42歳の前までは不幸せ状態です。それは、貧しい、寂しい、虚しい、と言う状態です。
しかし45歳以降は、幸せな状態で、豊か、賑やか、生きがい、の人生になったのです。
不幸せはこの3つで集約されますが、貧しいのは経済のこともありますが、心が貧しいのです。世界と繋がっていない、自分として小さい存在で、いのちが貧しい状態なのです。
寂しいも、みんなとぜんぜん離れているのです。虚しいは、何処にも所属しない、何も生産していない、そんな虚しさです。
そんな状態から変換出来るヒントをお知らせ出来たら良いなと思います。
いのちに囲いがあるのでは無く、いのちが流通しているのです。それは一体感のある人生で、そこから進化して、皆、自分と分かってきたのです。
「自己他己」と言います。自分を現わしている己と、他として現れている己と、道元さんが言っています。これに近づくと幸せになってくるのです。
※この「他己」というのは、道元が多用する言葉である。他の存在について言い表すにあたって、他の存在と自己の存在とが切り離され対立したものではなく、つながり合って密接な相関関係にあるということを示すために、「他」に「己」という字をつけて「他己」とするのである。この場合の「他己」とは、人に限らず山川草木などすべての存在者をさす。
何故貧しいか。それは閉じ籠っているからです。それでは水は流れてこないし、お金も流れてこないのです。自分の周りに囲いがあるから入らないのです。必要があれば入るのに、今、囲いを持っているので、恐怖心があるので入らないのです。
本来これからの時代は必要な時に、必要な所に入って来るのです。何も自分の手元にお金が無くても、必要な時に入って来る時代になるのです。そう作らないと駄目です。格差は恐怖心が作っています。それを無くするのです。
豊かさ、はそういうもの、囲いや恐怖が無いのです。私はお金が無いです。本を書いてもお金が入ってこないし、しあわせ通信もお金は入りません。その中で豊かさを実証していきたいと思います。
今は賑やか、です。昔は私ひとりで誰も来てくれませんでした。私が気づいたことを本に書いて、共鳴してくれる人がこうして集まって来てくれて、とても賑やかになりました。
生きがい。昔は虚しいことを味わいましたが、今は神様の思し召しをやっている、その流れを実感出来ています。それを惟神(かんながら)と言います。全ての人に神様の流れが来ているのです。皆、それに乗って生きられます。私はそれに乗って楽しく生きています。それに乗ると全てが自動ドアで、全く楽に生きられるのです。
しかし何故それが分からないのか。囲いがあるから感じられないのです。流れのままに、その通りに歩いて行ったら楽に生きられるのですが、間違っている人がいます。思し召しの流れに逆らい、我欲を出して、なかなかしんどく、違う方に流されています。そしてしんどい生き方になるのです。
囲いを外す生き方をすると良いです。
どうして外すのか。坐禅をすることも1つです。坐禅をすると内側から外れ、ほどけます。学びに成ります。しかしそれをしない人は外から壊されるのです。逆境が来て、囲いを破らないとならなくなるのです。会社が倒産したり、自分が手放すしかない状態になって、それを体験するのです。
逆境で悟ったと言う人がいます。各分野の達人たちは本能的に逆境を招き寄せる人がいるのです。