これは禅の公案です。これにどういう意味があるのか。これは自分の身に引き換えて考えてみます。
高級ホテルがあったら自分は入らない。
ドアがありそこが煌びやかなセレブの会合だったとしたら、自分だったら入らずに逃げます。
3番目の席が空いていたら、自分なら末席を探します。
指名されて直ぐに話しましたが、自分ならば、まだ準備が出来ていない、と辞退します。
このことは何を現わしているか。これは自己制約の想いが、人間には凄く強いので、私には出来ない、資格が無い、と避けます。しかしそれは全部嘘です。
ドアがあったら入りなさい。席があったら座りなさい。頼まれたらやりなさい。
で自分が出来ないのではないのです。どうなるかと思ったら駄目です。ドアがあったら入りなさい。席が空いていたら座るのです。私も部長と言われたらやり、教頭と言われたらやりました。
枠が外れたらそれが出来る能力は幾らでも入ってくるのです。やったら良いのです。失敗してもたいしたことではないのです。失敗しても御免なさいで、又そこからやったら良いのです。そこで勉強になったら良いのです。前に前に進んで行く事が大切です。
天命はそういうことで、今置かれた所でやって行く事です。どんなに小さい事でも良いから、世の中の人を、小さなことでも明るくし、幸せにして行きたい、という事をちゃんと持てないと駄目です。
自分だけとか、家族だけ、というのは間違っています。天命とは、祈りを持って今、現実でやる事をやる。それで良いでしょう。
・自分に自信がない。自信を付ける方法は。
自分を許せるか。自信の無い人は1番、自分を許していません。自己批判をしているのです。そしてどうしても自信が湧かないのです。自分の中にあるあらゆるものが、実はそのままでOKなのです。それを否定したり、抑えている人は辛いです。
お経をあげたり、坐禅するのは身体でします。頭ではしない。身体で出来ると自信が出て来ます。私はそうでした。そして今は何でも出来ると思っています。宇宙にアクセス出来るので何でも入って来きます。しかしそれは難しいですが。
自分を認めて、受け入れて許し、愛する事です。過去に積み残している自分があるのです。何々チルドレンです。そんな人を見ると、見えるのは迷子で泣いているイメージが浮かんできます。過去に色んな事があり、今、立ち止まって、辿り着いていない少女がいるのです。その少女を抱きしめて許して、一緒に連れて来るのです。
しかし運んで来ては駄目で、自分で、自力でこっちに歩いて来る様にするのです。魂の断片の1つが統一されて全体性が出来て輝いています。そうなると自信がある、無いは問題なくなります。全部を許すのです。過去の憎しみ、過去を憎むと自分のいのちを束縛する事になるのです。