜならこれからの時代は、その何気ない想いがそのまま、体験の質に影響を与えるからです。
 あらためて、自分の想いの根っこにあるものを見つめ、それが、愛からくるものなのか、もしくは、不安や怖れ、疑念からくるものなのか、を見つめ、もうすでに要らないと思う感情は、その都度手放していく、ということをされるとよいかと思います。

 ちなみに私はその作業を、以下の三つの言葉とイメージで、手放し、統合しています。
Step1「ゆるします」⇒出来事や想いをそのまま認め、赦します。
Step2「ゆだねます」⇒その状況や自分の感情をそのまま、天(内なる叡智)に還す、とイメージします。
Step3「愛しています」⇒ゆだねて空(カラ)になった部分に、愛を注ぎ込みます。このように、手放し、本来のあるがままの姿に戻していくという作業は、一見、地味でありながら、確実に高いエネルギーと同調するには、むしろ近道であるともいえます。
 意識を天に合わせて展開を愉しんでいく2020年。天の御心―天心と共に歩み、天真爛漫(≒天心爛漫)で進んでまいりましょう。」