「新山からの早池峰&薬師
大槌に属する新山牧場からの展望は、北に早池峰と薬師を遠望し、東に大槌湾。そして釜石に聳える仙盤山や片羽山に、六角牛山をも見渡すできる事のできる見事な展望地となっている。
この一連の山々の麓に、安倍貞任の末裔が逃げ延び、移り住んだと云われる。初神に住んでいた貞任の末裔と云われる及川氏に話を伺うと、現在の初神には誰も住んでおらず、安倍貞任が祀っていた星の宮神社も、今では祭事は行われていないとの事。星の宮神社御神体も定かでは無いとの事だが、ただ昔から伝えられている事は、星の宮神社は星を祀っているというよりも、"空・山・川・石・大地・海"の自然を祀っていたのだという。
新山では、桜の木を愛でているかのようだ。全てを紹介できないが、いくつもの桜の木に、名前が添えられ保護されている。写真の石割桜は、北を背にした山の神を祀る鳥居を潜った中に、巨石と共に並んでいる。
桜は"コノ花"とも云い、火の粉でもあったようだ。巨石の傍に、もしくはタタラ跡に桜が植えられるのも、金の精製の過程の象徴であるからかもしれない。ところでこの貞任山から新山にかけて気付くのは、早池峰&薬師が見事に見えるという事だ。
貞任山には荒覇吐神社があるという事だが、ここで考える。貞任の祭祀とは、自然崇拝であったようだ。つまり朝廷側が普及させた木造の社を持つものではなく、自然祭祀であったのだと思う。
遠野の西にある種山もまた貞任の遺跡を確認できるのだが、巨石を二つ並べた間に早池峰が見える。神社とは"神の社"の意であるが、これは何も木造で建てなくてもいい筈だ。つまり石を並べたものでも、じゅうぶん神社として成り立ったのではないだろうか?
つまり種山の頂きの巨石を考えた場合、その巨石から見えるものが信仰の対象であり、その信仰の対象を枠取った巨石こそが神社そのものであったのだと思う。そして安倍貞任は、その巨石の中に何を見たのか?という事になるのだが、やはりそれは早池峯であろう。
新山(しんざん)は音読みであり、近代になってそう読まれたのだろう。つまり新山の本来は「にいやま」か「あらやま」であったと思う。「荒川の道」で記したが、荒は山伏などの用語では、砂鉄などの金を表す意でもあった。つまり新山神社の殆どが早池峰を祀る神社である事から、新山とは"あらやま"であり、早池峰とは金の山の中心であったのだと思う。
だからこそ、安倍貞任の祭祀や伝説には早池峰が付随する。安倍貞任の築いた文化や歴史の中心が早池峯であったのではなかろうか?つまりだ…この貞任山でいう荒覇吐神社とは、早池峰を祀る神社の意ではなかったろうか?」
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新山高原の石割り桜の周囲はツツジが群生していますが、既に枯れ始めていました。巨石の割れた間に見事に桜の木が聳えています。巨石の上に小さな石塔が祀られてあり、そこへの石の階段に縦に並んであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「北より参るを受け止めて、多くへ 配るこの地なり。
響きも光も、皆々ひとつ。
生まれ出で来る新たなるを送りませ。」18:08
既に18時を過ぎています。この地は携帯の圏外でホテルに連絡が付きません。早々に帰路に着きました。