又、「袖振り合うも多生の縁」と言う仏語があります。
その意味は、知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ。
人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく。
「多生」とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味。
「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のこと。
「袖振り合うも他生の縁」とも書く。
「袖擦り合う(擦れ合う・触れ合う)のも多生の縁」ともいう。
誕生の目的は、長い歴史の中で経験して来た事を、人間の身体の中に入って、その癖を修正する事が目的です。それを修正する為の使命があり、数々の因果の中で、家族の縁、仕事の縁、社会の縁などを頂き、縁ある所で修正していき、調和させていくという使命があるのです。
実は、元々大いなる意識体は大調和の暇な所から、刺激を求めて作られたのがこの世界だといいますから、まったくの不調を好むように出来ているのですが、そこで学び、気付き、コントロールすることが大事です。しかし、なかなか上手くコントロール出来ないことがあるのが、ある意味で面白いし、深い学びになるのです。
私達は大きな宇宙階層性、次元、仕組みの中で生かされていています。宇宙意識を基に超意識、潜在意識、顕在意識があり、顕在意識の基に生命、心、肉体があります。
その生命は宇宙の本質生命体、守護神、守護霊、という具合に三位一体で出来ています。これらは生命の波動を発していて、私達の肉体、体外、全ては情報に満ち満ちています。
生きるという事は目的、使命がありますが、そこには以下の様なことがあります。
・義務と責任があること。
・自力で使命を果たすこと。
・自分で自分の生命を生かし、他の生命を生かすこと。
・肉体に左右されずに、意志を持ち行動して使命を果たすこと。
・自分が人生の主役ですが、他と一緒にいる時には、それぞれの役割分担があるので、調和をする必要があること。
・今、自分出来る事をすること。与えられている事をすること。
使命と言っても一つでなく、多くの使命を持つ人もいるようです。しかし今、必要な使命を果たす事が大事で、ある意味でそれしかありません。
魂の修行で、意識を高める、人格向上の為には、苦労や悲しみの壁が用意されていて、それを乗り越え、学び続けることが必要です。そこでは人に頼らずに自分で生きることを学びます。働く事、仕事を通して学習の場とし、奉仕し合う心が必要です。しかし、仕事や職業は使命ではありません。
私達には人と調和する使命がありますが、それは具体的に以下の様なことです。
・喜んでもらうことをする。
・悲しみをほぐしてあげる。
・人を自分で出来る事で導いて差し上げる。
・人にのんびりさせてあげる。
・悩みを聞いてあげる。
・人を信じてあげる。
・幸せにするように努力する。
・人を楽しくさせる。
・人に飲み物を与える。
・人を創造主に導く。
・創造主に感謝することを教える。
・宇宙創造主の存在を教え、逢わせる。