2018年8月13日月曜日

1395「里山16」2018,8,13

 優雅な、贅沢な昼食を頂き、食後はこの「悟道の里山」の見学をお願いしました。案内はこの里山の責任者のEさんと庭など樹木の管理を1人でしている男性の方が丁寧に説明し、案内くださいました。
 ここはかつて遠野の有名な企業人が作られたもので、「万世の里」と呼ばれていたようです。しかしやがて荒廃し、廃墟になっていたそうです。そこを311東日本大震災後にあるご縁を頂いてM社長さんが8丁歩の敷地、建物などをすべて購入されたそうです。M社長の会社の本社は仙台市青葉区の北仙台にあるのです。
 Eさんは社長同様に石巻市出身で、現在も石巻から車で通っているそうです。2時間半かけての車の通勤は驚きです。石巻のテンメイ仲間、お米作りのでんでん虫のKをご存知で世の中狭いというか、何かのご縁がありそうです。
 しっかりした古民家、倉、屋敷ですがその荒廃ぶりは大変なもので、通って来るのが嫌と思うほどだったといいます。皆さんと協力して片付け、掃除をし、今ある姿まで再生し、蘇らせたのです。今はこの里山がとても気に入り、来ることが楽しみといいます。
 ここは宿泊施設にもなるようで、これまでも多くの方々が利用しているようです。食事を頂いた曲がり家「真野家」の地下には岩風呂があります。ひんやりして気持ちが良い空間です。


 「真野家」の庭にでて家を見ると重厚な造りに驚きです。この茅葺の屋根も葺き替えをしたようです。考えただけでも、この里山作りにはとてつもない労力、人手、お金が投入されています。そこには当然、今あるような里山として活用していくビジョン、プランニングがあったのでしょう。

 私たちは通用門から入ったのですが表門から入るとすぐに「真野家」が見えるのですがその右手は東屋「瑠庵」があります。巨木を抱きかかえるように家に取り込んだ作りで、ここが作家の宇野千代さんの書斎、仕事場だったそうです。

調べてみると宇野千代さんのこの地との繋がりを知ることができる表記がありましたので紹介します。

「亡くなった作家宇野千代が愛したと言う寳壽院(真言宗)を訪ねた。周囲は10センチ以上の雪が積もっていたが万世の里と隣り合っていて万世の里の茅葺き屋根の門や同じく中の茅葺き屋根の荘厳で大きな別荘風の建物が目を引き、庭や門に植えられた桜や紅葉の木の配置も良く、春と秋が待ちどうしい気持ちになる。寳壽院も含め無人で寳壽院は門も閉まっていた。ここはさすがに宇野千代が愛したというだけのことはある場所だ。」

「20年ほど前、私は岩手県・遠野市の「万世の里」というところに招聘されて、そこに穴窯を築き、作陶していました。そこの村長さんが宇野千代さんで、よくいらっしゃいました。「素晴らしき仲間」というテレビにも一緒に出ました。当時宇野さんは87~88歳で、いつも薄くお化粧をして、色っぽい方でした。」

 林の中の散策路を暫く進み行くと陶芸の工房「陸奥窯山」、宿坊、ワイン貯蔵庫があり、菜園、リンゴ園を左に見てまた林の中に進むとお茶室の「無心庵」があります。数寄屋造りの本格的な茶室です。洗練された佇まいは確か帝国ホテルのお茶室と同じ間取りで建てられたとのこと。驚きの広さです。
 




 次は供養院「眞仁寺(しんにんじ)」です。ここは無宗派の寺院で、広く解放された安らぎの殿堂です。鐘楼があり舞台もあり池を見下ろす好立地です。お堂の中には十二支の守り本尊、子安地蔵、お釈迦様など祀られています。





 松林の参道を下って行くと仁王像2体が門番をしています。踊鹿の池を眺めながら表門から真野家に入り、戻ってきました。



 途中の石碑に「万世の里 宇野千代」と記され、更に同じく宇野千代さんの直筆なのでしょうか「幸福は幸福を呼ぶ」と記された石碑があります。



 その他、倉や味処「なごみ」などがありますが、まだまだ整備途中でこれからのようですが、果たしてこれらがどのように活用されるの楽しみです。いずれにしても採算度外視して今は投資の段階のようです。やがて地元でも認識されて有機的な利用がなされていくのでしょう。




 かれこれ2時間半ほどものんびり「悟道の里山」を楽しませて頂きました。