2018年6月27日水曜日

1348「十字16」2018,6,27

 巡りも最後になりました。目指すは奥州市江刺区藤里智福にある「藤里毘沙門堂」です。
 以下が藤里毘沙門堂の紹介ですが、抜粋して紹介します。

「江刺市東部の丘陵地帯にある。地図上では智福神社とも書かれていて、神仏混淆の寺と考えて良いだろう。本堂は方3間の寄棟造。
本尊の兜跋毘沙門天。鉈彫物で10~11世紀のものという。国重文。
 毘沙門天の見分け方だが、四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天=毘沙門天)のなかでは一番見分けやすく、手に宝塔と戟(げき:槍みたいな武器)を持っているので他の四天王とはすぐに区別できる。そのうち、兜跋であれば地天の手のひらの上に立っているから両足は平行に開かれている。普通の毘沙門天ならば邪鬼を踏んでいるか、岩の上に立っている。また兜(といっても中国の西域の兜で、普通の帽子のようにみえる)をかぶっているのも兜跋の特徴とされ、普通の毘沙門天は何もかぶらずてっぺんで髪を結っているか冠を着けているだけだという。
 全身には鉈のあとが残っているのがよくわかる。これが鉈彫(なたぼり)という手法で、関東以北でしか見ることのできないものだ。いかにも東北の仏像という趣のある像だ。」

 宝物館にはもうひとつ普通の毘沙門天像もある。こちらは鉈彫ではない。
 兜跋との違いを見比べるのにもちょうどいい。(戟と宝塔は失われているが。)邪鬼を踏んでいるので片足をあげるようにして立っている。
 この像は県文だが、平安時代の像で兜跋像よりずっと優雅で洗練されている。これが藤原文化というやつか。手が欠けてなければ国重文になっていたかも。
 もっとも鉈彫の兜跋と並べるとインパクトは弱くなってしまう。


「東北には有名な毘沙門堂が三カ所ある。都の「はるか北方の守護」なる意味を込めている。南から江刺の藤里、北上立花、そして花巻成島。そして何れもが堂々たる毘沙門天の彫像を現在に至るまで残している。これらを南から順番に訪れてみたいと思う。
 藤里毘沙門堂の位置はわかりにくい。カーナビの指示通り目的地周辺に到着してもあたりにお堂らしきものは何も見えない。道路際にあ建てられた説明板にしたがって、草が生い茂った坂を登ると、収蔵庫ら式建物が見えてくる。あらかじめ、予約はしておいたが、再度電話して管理人の方に収蔵庫を開けていただいた。たったひとりの旅人に対してありがたいことである。
 まだ新しい建物の中には、数多くの仏像が並んでいる。その中にひときわ目立つ仏像が毘沙門天立像だ。2体ある。静かにすくっと立っている兜跋毘沙門天立像、もう一つ、躍動的な通常の毘沙門天像。なぜ2体あるのだろうか間近かで見る二つの毘沙門天像は、温かみを感じる。鉈彫りではあるが荒々しくはない。特に兜跋毘沙門天を支える地天女の御顔はすべての苦しみ、悩みを受け止めてくれるかのように温和である。もう一方の邪鬼を踏みつける毘沙門天は、端正でやさしい。人里離れたの腹の真ん中に、こんな立派な仏像が1000年という月日を超えて今に伝わる力の源をしみじみと思う。そしてしれを一人でこころゆくまで拝むことのありがたさが身にしみる。」
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 お堂は林の中にありますが、立派な駐車場、トイレが整備されています。愛宕神社も祀られていますが鳥居の脇に、樹齢1200年の杉の巨木と同じく樹齢1100年のカヤの木の巨木が聳え立っています。お堂の左手奥にも杉の巨木が鎮座しています。丁度、太陽が西に傾きその光が木々の間を差し込んで来ています。その光に1列に並んであわ歌を響かせました。

 その時のお言葉です。
「あ~あ~あ~
 許されし事なり。
 是よりの事ごと、見事に大いなる階段登る。
 この身にありて、この身に無し。
 行きて、帰りて、広きへ羽ばたく。」16;31

 終わって中山さんは膝を押さえてしゃがむ感じです。強烈なエネルギーが注がれたようです。お陰様で目出度く全てを巡り終えて新たな響きを頂きました。安心して一路仙台へ向かいます。