<第4の場面> 訴えても勝てない。しかし、さらに訴えを続けることは断念し、これが天命(神の意志)なんだと退いて、心を入れ変えて、今・ココで自分が出来ることだけに専念して精一杯取り組んでゆく。そうすれば、神様は必ずあなたを護って下さる。
<第5の場面> これは訴えを取りさばく人。その判定に「えこひいき」があってはならない。権力の圧力に屈せず、公平に裁くことができれば、目先で損はしても、長い目でみれば、結局運命が開ける。
<第6の場面> ついに訴訟に勝ち、君主から褒美の服や帯を頂く。しかし、訴訟に負けた人たちの恨みを買うことになり、結局地位や財産を剥奪されるはめになる。訴訟に勝つということは決して誉めるべきことではない。必ず負けた人たちの恨みの念の波動を一身に、また子孫にも浴びることになり、反動が必ず来るということを忘れてはならない。訴訟や争いは無いに越したことはないのである。
いかがですか。今年は紛争が頻発する多難の年になりそうです。もしあなたが争いに巻き込まれても、『何で私がこんな目に…』などと悲観せず、『ほい、おいでなすった。易の神様がおっしゃる通りだ』と、アドバイスをもう一度読み返して行動の指針にしてください。 それに、「天の下に水」ですから、今年もやはり水害が多くなりそうです。
他力の教え-その3-
これまでに一番多くの人によって称えられてきた「お経」は、わずか六字の短いものではありますが、断然『南無阿弥陀仏』です。そこで次は『南無阿弥陀仏』という「お経」を取り上げて、その秘密を探ってゆきましょう。
(原文)南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)
(現代訳)阿弥陀仏さまに、身も心も投げ出し、一切お任せします。
(解説)そもそもの発端は、お釈迦様が菩提樹の木陰で坐禅しておられて悟りを開かれ、「人類の魂が進化過程を完了するビジョン」をご覧 になったことでした。このあたりのことは、「般若心経」の本で、すでに説明しましたね(『劇的に運が良くなるお経』カドカワ出版)。
その時点から「釈迦時間」と「釈迦空間」がスタートしました。そこから「釈迦時間」と「釈迦空間」が演出するドラマが次々展開してゆき、ついに菩提樹のもとでご覧になったビジョンが地上世界に実現した時に、この「釈迦時間・空間」が使命を終えて終了し、また元の「時空の一点」に戻ります。
この「時空の一点」のことを「永遠」といいます。時間的な延長上に永遠があるわけではなく、時間や空間を無限に生み出すこの一点こそが、本当の「永遠」なのです。
この時空を生み出す一点のことを『古事記』では、「ときじくのかぐの木の実」と暗示的に示しています。
垂仁天皇が、多遅摩毛理(たぢまもり)に「大陸に<永遠の生命>の秘密を説く教えがあるそうだ。私はその教えをどうしても知りたい。お前が大陸に渡って、その秘密の教えを学んできて私に伝えて欲しい」とお命じになって、大陸に送り出されました。