6月1日は中山博さんのあわ歌会でした。仙台で中山さんにお越し頂き、初めてあわ歌を頂いたのが平成20年6月25日でした。ですから中山さんとご縁を頂いてもう直ぐ12年目になります。
最初に頂いた12年前のお言葉を読み返してみました。
「大事な事をお伝えいたす。
この地にありしは古き霊なり。
篩いて篩いて多くが新しきと成りたり。
これより起こるこの地の変化に、古くは多くの芥を受ける。
新しきと成ること早きに分かりて頂きたし。
この事を告げる御役をお願い申す。」 20年6月25日
この時、私に頂いた事は、「大きな変化が起きる事を分かりこの事を告げ伝えることを役割にお願いする」とありました。そしてその後、平成20年に頂いた3回のお言葉は以下です。
「この地、東の日高見となりて、これより大きなる力持たれまする。
皆々共々、新しき嬉しき宮となりて進みゆかれますよう共にお願い申しまする。
我ら一同力となりましょうぞ。」 20年8月2日
「生まれ出でるは大きな力ぞ。
これより日出ずる地の大艱難に向かいて、大きな力なしませ。
この日高見中心に繋がりて、その地を新しきへ導かれたし。
これより力与えます。」 20年9月27日
「思いかねたる大きなる身は、これよりこの地の北へと降りて開くなり。
その六つの地は大きな役目ぞ。共に開きて下されよ。
行く手は大きな輝きに満ちるなり。」 20年11月15日
言葉を繋げて見ると以下のようです。
「この地は東の日高見となり、これより大きな力を持ちます。皆々共々、新しき嬉しき宮となり、進みゆかれますよう共にお願い申します。我ら一同力となりましょう。
生まれ出でる大きな力は、これより日出ずる地の大艱難に向かいて大きな力となします。
この日高見中心に繋がり、その地を新しきへ導いてください。これよりその力与えます。
思いかねた大きな身は、これよりこの地の北へと降りて開きます。その六つの地は大きな役目で、共に開いて下さい。その行く手は大きな輝きに満ちています。」
11年が過ぎて、思い返すと将にこの言葉の様にあると思えます。果たして、行く手の大きな輝きに満ちた世界へ到達できるのか、いよいよの感じです。
あわ歌会場には15時前に到着しましたが、今回の中山さんの響きは又変わっていました。それはどうやら今日、6月1日からの変化の様で、中山さんもまだ不慣れのようでかなりのエネルギーを消耗しておられる感じです。
私の拝受の番です。中山さんの正面に座り、あわ歌の響きを頂きました。強い響き、振動が身体の隅々まで行き渡る感じで思考、己が消えて行き、全てがひとつの状態に高まって行きます。今までに無い内部での共鳴共振の増幅が暫く続きます。その後に頂いたお言葉です
「これより始める新たへと向かう道、進み行くはこの響きなり。
生み出だされる。
それぞれの深きに沈みた多くを出だして、ここに現し、大いなる生み出だしなり。
よくよく、見定められて進み、行かれませ。」
T,Sさんが頂いたお言葉です。
「ゆるやかなるなり。
開き行く行くは驚きのこと。
その中にあり、下されたるは皆々のもの。
悠々たるを持ち行きて、果たすは是よりその身の真なり。」
全てが煮詰まって来ている感じがします。クライマックスが近いのでしょうか。あわ歌は対する個々の存在に応じて明らかにその響き、振動が違います。あわ歌会の後の唱和会は中山さんのあわ歌に合わせる感じで歌いますが、皆さんと一緒に歌う時、各自が個々に歌う時と変え、自分の響きを発する事が求められているようです。その時のお言葉です。
「尽きせぬ思いとなりて、この地にあるなり。
響きを伝え、宇宙と一つにならんと致す。
是より大きく進む事となり、この響きも併せて進む。
皆々様方、多くの事を見る時と成りた。
揺らがず、進み行かれませ。」