2018年6月20日水曜日

1341「十字9」2018,6,20

 この貞任山・五郎作山・石仏山を抜ける山道では熊、カモシカ、狐など野生動物に遭遇しました。そして帰路は丁度、日暮れに時刻にあたり北の早池峰山などの山々、西の端に沈む綺麗な夕陽に出逢えました。車を止めて自然の妙、微細なエネルギーの光を満喫しました。ありがたいご褒美です。今日1日の恵みの感謝です。





新山石割桜の所のお言葉に「北より参るを受け止めて、多くへ 配るこの地なり。」とあります。北に付いてこの地に関わる、妙見への興味深い表記を見つけましたので紹介します。

「北(あべ)
 遠野の北に聳える早池峯山の上空には、北極星と北斗七星が輝く事からなのか、北辰であり妙見信仰とも結び付く山である。その早池峯山にはいくつかの安倍氏の伝承が伝わっているのも、安倍氏が早池峰信仰をしていたからに他ならない。そしてその安倍氏の出自が、未だにわかっていないのが現状だ。
 安倍氏は蝦夷の豪族である事から、もしかしてアイヌの血を引いているのではないかとされたが、平泉金色堂に祀られていた安倍氏を祖とする奥州藤原氏のミイラのDNAを解析したところ、アイヌ系のDNAは無かったようである。また神武東征の場面で、大和地方で東征に抵抗した豪族の長として長髄彦がいるが、その兄弟である安日彦(あびひこ)が安倍氏の祖ではないかとも云われる。安倍は「アビ」であり、火を意味するという。それが確かなら、安倍は火を意識して作られた氏名という事になる。
 ところで気になるのは、早池峯がかなり北を意識された山であるという事。ただ、早池峯の古くは東峯という山名だったという説は、以前に自分が否定した。東とは太陽の昇る意を含むもので、現実的にそれが適用になるには岩手県の内陸部である花巻地域から盛岡地域にかけて望む早池峯に限っての事である為、それは恐らく南部氏の意向を汲みとった山名であったと思われる。水沢の正法寺の裏山を早池峯と称して、毎年正月に参拝するのは、北に鎮座する本来の早池峯山の遥拝所であった為だ。
 また、大迫の早池峯神社の向きが、遠野の早池峯神社に建てられたのも、遠野側の早池峯神社を経由して、北に鎮座する早池峯山を遥拝する為だった。南部氏が力を示す以前に建てられた大迫の早池峯神社が北を意識していながら"東峯"という山名であったとされるのは、東という漢字の用法からやはりおかしいのである。
 日蓮宗総本山久遠寺の山号は、身延山(みのぶさん)である。その身延山の山号は、妙見にちなんでいるという。その身延(みのぶ)とは「みのべ」の転訛であり、本来「みなのあへ」からきているとされる。「みなのあへ」の「み」は「三」であり、「な」は「四」であると。 
 四三の星(しそうのほし)と呼ばれる星があるが、これは古くから伝わる北斗七星の古語になる。三と四の組み合わせで浮かぶのは、北斗七星。身延山が妙見を意識してのものならば、それはすんなり受け入れられる。そして「みなのあへ」の「あへ」とは、「北」そのものを云う言葉であった。「あへ」は濁点が付いて「あべ」にも転訛する。つまり「あべ」という言葉そのものが古来、北を意味していたという事になる。「あべ」が「北」を意味する言葉であるなら、"安倍貞任"が"魁偉"という北斗七星を意味する名称で呼ばれた事も、すんなり受け入れられるのだ。そして北に鎮座する早池峯山に、やはり北そのものを意味する安倍氏の伝承が存在するのも当然の事であった。
 現在、遠野・釜石・大槌の三地区にまたがって風車が建てられている風力発電の施設は、遠野側から向うと、貞任山・五郎作山・石仏山と連なって新山へと行き着く。ところでこの新山だが気になるのは、新山神社というものが岩手県にいくつも存在するのだ。この新山神社の殆どは早池峯を信仰する神社であるのが一般的になっている。」

 宿泊先は遠野市内の私たちの定宿、あえりあ遠野です。到着は19時15分過ぎています。チェックインしてお風呂を頂き、美味しい遠野産ホップを使ったビールに喉を潤し美味しい食事を頂きました。2次会もロビーを占有して1時間楽しみました。