「国道340号線沿いの西内にある巨石。花崗岩の巨石で、その姿舌を出して麓を見下ろす龍の顔に見えることからこの名前がついたとのこと。その昔、栃内の沼袋に住み村人を苦しめた龍が石になったという伝説があり、胴体は二つ岩(栃内)、尾は大楢と角城境の河原にあると伝えられている。
実際に見た感じは確かに蛇やその類いの生物が舌を出しているように見える角度がある。舌はやや斜めに突き出しており、角度が変わると石棺の入り口のようにも見える。この巨石の下は人工的に積み上げられたように見える四角い積み石がある。これも自然のものであるならば、なんとも自然の造形力はすばらしいことか。」
「沢の治水工事を行った際に、金勢様が地中から発見された。以後、御宮を建立し、5月5日に例祭を行っている。子授けや女性の腰の病気に効験があり、また、豊作を司る神とも言われる。
金精様とは豊饒と子孫繁栄のシンボルとして男性の性器をかたどった石や木を祀る民俗神である。遠野ではかつては家々で祀っていたこともあるという。また、オトコサマという名称でよく似たものが祀られていることもあったという。
こうした民俗神は過去たびたび“淫祠邪教"として取り締まられた過去をもつ。戦前には有志によって持ち出され埋めたり隠されたりして守られたという話も聞く。いま残っている民俗神は地元の人々によって守り抜かれた貴重な文化遺産なのだ。
古くから続いてきた素朴な信仰を悪いものとして否定するという事自体が野蛮な考えとしか思えないのだが、善かれと思って始めたことが極端な全体主義となって作用することはよくあることだ。」
社の中にも外にも石の巨大な金精様が祀られています。性はいのちの継続、生きる大きな活力であり、子々孫々が栄えて行く原動力です。そこには神の摩訶不思議な力が宿り、崇めたのでしょう。この信仰は日本各地に見られますが遠野に残された貴重な遺産です。
巡りもいよいよ終盤です。最後は遠野市綾織町にあり「続石」の巨石です。以下の様に評されています。
「遠野物語拾遺第11話に登場する続石。盛岡から来る途中の綾織で散策出来る名所です。
続石の前には弁慶の昼寝場があり、背後には山神社がある。少し離れた左手奥には泣き石がある。この泣き石の奥にも大岩があるが名前はないようだ。
続石の全面には不動岩があり、とでかい岩がちょっとした岩壁となっている。この一帯には大岩がここかしこにあり、その昔地震や大雨かなにかで岩肌が現れたように思われる光景がこの山中にはある。続石も微妙なバランスで元々土に埋まっていたものが地表に現れたものだろうか。」
遠野物語拾遺第11話を紹介します。
「 綾織村山口の続石は、この頃学者のいうドルメンというものによく似ている。
二つ並んだ六尺ばかりの台石の上に、幅が一間半、長さ五間もある大石が横に乗せられ、その下を鳥居のように人が通り抜けて行くことができる。武蔵坊弁慶の作ったものであるという。
昔弁慶がこの仕事をするために、いったんこの笠石を持って来て、今の泣石という別の大岩の上に乗せた。そうするとその泣石が、おれは位の高い石であるのに、一生永代他の大石の下になるのは残念だといって、一夜じゅう泣き明かした。
弁慶はそんなら他の石を台にしようと、再びその石に足を掛けて持ち運んで、今の台石の上に置いた。それゆえに続石の笠石には、弁慶の足形の窪みがある。
泣石という名もその時からついた。今でも涙のように雫を垂らして、続石の脇に立っている。
-『遠野物語拾遺 第十一話』より-」
更に以下の様な表記が続きます。
「遠野三山・石上山の南麓にあり、字名は山口なので、石上山への登り口であり、石上山の遥拝所として山神を祀っているのだろう。その祠の前に、2mほどの2つの巨石の上に、
7mの笠石を載せた鳥居状のドルメン。実際は、笠石は祠に向かって左側の大石の上にだけ載っている。鳥居状なので、もちろん人間が立ったまま歩いて通ることもできる。
『遠野物語』第九十一話には、この続石の奥で、鳥御前と呼ばれていた鷹匠が、赤顔の男女と遭遇。いたずらに刃物を抜いたところ、赤顔の男に蹴り飛ばされ、失神した。
山神の遊び場を汚したとされて、その祟りでその後死んだという話が載っている。」
続石は何度も訪れていますが不思議な造形物です。自然のものなのか人工物なのか不明ですが、自然のものとは考えにくいです。
予定の巡りを終えて帰路につきました。今日は何と言っても「悟道の里山」が印象深いものでした。
予定の巡りを終えて帰路につきました。今日は何と言っても「悟道の里山」が印象深いものでした。