そのことを私はタクシーでイメージしています。タクシーに乗って運転手に目的地を伝え、車は動きます。後は運転手に任せないと駄目です。それをとやかく言うと駄目です。すると、行き止まり、一方通行でいけない、ということになります。
心さんはちゃんと分かっています。途中で注文を付けるから駄目なのです。最後まで心さんが何をどうするか分からないので、心さんを信用して任せる必要があります。しかしそのことが出来ないので、途中で注文を付けてしまうのです。駄目と言うと駄目になってしまします。
心に描いたことが現実性を持っているのでそうなってしまうのです。心は難しいです。肉体は精妙に扱える様に進化して来たけど、もう一つ上の心は未だコントール出来ていないのです。だから不安になり、イライラし、不安が現実化するのです。気を付けないといけないことです。しかし凄い勉強になります。
コントロールするのが難しい車を借りているのです。上手く使いこなせる時に天之御中主神なれる、という途中の段階です。そういう心の使い方をしましょう。
注文を付けない話しのことで、途中で勘定はしない床屋さんの話です。
湯川安太郎さんは明治3年生まれ、お金に苦労して最終的にはそれが入る事になり、執着しなくなった方で、金光教教師のお話しです。
「途中の勘定はしない。」
先生、私には借金があり1か月なんぼのお金がないと生活ができないのです。神様にお願いしてあてがってください。
分かった途中で計算するなよ。と湯川先生方いいました。
そして1か月黒字で行けたので感謝できました。翌月は赤字になった。勘定してお陰が無くなったのです。次月は勘定しないで良かった。翌月は勘定したら赤字になった。
心に描かれた事が現実となるのです。神様にお願いした事だけを心に刻んでおくだけです。タクシーの運転手と同じで、途中で勘定したら駄目になる。心に描くのでそうなるのです。大丈夫だと安心が心に宿ります。ゴールを神様に告げたら後はお任せするのです。
私が45歳で逆転出来ました。何を心に刻むか、そこを大切にしておくのです。
自己制約が強いと想いが叶いません。自分に資格、能力が無く、身体も悪い、という自己制約があると駄目です。囲いが取れると何も考えずに動けたのに。
私の履歴書もひどいものでした。まっとうな職歴が無いのです。あの時、でも出願しようと思った事が凄い。自己制約が無くなったのです。
「背負いの雑貨屋さん」
ある行商の人は一家6人でかつかつで生きていました。奥さんの里も困りはて、そこの6人も面倒を見てくれというのです。そこでどうしたものかと、湯川さんの所に相談にきたのです。そしたら湯川さんはその6人を引き取りなさい、お陰様の種を貰いなさいと言われたのです。
そして引き取り生活したら3日目で1か月分のお金を全部使ってしまったのです。どうしましょう、と神様にお願いしました。そしたら神様に伝票を書いて出して置いたら良い、と言うので神様にお願いしておいたのです。
その方が大晦日に泣いてやってきました。お陰様で12人が生活出来る様になりましたというのです。
それは何故か。枠には自分が6人しかなく、かつかつで生きる能力しかないと思っていた。その自己制約の枠から外れるしかない。それが外れたので必要な時に、必要なものがちゃんと入ってくる。