映画撮影をしていた助手の方が頃合をみて口羽和尚に耳打ちしていました。それは和尚に歌を歌ってくださいというお願いで、天外さんも賛同して下さり、和尚の十八番の「イヨマンテの夜」を披露してくださることになりました。皆さんから盛大な拍手です。和尚は日頃から経を読みますので、その声量は素晴らしいものがあります。身体を動かしたくてうずうずしていた面々は大喜びです。
以前にも紹介しましたが、生命エネルギーの循環、発露には快食、快眠、快便が必須です。更にその上に、歌、踊り、祈りが大切です。その事は5月6日の「祈り」講演会で天外さんがお話していましたが、現在はもっとも祈りが不足しているとのことです。この旅では充分の祈りを捧げましたので、後は歌と踊りです。口羽和尚の美声に皆さん思い思いに踊り始めました。
ここでイヨマンテのことに触れてみます。
「イオマンテ (iomante) とはアイヌの儀礼のひとつで、ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界 (kamuy mosir) に送り帰す祭りのことである。
言葉としてはi「それを」+oman「行く」+te「何々させる(使役動詞語尾)」という意味。「それ」とは恐れ多いカムイの名を直接呼ぶ事を避けた婉曲表現であり、従ってイオマンテとは「カムイを行かせる」儀式の意である。また、語頭のiとoの間に渡り音のyが挿入されてiyomante=イヨマンテという発音になることも多い。
単にイオマンテという場合、ヒグマのイオマンテを指すことが多い。本来はカムイであればどんなカムイでも構わず、一部の地域ではシマフクロウのイオマンテを重視する。またシャチを対象とするイオマンテもある。
飼育したヒグマを対象とする儀式はイオマンテ、狩猟によって捕殺した野生のヒグマを対象とする儀式はカムイ・ホプニレ (kamuy hopunire) と呼んで区別することがある。「ホプニレ」とはho「尻」+puni「何々を持ち上げる」+re「使役動詞語尾」で「(カムイを)発たせる」の意味。狩猟で殺した直後の獣のカムイは、魂 (ramat) の形で両耳の間に留まっているという。そこでカムイ・ホプニレの儀式では祭壇を設えてヒグマの頭部を祀り、酒食やイナウを捧げてそのカムイに神々の世界にお帰り頂くのである。」
イヨマンテの歌詩、その経緯を紹介します。
アホイヤー ラハハ…… ラハハ…… イヨマンテー
1 イヨマンテ 燃えろ かがり火 ああ 満月よ 今宵 熊祭り
躍ろう メノコよ タム タム 太鼓が鳴る 熱き唇 我によせてよ
2 イヨマンテ 燃えろ ひと夜を ああ 我が胸に 今宵 熊祭り
可愛い メノコよ 部落(コタン)の 掟やぶり 熱き吐息を 我に与えよ
ラハ アアア ラハハハ アアアー ラハハア アホイヤ アホイヤ イヨマンテ
「 昭和24年(1949)に、連続ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の挿入曲「山男のテーマ」として作られたのが始まり。当初は歌詞がなく、ア~ア~というスキャットだけで歌われていました。
このメロディが気に入った菊田一夫が、アイヌの習俗をテーマとした歌詞をつけ、大人の歌に作り替えました。伊藤久男の唄でレコードが発売されたのは、翌昭和25年(1950)1月のことです。 アイヌを扱ったのが珍しかったうえに、伊藤久男の大声量の歌声が曲にぴったりで、大ヒットとなりました。
この年、NHK「のど自慢素人演芸会」では、この歌を歌う男性が続出しましたが、スキャットの部分がむずかしく、鐘1個で終わる者がほとんどでした。
この歌で、アイヌに熊祭という行事のあることが広く知られるようになりましたが、実際の熊祭は、この歌のイメージとはだいぶ違うようです。
この歌では、熊祭りは満月の夜に行われることになっているし、曲は南国的な官能性に満ちています。 しかし、実際の熊祭は、新春1月の昼間に行われ、夜もかがり火は焚かれないそうです。」
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2008/10/post-487c.html
続いて口羽和尚は般若心経をオペラ風に唱えます。皆さんは音と関係なく舞い踊りに興じていました。