・I、Tさん
「新しい響きのあわ歌を何回も歌えて良かったです。最後の藤里毘沙門堂で、中山さんの前に並んで、響きを受けられて、歌っている途中でこのまま行っても良い感じになりました。」
中山さん
「私もそんな感じになったが、歌っている途中、自分が無くなり、何処を歌っているかが分からなくなる感じになる。」
・G,Mさん
「前回の巡りでは、中山さんのお言葉は直接的なメッセージでしたが、今回は祝福されているようで気持が良かったです。車中にSさんとIさんに課題を頂きましたが「日々淡々になる」をやってみたいと思います。」
・S、Hさん
「今回巡った所は自然が豊かで、気持が良かったです。初めてのところが沢山で楽しみでした。中山さんのあわ歌の響きが新しくなったことで、少しボ~とした感じです。」
・O、Tさん
「今回は眠くて車中でほとんど眠っていました。降って来る光に自分も合わせる様に、自分が出来る様にと思いました。瞬間的に出来てもそれが継続できたらと思います。8月8日に向けてやっていきたい。」
・O、Yさん
「あわ歌の響きが胸で響いていた感じで、今回は頭の方に上がらない感じがしました。自然の中で歌えて気持が良かったです。」
・K、Hさん
「中山さんと一緒の車に乗れて、その都度の事が聞けて良かったです。光や響きが分かったかと言うと、良く分からないです。しかし清清しい感じでした。あわ歌会で頂いたお言葉が気に成っていて、11月初旬のことどうしたら良いのかと思っています。それと8月8日に響かせる事を、自分の中でどうするかが課題だと思いました。」
・S、Uさん
「今回、中山さん、Oさん、大久保先生の行程企画のお陰で、多くの出合いを頂けたことに感謝です。自然の中で響きが凄かった。特に昨日の響き凄かったですが、今朝の早池峰神社の響きはとても嬉しかった。山神神社も含めてほぐれていく感じで豊かさが拡がりました。亀の子岩では統合出来た感じがして、今回も参加出来てありがたかったです。」
・中山博
「今回は、響き、光を具体的にこんなふうに進めて行くというメッセージだった。「実際に自分でどうするか」、を他で言った事が無いことをかなり本気に伝えられた。
是までは「ただあわ歌を歌えば良い」だった。そのただただの意味を伝えていず、軽く捉えられていて、突っ込んでこれていない。
ただただで疑問が生まれ、無しの世界が目標に成って動いて行く段取りだったが、日本中歩いて伝えたがそうならなかった。無しに食いついて来ない。
今年になってから急激にきつく言った。前回の巡りでは「大変な事を伝え」、今回は「こうやってね」、と伝え、「そうしないと新しく成らないよ。」と言う事。今回もメッセージの言葉を続けて読んでみて、「それでどうやるの」、となると思う。
私の真似をしでないので良い。しかし伝える。私はうつけ、腑抜けの先に無しになる。お前が無しになる。でないとあわ歌の最後を歌えない。誰かを前にしている限り、理屈を言っても本物が出ない。
宇宙、地球の進行と本物のあわ歌が出る時を合わせていて、全てを統べていると言うが、本当だとすると、そうならない。降りて来るものは私の近くの円筒形の範囲で、私に身体をくっつけていると感じるが、私と同じ事が出来る人が何人もいないと、皆にということは不可能だ。だから私が発してその中で、全体がその響きに成れる様に、と言う事のようだ。
自分の身体も生命も預けることだが、誰もやらないでしょう。あわ歌を始めた事は、生命がけと言われていた。だから一緒に始めた人たちが皆離れて行った。今は地球上が酷い状態で、生贄ででも良くなれば良いという状況だ。
ただただ歌える人になって欲しい。次回8月には自然の中で一体となると少し感じられる。私は元なる地へ言って8月8日、1日歌ってみるが、皆もその日にどうなるか検証して次へ進んで欲しい。
納得出来なれれば止めたら良い。私も納得出来ないとそれ以上出来ない。皆さんも準備して心に留めてやって欲しい。」
ストレートな結論です。各自に委ねられ、覚悟と行動を問われているようです。そのタイミング、変化は8月8日に全てはかかっているようです。その直前に仙台であわ歌会と巡りが行われます。ご縁の方は参加下さい。
第 57 回 あわの歌会 & あわ歌唱和の集いhttp://genkiup.net/awa/awa57.pdf
中山博氏と巡る 陸奥・自然謳歌の旅http://genkiup.net/awa/30.08.04.pdf
第 57 回 あわの歌会 & あわ歌唱和の集いhttp://genkiup.net/awa/awa57.pdf
中山博氏と巡る 陸奥・自然謳歌の旅http://genkiup.net/awa/30.08.04.pdf