自分が主人だと思っている内は駄目なのです。神様にお願いして行くと、ちゃんとやっていける、という事が分かったのです。これまでお金で苦しんで来たのですが、お金は要らんものだと分かったのです。それで頼まれて教会を開くことになったのです。
その時もお金5円、お米1升しか持っていなくて、それでやって行くという。家族が心配したのですが、それで死ぬなら神様のせいだ。これでチャレンジして行こうとやって行ったのです。そして大きい教会に成りました。金光教大阪玉水教会の湯川安太郎さんのことです。そこでは勧誘はしない、沢山の方々が集まってきました。
・自分の役割の見つけ方で参考になるものは。
五井昌久さんの言葉で「私達の天命がまっとうされますように。」が凄く良いと思います。
※五井昌久「私に荷物を預けなさい」より
「人間というものは、自分一人だけで生きているものではなくて、自分は先祖の代表としてここに来ているんだ、何々家、何々家の先祖がダーッと何千何万もあるわけです。それを含めた先祖が全部働けますように、というのが”私たち天命が完うされますように”ということなんです。
私たちというと、自分の夫なら夫、妻なら妻、子供なら子供だけが私たちと思うけれど、そうじゃない。“私たち”という言葉の中には、自分の今生きている家族、それから先祖、それらを含めている。天命というのは肉体だけの天命じゃなくて、霊界にも天命があるし、幽界にも天命があるんです。それを完うせしめ給えという祈りなのです。判っても判らなくても、そういう意味で”私たちの天命が完うされますように”という祈りがあるんです。」
天命は天から授かる使命のことです。天命と言うと人によって違います。私は「言葉の御用」を天命としてもらったのですが、華々しい事で無くて良いのです。
子供を育てることも良いのです。マリアさんはそれでした。自分が今やっていること、それがどういう役割になっているのか、人間の頭には分からないのです。でも今、自分にやって来た事が今の自分の天命なのです。だから一生懸命に、精一杯にそれをすることが大事です。
私の所には週末になると孫が遊びに来ます。近くの公園へ行って一緒に遊んでいますが、あっという間に時間が過ぎてなくなります。色々本の仕事などあるのでこんな事で良いのかと思うのですが、その時に必要な事をすることです。その関りがやがてどうなるか分からないのです。私がそこで孫を育てる事が孫にとってやがて活きるかもしれないのです。
本を書いていますが、読んでくださり、人が幸せになってくれ、次の世代に役立てる事をしてくれたらと思います。取り敢えず、今出来た事が天命なのです。
でも祈りとして神様の役に立ちたいとして「私達の天命がまっとうされますように。」の祈りを唱え、誠実に力まずに毎日を過ごしている事が大事です。そうするとパーと必要なものが来ます。
インスピレーションとして、又言葉として来る時もあります。あるいは出会いとして来る時もあります。それを素直に受けてやって行くことです。それがお金に成らない事かもしれないのですが、私はそれをずっとやってきています。その都度、色んな知らせで来るのでちゃんとやって行く事が大事です。