2019年3月31日日曜日

1625「シャーマン8」2019,3,31

Y、Tさん
「戦わぬ事。争わない自分を目指す。欲張らない自分になる。ここからの課題だ。競う自分から離れて行く時、今までありがとうと心から笑える。」

K,Tさん
「怠けていると怠け癖が現れる。言って終わりでなく、行動に変える。私はお前に厳しい。何故なら厳しさを求めているから。厳しくするには愛さないと出来ない。愛おしいので厳しく言う。」

I、Kさん
「疑う事は確認すること。本当か否か、確認することが大切なこと。疑心暗鬼という悪心に向けず、確認する意識。1つ1つ確認しないと間違った方向へ行く。」

K、Mさん
「人それぞれの生き方があり、物語りがあり、それを書き続けている。終わりがない。死んでも又、生まれ変わり、物語が続いて行きハッピーエンド。実は誰もがハッピーエンド。終わりのないハッピーエンドをこの世界では、実は数ページに過ぎない。10年で1ページ。10ページで終わる前にあせって書くことでなく、1文字、1文字を丁寧に書けたら良い。」

K、Oさん
「楽しませる。皆を笑わせ、励ます。皆の支えになる。それが役目。時に苦しいが背負う意識でなく、自分に出来るのはそれ位と楽に考えれば良い。出来ない事は出来ない。出来ない事をする。気楽な考えで良い。不真面目位が丁度良い。皆を励まし、楽しませたら良しとする。」

T、Sさん
「良き時期に入って、これから笑いが絶えない。思考の中にアイディアが出て形にするのが楽しい。色んな人と合い、試みること。この国に捉われない。色んなものと繋がっていく。それを楽しみたい。」

O、Nさん
「明るく楽しい人生とは。明るく楽しいとは何だろう。縁ある者たちとの対話が喜びの自分である。縁ある者と自分とどの様な対話をし、表現するか、伝え方だ。これから表現、伝え方をより喜びに変えていく事が自分の喜びになる。苦しくて楽しい課題だ。」

 39人へのお伝えライブは時間が超過するかと思ったのですが、なんと2分を残して58分で完了しました。驚きです。以前は霊伝といい1人に15分かけてお伝えをしていた頃もありました。各自の指導霊と繋がるまで浄霊浄化に時間を要して仙台では1人の方に30分を越える時間を要したこともありました。
 そしてその行為を行う事で神人さんが相当にエネルギー収奪が起きてかなり消耗されてお疲れになっていたことも多々ありました。昨年8月以来の神人ライブでは全てがスムーズで、仲間へのお言葉を聞いていても的確で腑に落ちる事が多く、全てにわたって神人さんの霊媒としてのレベル、能力が向上しているのを感じました。
 冒頭に神人さんもお話ししていましたが霊媒歴21年、霊媒の能力発揮も効率よく出来て来ている、そのことを実感します。12年前に仙台で始めてのお伝えの時とは全く違う、別物と感じます。我々は発揮できない異次元と繋ぐ貴重なお役目、これからますます進化して行く事でしょう。


2019年3月30日土曜日

1624「シャーマン7」2019,3,30

K、Hさん
「伝えている。その為に何が必要か。伝わる為にどうすれば良いか。人々はどのような伝え方を欲しているか。ここを紐解けば、あなたが伝えて行く事で良く成れる。」

M,Mさん
「笑ってごらん。許してごらん。自分が可愛らしく見える。笑う事は1つのアクセント。生きている中で自分を感じられるアクセント。今、私はこの場が喜びに感じられている。喜びを感じられる時、どんどん笑いなさい。笑っている自分を確かめなさい。」

S,Hさん
「願う事は、集中力を高め、向上させる。自分に言い聞かせる事。自分が成りたいと言い聞かせ確認する事。経験し、行動し、出来る原動力になる。それがある人が早く手に入れられる。」

F、Yさん
「違いを分かる事。1人1人と自分の違い、優劣だけでなく、それぞれの愛おしさに繋がる考え方。この人のこの部分が好きだ。この部分を1人1人に見いだせたら皆に愛され、自分が愛おしくなく。自他共に愛される事が幸せな生き方。」

O,Yさん
「憂う癖は何にも成らない。癖は結果。自分の世界観のもの。その中に何があるか1つ1つ向き合う。何故自分が選ぶことになったのか。その中にどの感情が込められているのか。羨ましい自分は何故?全てに原因がある。そこが分からないと思考の癖から抜けられない。自分で自分に良き指導をする事。」

T、Yさん
「強く思えば強く現れ、弱く思えば弱く現わされる。単純な仕組み。強く思うにはその理由がある。感情が動かされるきっかけがある。誰がどの様に変えられたのか。自分の選択は何かの因果である。自分がどの選択をするか、どの様なきっかけを自分に与えられるか。きっかけ、因果が無いとそうならない。その点と点を繋げる。」

S,Tさん
「あなたが人に対して出来る事は伺う事。伺い方を研究する。本音を言ってくれるか。真実として理解出来るか。聞き方が使命だ。自分の成長がある。誰でも自分の前で本音を言いたくなるのが目標だ。」

S、Tさん
「正しい、正しくない。そういうものはある意味、感情的なもの。感情的な物なので、強く動かされる。良くも悪くも、役目は人間の感情を何処まで追求し、どの様な感情が理想か。現実はどの様な感情が強いのか。その比較の中にすべき事がある。」

G、Mさん
「笑わせることが出来る自分を目指す。構えずにくだける。自分を解放し、戦うことなく笑い合うこと。笑わせられる自分になったら面白い人生になる。」

A,Tさん
「理解というものはその時になってなされるもの。必要なものが順になされる。準備が無いと理解されないならそれで良い。皆それぞれで良い。理解されない状態になっている事が問題だ。人に理解させられるものだ。」


2019年3月29日金曜日

1623「シャーマン6」2019,3,29

 いよいよ皆さん1人1人にお伝えが始まりました。希望の方は神人さんが前に来た時に手をあげて合図をします。前列から順々に全員を回って下さいました。主だった方のお言葉を紹介します。


H、Yさん
「負なる思考に対しどう接するか。自分の中にそれがあるが、優しく思ってあげる。中にあるから自分がよろしくない、低いものと責めない。それとどう付き合うか、時間を考えて、短くし、そこで何を学んだか。適切な関りをする。」

O、Hさん
「気持ちは色々なものに接すると影響を受けて変化する。草木、獣。人と関わるなら、人それぞれの感覚、感情がある。どのようなものに染まるか。良くも悪しくも自分に現れ、そこを通してどの様な事があるか学ぶ体験だ。逃げる事でなく、そこで学び取ること。」

S,Sさん
「自分にとって何が必要か考える。この人、この場に何が必要か。常に己は上から、大きな範囲で俯瞰するが、自分が何が出来るか。そこで意見を求めて、あなたたちは何を求めるか。1人でするのでなく、誰を繋ぐか、何をするか、改善する。任せて繋げる役割だ。」

S、Uさん
「理解すること。1つ1つ深めて行く事だ。理解することは興味を持ち、歩み寄ろうとする事。話しを聞く相手を観察し、1人1人に興味を持ち、愛が高まれば高まる程、見えて来る。何が必要か判断出来る。それが善き年の取り方だ。」

K、Yさん
「愛し方が課題だ。愛する事は与えること。相手と自分を照らし、活かし合わせ、喜びに変えていく事。愛する事は始めからあるのでなく、育んでいくもの。出来上がったもので無く、そこに縁が身近になっている。」

A,Mさん
「役目は死ぬまであり、死んでからも課題がある。小さいと思わず、今、与えられて課題だと思う。どの事もより喜びに変えられ、それぞれに手向けられた時、輝きながら存在出来る。多くの人と私達と共に。」

A,Kさん
「時間をかけて取り組む。より良きものを選ぶ。これからすべき事、拡げるのでなく、深められるもの。体験して来た事を繋ぎ、生かされていく事。」

A,Fさん
「未来は決まっていない。気にする事より、今与えられてある喜びに気を向ける。それはずっとあり続けるものでなく、与えられている事。味わう事の中で、未来にどの様な望みを持ち、期待するか今が繋がっている。不安を消すことからでなく、喜びの延長で未来を見る。」

O,Gさん
「ゆっくりで良い。ゆっくり歩むから優しくなれる。競うことを手放すので笑顔になる。満たされない思いは、これまで外の事をしてきたから。」


2019年3月28日木曜日

1622「シャーマン5」2019,3,28

 3月9日は神人ライブです。ライブは3部構成になっていて、かれこれ休憩をはさんで4時間半ほどの長時間ライブになります。
1部:浄音LIVE (60分)
~響銅(おりん)演奏による浄靈浄化の音魂の世界~
2部:お伝えLIVE (60分)
~指導靈からの個別チャネリングメッセージ~
3部:弾き語りLIVE (90分)
~祈り唄と祭り唄・シャーマニックライブ~

 今回は会場いっぱいの参加者で総勢39名です。残念ながらお断りした方もいましたが、神人さん人気は盛んです。

 第1部浄音(きよね)ライブです。照明を消して神人さんの響銅(おりん)、波紋音(はもん)、鈴などの金属楽器、太古が響き渡ります。音の振動、バイブレーションで浄霊、浄化の音魂ヒーリングです。ただひたすら目を閉じて音の世界に身を委ねています。
 少数の時は床に横になって塩袋を使って行った事もありましたが、今回は椅子で音に浸ります。1時間はあっという間です。この浄音ライブは第2部のお伝えライブの時に、各自の指導霊等の霊存在に神人さんが繋がりやすくする為でもあります。



・休憩をはさんで第2部お伝えライブです。冒頭神人さんからお伝えの説明がありました。
 「神人は21年目のシャーマンです。霊媒歴もこれ程になると効率が良くなってきています。私は青森県八戸市の生まれです。2か月前、今年の1月にちょうど50歳になりました。 
 20数年前から霊媒の機能が活発になり、異次元と関り、指導霊団の指導を受けたりしています。八戸は「いたこ」の発祥の地です。「いたこ」とは交霊術者のことですが、昔はカウンセリング、予言、病い直しなど全部していました。今、私がしているのは昔のシャーマンのしていたことで、病い直し以外の事をしています。

 生きるうえに必要なことは、どう生きるかの指針、志向です。それをお伝えするのがお示しです。平均1人1分位でコンパクトにお伝えします。
私達は肉体を借りて生きている霊的な存在ですが、正しい教育を受けてい無いのです。
 なんで生きるのか?死んだらどうなるのか?それを知らずに生きているので迷うのです。私の役割はそれを伝える事です。生き方が分からなくなりますが、その意味を幼少期から教わっていたら何ともないことです。

 肉体は自分のものではありません。生かしていることは自分でやっていません。使わせてもらっているだけです。霊は、存在の思考は何処から来るのか?メカニズムを紐解く時、己は何処に存在するのか?それはさながら野球チームです。
 自分がピッチャーで、監督が守護霊、コーチが指導霊で、ピッチャーに指示を出すのです。サインでやり取りします。グラウンドの中で励ますのが近親霊、先祖霊でそれらを全部ひっくるめて自分生命で生きているのです。これが真意です。しかしそのことを教わっていないのです。
 色んな指示が飛んできます。ネガティブなものや、敵も来るのですが監督、指導霊、仲間が励まして良い言葉を発しています。その思考の指導霊たちの言葉を伝えます。神人との関係を通じてします。
 指導霊は異次元のラジオのDJです。普段は自分の思考で受けているものを神人が伝えるのです。指導霊なので厳しく、優しく、励ましの言葉があります。
 ただ瞬時で伝えるだけです。神人はラジオに徹して個人的感情は入れません。全部感情を抜いて繋ぐだけです。スピーディーに繋がっていき、神人の中に記憶されません。電化製品でどの性能を上げるか、記憶力、感情を抜いて、スピードを上げものです。これが出来るのは世界で私だけです。ここまで来るのに時間がかかりましたが、今の様に進化しました。
 霊媒行為で向こうの思考を受信して私が伝える事は一番早いのです。先ほどの浄音ライブで浄霊浄化しているのですが、まだの人にはそれをしますが気にしないで下さい。



2019年3月27日水曜日

1621「シャーマン4」2019,3,27

 色んな方々に出逢いがあって今があります。この間、亡くなった人も沢山います。出逢いと別れもありますが、嬉しさ、悲しさ、切なさも多いです。主催者、スタッフ、コアなファンの方が亡くなると辛いです。その方々は不法侵入で私の所に来ます。各地でそれがあります。
 私のファン層は広いです。小さい子は3歳から88歳までで年の差は85歳もあります。若くても亡くなる方が多いです。女性の癌の方が多いですが、死を恐れない、悲しまない人が多いです。ライブに来ている方で、綺麗に亡くなる人には笑顔しかありません。皆に笑顔を刻みたくて来るのです。色んな事を思うと泣けてきます。

 活動歴15年です。先々月に50歳になりました。35歳の時は料理人でした。精進料理をする為に京都に住んでいました。その最中に神人をやっていたのです。精進弁当ライブ、精進フルコースライブもやりました。全部ひとりでして、凄いことで、馬鹿じゃないかと思いますが、その事をこなしていました。でも今はもう軟弱です。
 3年前からボイストレーニングを受けています。能力を高めて、よりレベルの高いミュージシャンとやりたいと思って始めました。ボイストレーニングやったら変わりました。トレーナーの方に人前に出る人は体力が無いと駄目、お腹が出ていては駄目、と言われました。色んな方のお陰で今があります。

「感謝」これに似た曲
「出逢い」
 今の歌でエネルギーを使い果たしてしまった感じです。悔いのない関りをすることがテーマだと思います。どこで生まれても、同じテーマだと思います。全ては悔いのある人と、悔いの無い人に分かれます。
 悔いのない人は笑っています。そして楽しんでいます。逆に、悔いのある人は暗く、重いエネルギーです。悔いの無い死に方が出来るのがベストです。それはどの職業でもそうです。
 花丸は人と比べる事でなく、自分の中でそう思えたらOKです。良心的に亡くなる人は死んだ後もキラキラしています。良い人生だったから、そのエネルギーがその答えです。苦を越えてキラキラ出来たら良いです。その意味で究極の自己満足を目指しています。

 人の喜びになれたら良いです。ライブをしていく事にして、料理人を止める年に、そして結婚する時に指導霊に言われました。
 「お前はどう生きたいのか?」「好きな事をしていけたら良い。」と、言いました。「しかしお金が必要です。」と。そこで「でもそう決めたらお金が入って来る。」と言われたのです。そして仕事を止めた時からずっとお金が入って来ているのです。
 指導霊は必要なだけのお金は必ず入って来ると言います。だから私には貯金は無いです。とても恵まれています。ですからちゃんと生きないと申し訳無いです。世の為、人の為に生きる事です。そしてこれまで出来る事をさせてもらって来ました。これからもそうしてやっていこうと思います。
 最後の曲、平日ライブに来てくれてありがとうございます。
 「大丈夫」です。




 久しぶりの唄語りライブでしたが神人さんの原点を見た素敵な時間でした。最近は神人ライブが人気で、特にお伝えが好評でそちらに参加希望の方が多いのですが、とても暖かく、喜びに包まれる時空間でした。曲は初期の頃のものを多く選曲下さいましたが、その都度のお話し、MCが心を惹きつけます。演奏も、唄も進化してきていて総合的な癒しでありギブの世界です。

 ライブの後は食事会でした。11名で参加者の多くが集いました。身近に色々なお話を伺えて濃厚な時間を皆さん満喫されました。時間もあっという間に23時半です。翌日がより楽しみな懇親会でした。


2019年3月26日火曜日

1620「シャーマン3」2019,3,26

 次はサードアルバムの「地球の声」です。
 3枚目のアルバムで、作成して7か月で完売しました。又レコーディングしたいと思っていたのですが、リメイクするのにもう数年たってしまいました。今年はリメイクアルバムを作る予定です。次も3枚目の曲で「神様の中」。

 1枚目の「流れ星」。
 新しい曲がどんどん出来ています。アレンジして皆さんに聴いてもらう事にエネルギーを注入することになり、古い曲をなかなか歌えない状態です。なので、何処か寂しさがあって、昨年は少しためらっていました。
 私は異次元から曲を沢山頂けているので、いっぱい貰ってどうするかです。歌い込んで大事にし、完成度を上げることが大切です。そして究めたら良い物になるのです。でないと作っても歌わないものになり、ロスになってしまいます。
 今、私が欲しい物は何もありません。お金を使うのはギターの弦を買う位です。後はピックを買う位かな。非常にリーズナブルな男です。

 休憩を取り後半です。
「愛になる」
 年々スタイルが変わって行きます。どこかで原点に戻って見るのも良いなと思います。前よりも良くなっています。ファーストアルバムの人気曲の「愛になる」です。ボサノバ曲で、曲の様に愛になれたら良いですね。そうなったらもっと自分を愛せる様になるだろうと思います。経験することで人は進化します。

「和」
 ファーストアルバムの曲で、「和」はワルツ曲です。この歌詞の中に色んな事を詰め込んみました。2004年に出来た曲で今から15年前です。今年12月にライブをする予定です。
メンバー、スタッフ、人も入れ替わりました。主催者で初期からの人はそんなにいません。よっぽどでないと続けられないです。色んな人の御厚意でありがたいです。スタッフやその人たちは親戚だと思っています。血の繋がりは無いのですが、過去生からの縁ある人で、密な付き合いが出来る方々です。魂の中での親戚だと思う。大久保さんと里美さんがこれからも健康である事を京都から願っています。

「幸せの種」
 ファーストアルバムのレゲイ曲です。ファーストアルバムは良いのが多いです。歌っていてその頃に戻る感じがします。若返る気持ちです。今、髭を生やしていて白髪が多いなと思います。少し老けたなと思う。でも今の自分は今で好きです。年々良い年を取っている様です。憂うる事はありません。その時々で良いです。今の自分の顔も良い感じになってきたな、という感じがします。

「光」
 私の曲は異次元からパクッテいるだけですが、これも久しぶりに歌います。

「滴」
 滴は凄く古い曲で、まだ神人でない頃のものです。28年前に出来ました。当時の僕にはこの曲は凄く違和感がありました。僕がすさんでいた時に出来た曲です。何故こんな曲が出来たのか不思議でした。でも今、歌っていると合うのです。当時の僕には合わなかったのです。でもライブでやると人気があった曲で、異質な歌でギャップがあったのです。その頃から伏線がありました。




2019年3月25日月曜日

1619「シャーマン2」2019,3,25

 3月8日は神人さんの唄と語りの静かな弾き語りライブです。参加者は15名で少数で身近に神人さんを感じられアットホームな中に楽しい唄語りライブでした。その模様をお伝えします。


 最初の曲は「地球」です。
 ファーストアルバムの中の曲です。難しい曲で、高低差が凄くある曲なのです。民謡チックで沖縄っぽく、私の先祖、過去生で沖縄の時がありました。神人とは沖縄では「かみんちゅ」と言われています。その中にユタ、ノロがいます。
 神人でのライブはどちらかと言うと沖縄系で、青森建仁でのライブはもろ青森です。私は4か国語が話せます。青森の南部弁、津軽弁、標準語と関西弁です。関西には21年住んでいます。大阪弁は難しいです。大阪の人は大阪弁にプライドを持っています。
 和歌山へは29歳の時に東京から移りました。流れの気分で行ったのですが、そこは程よい田舎で、梅、ミカンの産地で、私の田舎の青森に似ているのです。海、山、川があり気に入りました。そこから京都へ移ります。

「桜」
 京都では3月末に桜が咲きます。青森では5月ゴールデンウイークですが、仙台は何時頃かな。今度7月に天命塾ツアーで山形に行きますが、東北は中心になる場所が移って来ています。青森から南へ移っています。出羽三山も聖地の時がありました。
 青森県は中央に八甲田山があり、私はそれが見えるところで育ちました。山、川があると落ち着きます。京都は川と低い山に囲まれています。今、嵐山の嵯峨野に住んでいますが程よく田舎です。京都は北を向いて左側が右京区で右側が左京区、何故か逆の呼び名に成っています。碁盤の目で作られていて、戦の時に目くらましの為に作ったようです。京都も好きです。
 横浜も好きですが父親が生まれ、幼少期にそこで育っていました。京都や横浜はいいなと感じますが、そこには住むまいと思っていました。しかし予定外に今、京都に住んでいます。良いと思って住んでいても、観光名所に出かける事は無く、出不精になっていて、家とスタジオの往復だけで過ごしています。
 東北の仙台は好きです。海、山が近い。和歌山へ行く前に何処に移ろうかと思った時、仙台にとも迷いました。和歌山は1年半いて、その後に旅に出て、何処に住もうかと思ったのですが、その時も仙台が候補地でした。しかし、住まなかった。福岡、沖縄も考えたのですが現実的でありませんでした。
 今月、沖縄にライブで行きます。過去生の所で、そこに行くと心が喜ぶが反面、悲しむ所でもあります。

「草木のように」
「いのち」
 昨年、予定したことが出来ませんでした。今年はレコーディングを考えています。昨年の11月から体力が落ち、免疫力が下がり、咳が止まらりませんでした。かつて咳で肋骨を折ったことがありましたが、咳のし過ぎで疲労骨折でした。
 今回も骨折するか心配しましたが、咳は落ち着いてきました。しかしエネルギーを消耗し、12月、1月は駄目でした。2月で少しづつ上がってきたと思ったら、3月に入って花粉症が出て来ています。仙台に来たら具合が良くなっていくかと思っています。これから体力を作り、ダイエットを目指しています。
 今日は普段やらない曲をしっとりと昔の様に歌いたいと思います。この頃は、神人ライブはシャーマニックになっているので、昔のファーストアルバムを聴いている人が多いようです。このファーストアルバムには私が言いたいことを全部入れていて、完結している内容です。

2019年3月24日日曜日

1618「シャーマン1」2019,3,24

 今年も神人さんの仙台ライブが出来ました。神人さんはシャーマン、スピリチュアルメッセンジャー、講師、シンガーソングライターとして多彩な能力を発揮しています。
 大日月地神示(前巻・後巻)の出版以降、好評で売れ行きがアマゾンで部門の後巻1位、前巻2位を継続しています。嬉しい事です。
 天命舎で3月8日から10日まで3日間の神人ワールドを堪能できました。

 実は神人さんのご縁は、2007年3月3日、4日に仙台で初ライブを行って頂きましたが、以来毎年、来仙頂き12年目を迎えます。多分、継続して主催しているのは仙台が一番古く長いのではないかと思います。
 2007年の案内に以下の様にあります。
・「生まれてきた意味を知る」 
日時:平成19年3月3日(土)15時~18時 ライブ&お話&お話し合い
               18時~ヴィーガン弁当&お茶で食事会
場所:青麻神社 拝殿   022-255-6670  (仙台市宮城野区岩切字青麻沢)
・「幸せの種を蒔きましょう」 ~みんなみんな幸せになりましょう~
日時:平成19年3月4日(日)14時~17時
場所;中山歯科 2階研修室

神人(Vo&Gタケ)唄語人&ヴィーガン料理人1969年青森県八戸市生まれ。京都在住。86’高校卒業後上京。料理、音楽、芝居、格闘技等幅広く活動。93’CD「雲水」 ひふみ神示と出逢い全国各地の神社を巡る。94’CD「流雲」 98’神霊とのコンタクト始まる(和歌山に移住)。00’「地球村」と出逢い地球環境&飢餓問題に目覚める(大阪へ移住)。02’「食」は世界を変える!を生涯のテーマにヴィーガン(100%植物性食品のみの食生活をする人の意)となり京都にて精進料理を学び始める(京都に移住)03’飢餓救済活動とヴィーガニズム(命の尊さ)を伝える為に京都を中心に“神人”の名でソロライブ活動を始める。04’CD「地球/ひふみ」。05’結婚、CD「和」。06’京都を中心にヴィーガン料理のプロデュ―ス&製作販売を手掛ける。飢餓救済をテーマにパネル写真展&チャリティーライヴに力を注ぐ。6月6日「天の日月の神」インターネット上のブログにて自動書記始まる。9月8日「お金の要らぬ世界」の建設を目指して賛同者を呼びかけ始める。
 神霊を通じて語られるスピリチャルメッセージ&遠い昔の民謡調の節回しで歌う世界平和への祈り唄は、初めて唄語りを見る人の価値観をも変えてしまう独特の世界感を持ち、いつしか深いうれしうれしの喜びの世界へと誘うことでしょう。仙台で初の感動の覚醒ライブへ!

 神人さんのプロフィールも初期の頃は読んでみると新鮮で、その流れが読み取れます。ここに書いてあるように、神人さんが6月6日にインターネットに自動書記のブログを公開して、それを見た宇都宮の友人Kさんが京都に神人さんに合いに出かけたのです。そして2日間滞在しこの方は本物だと確信し、その年2006年10月14日に宇都宮の気里庵で神人さんの初の地方ライブを開催したのです。その10月4,5日の天命塾の木内鶴彦さんの長野ツアーで彼からライブの事を聞いてお誘いを受け、面白そうと思い私が参加したのでした。
 ライブは何とも表現の出来ないこれまでに経験した事のない異質な、始めての音の響きでしたが、神人さんのブログで公開した自動書記の冊子を購入し、仙台でライブをして頂く様に依頼して帰ったのでした。御霊に響く何かが、必要が感じられた出逢いでした。そして2007年3月3日仙台の青麻神社の本殿でのライブになったのでした。

 神人さんも宇都宮に次いでの地方ライブでした。神人さんに仙台に来る新幹線車中で今日の参加者に1人1人にお言葉を伝える様に、と霊人からのお言葉があったそうです。人様に言葉を伝えることは未経験で神人さんも躊躇したそうですが、参加者27名全員に初めてのお伝えを頂けました。それが霊伝、お伝えの最初でした。
 私も頂いたのは1行の短い言葉だったのですが、残念ながらその時のお伝えの記録が見当たらないのです。

 それから、神人さんの霊媒としての活動も進化し多彩な能力の開花を見ています。これからも益々その進展が楽しみです。

2019年3月23日土曜日

1617「易経5」2019.3.23

質問:念仏しなければ極楽往生出来ないのではありませんか。念仏を称えなくても往生出来るのですか。

答え:自分の力量に頼った自力の坐禅ではなく、一切を他力にお任せするという心の状態になれれば、どんな行をやっても極楽往生できます。
 なぜ、ナムアミダブツという行だけで極楽に救いとろうとされたのか、もう一度原点に戻って思いかえしてみて下さい。

質問:それは、従来の仏道修行がとても出来ない弱い人、業(罪)が 重くて、これまでの仏教とは縁が結べない人にも手を差し伸べて、泥沼から救い上げてやりたいというお釈迦様の慈悲の心が、念仏という、そのような弱い立場の人たちにも可能な行によって、極楽浄土に向かわせ、救い取ろうとされたのでしたね。

答え:その通りですね。意志や体力が弱い人、魂が重いものを抱えている人を救うための念仏で、念仏行でなければ極楽浄土には往かせない、それ以外の行をやったらだめだとおっしゃっているわけではありませんね。
 私は、今はまだ全身でやる坐禅行が親しいのですが、もし病気になったり、歳をとったりして坐禅が出来なくなれば、そんな人のために用意して下さったお念仏を称えることになると思います。

質問:経典には極楽浄土は西方にあると書かれていますが、それはウソなんですか。

答え:古代には、インドからメソポタミア、エジプトに到る太陽信仰の通念として、宗教的な神話で語られる「東方」は、日の出の方向だから、「創造」を意味し、「西方」は、日没の方向だから「完成」を意味していたのです。
 ですから、極楽浄土が西方にあってそこに往くというのは、人類の魂の進化が「完成」に向かった時に住むことになる、「未来に出現するであろう地球次元の進化系の世界」を先取りして体験するということなのです。
 そして、そんな未来の素晴らしい世界を垣間見ることによって、その人は自分が目指している方向にしっかり自信を持つことが出来、勇気を持って再び歩み始めることが出来るようになるのです。

 このような、自分は必ず進化の最終地点に到達できるのだという確信を得た境地を、親鸞さん、法然さんは「 正定聚(しょうじょうじゅ)に住する」とおっしゃっています。
つまり、自分は必ず仏となれる(進化の最終段階に到達する)という事実にまったく疑いがなくなった境地を持つ人の仲間に自分も加入出来るようになったという境地を「 正定聚(しょうじょうじゅ)に住する」といいます。

質問:「正定聚」に加入すれば、どんな変化があるのですか。  

答え:何の変化もありません。煩悩が続くのも、迷うのも、加入前の状態とまったく同じですが、これから自分がどこに向かうのか、どこに到達するのかをすでに「知っています」。  ですから、悩みは悩み、迷いは迷いなんだけれど、安心して悩め、安心して迷えるのです。

 大きな船(釈迦時空間のたとえ)に、人類全員が乗せられて進化ゴールの港まで運ばれて行きつつあります。その舟の上で、私たちは右往左往して怒ったり、悲しんだり、笑ったり、ひっくり返って泣きべそをかいたりしています。
 しかし、私たちがどんな状態でいても、それは大きな船(大乗=大きな乗り物)の上で、その舟が間違いなく「進化達成港」 に入港できることを知っているので、迷いながらも安心しているのです。(つづく)

・マンスリー・メッセージ
ドアが開ひらけば  入ればいいけれど  無理矢理抉こじ開あけて  入ってはいけない
空席があれば  座ればいいけれど  人を押しのけて  座ってはいけない
心静かに  時を待つこと  時は味方です

2019年3月22日金曜日

1616「易経4」2019.3.22

 この「癒しと学びの場」が、「極楽浄土」です。その「場」の院長・校長さんは、お釈迦様の慈愛の面が強調されて「阿弥陀仏」と命名され ました。

 そして、この「極楽浄土」に往生(おうじょう)(往って生まれる)するためには、難しい修行はいらない、ただ「南無阿弥陀仏」というお念仏を称えるだけでいいのだとされました。  これなら、意志の弱い人も、罪が深く、魂が重くて、放っておけば地獄に沈みこんでいってしまうような人でも、お念仏の舟に載せれば、「極楽浄土」まで運ぶことができますね。

 さて、ここで誤解される方がいそうなので、さらに説明しておくと、この「極楽浄土」は、私達の「終(つい)棲家(すみか)」ではありません。私達の本拠地はあくまで地球世界で、この次元で魂の成長を遂げてゴールインすることが、私たちに与えられた使命なのですから、そのことを忘れないようにしなくてはなりません。

 「極楽浄土」はあくまで、私達の魂の傷を癒し、元気づけて、学びを順調に進めるための病院であり、学校なのですから、そこにいつまでも滞在することは許されません。
 魂の傷が癒え、元気になって、無事に一定の学習過程が修了すると、再び地球次元に復帰して、この次元での進化の歩みを続けることになります。

 たまに、いつまでもこの安楽な施設に留まっていたい、もう二度と地上世界に戻りたくないと駄々を捏(こ)ねる人も出てきますが、そんな人も滞在が長くなると次第に息苦しくなってくるのです。
 この施設は、なるほど快適で、住まいも贅沢な調度で飾られていますが、そこから出ることが出来ないでいると、次第にそこが牢獄のように感じられるようになって、やがて我慢出来なくなって、地球次元の世界へと戻って来てしまいます。

 極楽浄土は「終の棲家」ではないということを、法然さんや親鸞さんはしっかり心得ておられて、極楽浄土に向かう過程を「往相(おうそう)」、そして、 極楽浄土でしっかり学び、菩薩の資格を得て、地球次元の世界に帰還して活動する過程を「還相(げんそう)」と呼んでおられます。

 それから、浄土信仰の方が間違われがちなのは、極楽浄土は死んでから往くところだという誤解です。極楽浄土は空間的な場所にあるのではなく、魂の状態として存在するのですから、「その気」になれば、「そこ」に居ます。
 ですから、地球次元の世界に居ながら、極楽浄土に往ったり地上世界に帰ったりしてい るということもできるのです。その状態を親鸞さんは「平生業成(へいぜいごうじょう)」と呼んでいます。つまり、地上世界で日常生活をおくっていながら(平生)、極楽往生の事業が完成して、すでに往生出来ているという状態ですね。

 私の場合で説明しますと、私は自力の坐禅ではなく、他力坐禅を坐っているので、坐禅すると「極楽浄土」に往くことができます。もちろん、その往生の程度は、その時の私の身心の状態によってまちまちで、目だけ、耳だけ、触覚だけ、指一本だけ、足一本だけ往生する という場合もあれば、身心全体でどっぷり浸かりこんで有難いという場合もあります。  

2019年3月21日木曜日

1615「易経3」2019.3.21

 タヂマモリは、永遠の生命の秘密を受け継いでいるグループをついに見い出し、その教えを学んで日本に帰ってきましたが、残念なことには 垂仁天皇はすでにお亡くなりになっていました。そして、その永遠生命の秘密の教えが、実は「ときじくのかぐの木の実」なんだよと、『古事記』には書かれています。

 「ときじく」は「時軸」で、巻物で譬えると、この巻物の軸が「時軸」で、この軸に巻き込まれていた時間と空間が、サーッと伸びてゆきます。 そうして、その時空に描かれている絵巻物は「かぐ」なのです。これは「果具(かぐ)」(結果が具足されている)で、その時空の展開には、最終的なゴールがはじめから決められているのです。

 これはまた、「扇子の譬え」で説明することもできます。扇子がハラハラと次々開いてゆきます。これが時空の展開で、扇子を開く軸となっているのが「時軸」です。そして扇面がすべて開かれた時、その扇面には、ビジョンが現実化した光景が描かれているのです。これが「果具」ですね。

 ですから、私たちが生きているこの時間は、無機質なものではなく、お釈迦様のいのちがこもったものですし、私たちを進化のゴールへ、ゴールへとプッシュして下さる「味方」なのです。また、私たちが生きているこの空間は、私たちを包み込んでゴールまで送り届けてくれる「あったかい乗り物」なのです。私たちは「釈迦時間・空間」に生きていて、その時空の誘(いざない)に導かれて進化達成のゴールへと間違いなく向かっていますし、いつの日か必ずゴールに到達できるのです。

 しかし、困ったことが生じてきました。人類の魂が濁りはじめて、私たちが住む世界が泥沼のようになってしまったのです。足を取られて前に進むことが出来なくなる人が増え、中には、前に進むことをあきらめて、泥の中に沈んでゆく人も出てきました。

 これでは、なかなか地球次元の進化過程が完了しそうもありません。お釈迦様は、こんな事態をご覧になって、ウーンと腕組みして考えられました。

 質問:お釈迦さまは、三千年前に亡くなられたのではないですか。そのお釈迦さまがどうして、このような後の世の出来事にまで関わることが出来るのでしょうか。

答え:お釈迦様の使命は、人類の魂に地球次元の進化目標を達成させることで、そのために、「釈迦時空間」を生み出して、その中で、私たちを養い、育て、導いて下さっているのですから、お釈迦さまの地球次元の寿命はゴールの日まで存続し、私たちに全面的に関わって下さるのです。いのちがあるのですから、頭もあり、進化達成のために、最もいい作戦も考えて下さって当然ですね。

 そこで、お釈迦様が考え付かれた作戦は、「引き抜き大作戦」です。まず、泥沼にどっぷり浸かりこんで進めなくなってしまった筋力の弱い人たち、魂の体重が重すぎて浮き上がれなくなった人たちなどを重点的に泥沼から引き上げるのです。そして、ある施設に収容し、そこで魂の傷を癒し、回復させ、学びをさせるのです。そんな働きをする「場」を建設しようというわけです。

 そして、そのような「理想の病院、学校のような癒しの場」が完成し、その「癒しと学びの場」に、対象の人たちを地上世界から引き抜いて、ドンドン運び込む活動、「引き抜き大作戦」がスタートしました。


2019年3月20日水曜日

1614「易経2」2019.3.20

<第4の場面> 訴えても勝てない。しかし、さらに訴えを続けることは断念し、これが天命(神の意志)なんだと退いて、心を入れ変えて、今・ココで自分が出来ることだけに専念して精一杯取り組んでゆく。そうすれば、神様は必ずあなたを護って下さる。

<第5の場面> これは訴えを取りさばく人。その判定に「えこひいき」があってはならない。権力の圧力に屈せず、公平に裁くことができれば、目先で損はしても、長い目でみれば、結局運命が開ける。

<第6の場面> ついに訴訟に勝ち、君主から褒美の服や帯を頂く。しかし、訴訟に負けた人たちの恨みを買うことになり、結局地位や財産を剥奪されるはめになる。訴訟に勝つということは決して誉めるべきことではない。必ず負けた人たちの恨みの念の波動を一身に、また子孫にも浴びることになり、反動が必ず来るということを忘れてはならない。訴訟や争いは無いに越したことはないのである。

 いかがですか。今年は紛争が頻発する多難の年になりそうです。もしあなたが争いに巻き込まれても、『何で私がこんな目に…』などと悲観せず、『ほい、おいでなすった。易の神様がおっしゃる通りだ』と、アドバイスをもう一度読み返して行動の指針にしてください。  それに、「天の下に水」ですから、今年もやはり水害が多くなりそうです。

他力の教え-その3-
 これまでに一番多くの人によって称えられてきた「お経」は、わずか六字の短いものではありますが、断然『南無阿弥陀仏』です。そこで次は『南無阿弥陀仏』という「お経」を取り上げて、その秘密を探ってゆきましょう。

 (原文)南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)
 (現代訳)阿弥陀仏さまに、身も心も投げ出し、一切お任せします。

(解説)そもそもの発端は、お釈迦様が菩提樹の木陰で坐禅しておられて悟りを開かれ、「人類の魂が進化過程を完了するビジョン」をご覧 になったことでした。このあたりのことは、「般若心経」の本で、すでに説明しましたね(『劇的に運が良くなるお経』カドカワ出版)。

 その時点から「釈迦時間」と「釈迦空間」がスタートしました。そこから「釈迦時間」と「釈迦空間」が演出するドラマが次々展開してゆき、ついに菩提樹のもとでご覧になったビジョンが地上世界に実現した時に、この「釈迦時間・空間」が使命を終えて終了し、また元の「時空の一点」に戻ります。

 この「時空の一点」のことを「永遠」といいます。時間的な延長上に永遠があるわけではなく、時間や空間を無限に生み出すこの一点こそが、本当の「永遠」なのです。

 この時空を生み出す一点のことを『古事記』では、「ときじくのかぐの木の実」と暗示的に示しています。

 垂仁天皇が、多遅摩毛理(たぢまもり)に「大陸に<永遠の生命>の秘密を説く教えがあるそうだ。私はその教えをどうしても知りたい。お前が大陸に渡って、その秘密の教えを学んできて私に伝えて欲しい」とお命じになって、大陸に送り出されました。


2019年3月19日火曜日

1613「易経1」2019.3.19

 立花大敬さんのしあわせ通信はありがたいものです。毎年、新年を迎えると今年の易経での占いを教えて下さいます。今年も届いていますが、ご縁の皆様には是非ともお伝えしたい内容です。今年は「争い多き年」のようです。

「例によって今年も、年始にあたって今年一年、どのような点に注意して世を渡ってゆけばいいか、気を付けるべきところを「易経の神様」に アドバイスしていただきました。
 
 今年は「天水訟(てんすいしょう)」という卦が出ました。上卦は「天」で、「太陽」の運行は東から西に向いますが、下卦の「水」の「雲と雨」は、西から東へと 移動してチグハグとなります。何事も食い違いや摩擦が到るところで生じ、私たちのような「ユニティ(融合・調和・一体化)」を目指すお仲間もそれに巻き込まれてしまうかも知れません。そんな時でも、事前にこの易の神様のアドバイスを心得ておられれば、大事に到らず、うまく切り抜けてゆけるでしょう。

  易経本文をもとにして現代訳して解説も加えておきましょう。
「『訟』は、訴えること(訴訟)。正義があなたの側にあっても、あなたの訴えは聞き届けてもらえない。 訴えが通らないと分かれば、ホドホドのところで切り上げて忘れるようにする。そうすれば権力を持った相手であっても、あなたに強く当ってこないので無事に事は済み、長い目で見れば結局は吉となる。それでも相手を許せなくて、トコトンまで争いを続けようとすれば、あなたの人生は極めて凶相となる。
 いさかいを始める前に、まず有徳な第三者にあなたの訴えを聞いてもらい、冷静な判断を仰ぐべきである。
 このような状態の時に、焦燥感にかられて、何か新しい企画をスタートさせるのは無謀というものである。
 大きな紛争に突入する前に、食い違いが小さな芽であるうちに対処すれば、なんとか無事に一年を渡ることが出来る」

 この後、易経では『訟』の状況の六つの場面を紹介して、それぞれの場合の対処の仕方を示してくれています。あなたや家族やお知り合いが、もし『訟』の場面に遭遇していたら、 六つの場合のどれに対応しているか判断して行動の指針にしたり、助言してあげたりして下さい。

<第1の場面> 身分が下位のものが上位のものを訴えるのであるから、道理がこちらにあってもうまくいかない。事を長引かせてはならない。そうすれば多少の傷を負うことになっても、結局のところ吉となる。

<第2の場面> 身分が下でも強気で訴えるが、相手の上位者はそれにも増して強剛であるので、結局見事にはね返されて失敗する。引き下がって逃げ隠れるしかない。少数の協力者にかくまってもらい、謹慎し潜んでおれば、災いが身に及ばなくてすむ。

<第3の場面> 不満があっても訴えてはならない。今与えられているものは、あなたが自分の力で得たものではなく、先祖や先人達が苦労の末に作り上げ、あなたに残して下さった賜物であるということに思いを馳せ感謝し、謙虚に振る舞いなさい。不満の気持ちに駆られて争い、ついに先祖が残して下さった賜物もすべて失ってしまってはならない。決して不満の気持ちを行動に表わしてはならない。
 もし、あなたの仕事が一時脚光をあび、賞賛を受けたとしても、それはあなたの実力のせいではなく、神様や協力して下さった多くの人たち のおかげであると気づいて感謝し、自分の功績だと誇ってはならない。そんな高慢な態度を取れば、かならず反動があるということを忘れないこと。


2019年3月18日月曜日

1612「使命5」2019.3.18

 私が矢を持たされているという使命の事をお伝えしてきましたが、実は天音天画の野口さんに2015年、今から4年前に頂いた天画に矢が登場していたのです。以前にもこのブログで紹介しましたが、改めて少し振り返ってみます。

 お言葉は以下でした。
「神宝(かむたから)直命(ちょくめひ)受霊(うけ)て 共鳴(なり)ひびく
 虚空(こくう)の久良(くら)の 智慧宝(ちえたから)
 次代(じだい)の光明(ひかり)日本(にほん)の証明(あかり)
 産霊(むすび)一束(ひともと)自分道(じぶんどう)」


 絵には大きな弓矢が描かれ、「意」、「路」、「波」の字の白紙が降り落ち、丸く囲われた中に「命」と「塾」の字があり、矢じりの三角には「自」の字です。天命塾の事の様です。神宝の丸の中に「兄」がいて、「共」の字があります。この兄は亡くなっている長兄の事の様です。そして「弟」の私が、神宝直命を受けて、「仕」えるのでしょうか。兄の事は野口さんは知らないと思ったのですが?

 お話の中でいろいろ助言を頂きました。
「大久保は思いの外、望外の気で動かされて来た。苦労して当たり前と自分は思うが、あまり無理しない方が良い。気力で1日無理すると3~4日後にどっと来る。閏年生まれで人より1日長くお腹にいた。魂は永遠だが体力は限界あることを知ること。是までの繋ぎと、受け止めるものを頂いたので、しっかり認識して天命塾を引き継いで行く事です。
 白紙が沢山あるので、天からメッセージが降りてくる。「意」、「呂」、「波」、いろはを人の道として、どういう波動を出すか。大きな矢は白羽の矢で、梓矢だ。
 矢じりは自分で、三角形は坐禅を組んだ姿でバランスを現わす。それが天命塾のバランスだ。何をもって始めて来て、発信しているのか。的を絞りしっかり確認し、自分がやってきた事の違いを見せて行く時期に入って来ている。
 兄が亡くなっているが、兄からそれまでに頂いたこと、喜び事などが力の源となっている。後でもっと兄が共に働くようになる。そして兄と2人分働くことになる。実生活でもそうだ。兄と共鳴している事を実感できれば、共に在り、諸々を出来る様になり、流れも情報ももっと見えてくる。
 それが現実を生きる者と、時間を止めた者の違いだ。残されたものの寂しさがあるが、それが感じられない。それを感じて弱くなる自分が嫌だと思っている。何をしなければならないかではなく、今のままで良い。しっかり祈りは通じる。

 7月まで大変だ。天からの言葉が直に絶え間なく降りて来ている。昨年の七夕過ぎから変調が来ている。身体に来ているので順々にあり、今年の波動がもっと激しいので慣らされている。
 誓約(うけい)として受けてもらう事が必要で、パイプとなり五感に受けてもらう。そして今迄と違う体調に気付くこと。上の気を受け過ぎたことで身体に出るがいのちに別状ないので大丈夫だ。
 協は力が3つ。先祖から来ている。かなり凛々しい。母親から言わされる。無償の愛で心配している。やり過ぎだから寝かされる。
 諏訪権現が動いている。出雲が動いて諏訪が動く。剣、石上、熱田、鹿島、香取。勾玉。7つの宝珠を出す。私が四海竜王の祭りをしたが、海、山、火山は龍の背骨だ。
 開いても何度もある。それはローテーションで50年、60年ある。その歴史的繰り返しに来ていた。不条理を糺すためだ。それは中国か。
 日本の証明、大和民族の魂の大元だ。聖書と日本書紀、古事記は一緒だ。クリスチャンはエジプトからフランスを逍遥している間に、権力の問題がある。ルターの宗教革命の前で歴史的なことのリンクがある。
 生きていた時代の混迷を糺したいことを、ここを中心に発して行く。その役目で天命塾があり、種植えの役目だ。言葉だけでなく塾生へしっかりしていることをきちんと伝える必要がある。」
 
 言葉、内容に多くがリンクしていて連動が見られます。情報ソースを共有しているののでしょうが、そえを読み解く、予知能力には驚嘆してします。それがお二人の使命なのでしょう。この様な方々に縁して、指導、教授頂けている事に感謝です。

2019年3月17日日曜日

1611「使命4」2019.3.17

「荘厳であること:あなたは、自身の生命を高め、多くの人を導く為に励んで来ました。人の内面は変わりにくい。自ら厳かに、立派な姿勢を崩さず、勤めなさい。」

「支配すること。:あなたは、優れた感性を基に、青年の様に情熱を燃やし、励んで来ました。自らの強い影響力を考慮して、感情に左右されず、物の配分を図り進みなさい。」

「再生すること。:あなたは、周囲の人に大きな影響力を与え、自らも学び、励んで来ました。過去に体験し、学習した内容を深く思い出し、それを保持する様に務めなさい。」

「意志をもつこと。:あなたは優れた才能を活かして、本能に左右されず、生命に働きかけ、行動し、人に伝え、志を強く持つ様に務めなさい。」

「慣性をめざすこと。:あなたは、自身の現実の中で感じる物事、感覚により伴う、自らの行動等を含み、理性、意志により、左右されぬ様に務めなさい。」

「信頼すること。あなたは、自らの意思を基に励んで来ました。まず自分自身を信じ、関わりのある人達から信じられ、頼られる様に務めなさい。」

「醸成すること。:あなたは、人の情や心を大切にして、世の中の変化する様子を素早く得て、自身の志を高め、生活するように務めなさい。」

「分析すること。:あなたは、多くの人達のご縁を大切にして、一番理解に困難な自己を見つめ、細かく分け調べ、究めるように努めなさい。」

「結成すること。:あなたは、偉大な慈悲を基に、自らの優れた感性に従い、人脈を活かし、纏め、全体を構成するように努めなさい。」

「無上であること。:あなたは、自らの慎重さを基に、損害などを最小に止め、この上もない極めて素晴らしい成果を得る様に務めなさい。」

「要用であること。:あなたは、過去を振り返り、必要、不必要の判断をしっかり吟味して、将来、世の人の為に正しく切り開く様に務めなさい。」

「判断すること。:あなたは、自らの感性を基に、周囲の環境の整備を図り、気付きに対する評価、指導を、厳しい判断を下す様に務めなさい。」

「脇目をすること。あなたは、自らの感性を基に、他人の目を無視せずに、知恵をもって行うよう努めなさい。」

 改めて読み返してみると、頂いたこのような言葉は含蓄が深く、実践していく課題としては至難の事々です。しかし、それを目指し、意図して生きて来たことでもあります。今はその師との縁が終わっていますがありがたき導きを頂きました。
「あなたは矢をもたらされている。一つの方向、目的を決めて、的を外さない様に自分も学び、人を導くこと。」
 ひとつの的を定めて、外さないように学び、人を導くお役目を淡々と続けていきたいものです。

2019年3月16日土曜日

1610「使命3」2019.3.16

 人との調和の為の内容に通じるものに、仏教の教えに無財の七施があります。これは縁した方へのお布施ですので大切なことでしょう。
 曹洞宗での意味をご紹介します。
・眼施(がんせ) 常に温かく優しい眼差しを施すこと。
・和顔施(わがんせ)いつもニコニコ笑顔で接すること。
・言辞施(ごんじせ) 優しく時には厳しく叱る愛情のこもった言葉。
・身施(しんせ) 自分の身体を使い奉仕すること。
・心施(しんせ) 心配りや気配りや思いやりの心を持ち相手の立場になってみること。
・床座施(しょうざせ) 座席や場所や地位を譲ること。
・房舎施(ぼうしゃせ) 家や部屋を提供すること。

 私が1996年春、44歳の時に頂いた使命の言葉は以下でした。
「あなたは矢をもたらされている。一つの方向、目的を決めて、的を外さない様に自分も学び、人を導くこと。」
 頂いてそうなのかと言う感じでした。しかしその後、20数年人生の経験をして生きて来ている中で、どうやらそうだな、と思っています。それを言い当てる能力は凄いものです。
 そしてその時にさらにそれを実践していく、その都度の目標、道しるべの言葉を頂きました。最初の言葉が以下の「虚実について」です。

「虚実を知りなさい。見えない世界に真実があり、原因がある事を学ぶように。」
 今にして思うと当たり前の事ですが、当時はまだまだ理解が未熟だったようです。

 やがてその1996年の初夏に生体エネルギー研究所の佐藤政二先生にご縁をすることになりました。そこからこれは必要な世界だと確信を持ち、生体エネルギー理論、想造量子宇宙論の世界を学び始めました。虚実の極みを学ぶ学理、実践哲学は将に矢の的で、一生の目的、使命と出会えたのではなかったのか、と思っています。

 それから次々と、己の使命を果たす為の学び、気づきのきっかけの言葉を頂きました。以下の様な言葉です。

「整然とすること:何事にも恐れる事なく、自己を平らに整えて、正しい秩序を持って生活するように努めなさい。」

「慈愛をもつこと:生命の本質にある、優しい慈しみの愛を持って、素直に表現するように努め、そして調和に励みなさい。」

「透明を目指すこと:次元の違う清いガラスのような、素直で思いやりある心の根源から、優しい言葉を発する様に務めなさい。」

「悠長であること:あなたは冷静な判断力のもとに行動していますが、自分の見ていることは、全てが見ている事を知り、急いで改良しなさい。」

「取捨すること:あなたは道の事柄に対して興味を持ち学んでいます。数多くの対象から不用を取り除き、極めるように努めなさい。」

「自を研くこと:あなたは、勇気を持って、自ら意欲的に取り組み、感性を磨いて来ました。生命は宇宙の究極と同一化の為に、自ら研くよう努めなさい。」

2019年3月15日金曜日

1609「使命2」2019.3.15

 又、「袖振り合うも多生の縁」と言う仏語があります。
 その意味は、知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ。
 人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく。
「多生」とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味。
「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のこと。
「袖振り合うも他生の縁」とも書く。
「袖擦り合う(擦れ合う・触れ合う)のも多生の縁」ともいう。

 誕生の目的は、長い歴史の中で経験して来た事を、人間の身体の中に入って、その癖を修正する事が目的です。それを修正する為の使命があり、数々の因果の中で、家族の縁、仕事の縁、社会の縁などを頂き、縁ある所で修正していき、調和させていくという使命があるのです。
 実は、元々大いなる意識体は大調和の暇な所から、刺激を求めて作られたのがこの世界だといいますから、まったくの不調を好むように出来ているのですが、そこで学び、気付き、コントロールすることが大事です。しかし、なかなか上手くコントロール出来ないことがあるのが、ある意味で面白いし、深い学びになるのです。

 私達は大きな宇宙階層性、次元、仕組みの中で生かされていています。宇宙意識を基に超意識、潜在意識、顕在意識があり、顕在意識の基に生命、心、肉体があります。
 その生命は宇宙の本質生命体、守護神、守護霊、という具合に三位一体で出来ています。これらは生命の波動を発していて、私達の肉体、体外、全ては情報に満ち満ちています。

 生きるという事は目的、使命がありますが、そこには以下の様なことがあります。
・義務と責任があること。
・自力で使命を果たすこと。
・自分で自分の生命を生かし、他の生命を生かすこと。
・肉体に左右されずに、意志を持ち行動して使命を果たすこと。
・自分が人生の主役ですが、他と一緒にいる時には、それぞれの役割分担があるので、調和をする必要があること。
・今、自分出来る事をすること。与えられている事をすること。

 使命と言っても一つでなく、多くの使命を持つ人もいるようです。しかし今、必要な使命を果たす事が大事で、ある意味でそれしかありません。
 魂の修行で、意識を高める、人格向上の為には、苦労や悲しみの壁が用意されていて、それを乗り越え、学び続けることが必要です。そこでは人に頼らずに自分で生きることを学びます。働く事、仕事を通して学習の場とし、奉仕し合う心が必要です。しかし、仕事や職業は使命ではありません。

 私達には人と調和する使命がありますが、それは具体的に以下の様なことです。
・喜んでもらうことをする。
・悲しみをほぐしてあげる。
・人を自分で出来る事で導いて差し上げる。
・人にのんびりさせてあげる。
・悩みを聞いてあげる。
・人を信じてあげる。
・幸せにするように努力する。
・人を楽しくさせる。
・人に飲み物を与える。
・人を創造主に導く。
・創造主に感謝することを教える。
・宇宙創造主の存在を教え、逢わせる。


2019年3月14日木曜日

1608「使命1」2019.3.14

 前のブログ「天命」で立花大敬さんのお話しを紹介しましたが、色々と貴重な学びの機会に成りました。その中で私の天命、使命はと改めて思いました。大敬さん始めこれまで縁して、教えを頂いた先達の方々で勝手に私が思っている師が何人かいます。その中である師の導きの経過を少し振り返ってみたいと思います。
 その方との出会いは私が44歳の時ですから23年前になります。

 その時、人間のいのちの目的、そして使命を教えていただきました。
 いのちは人間がつくったものではありません。肉体として見ると両親、そしてご先祖様がいますが、生命はそれとは違う次元のものです。それを本質生命、宇宙エネルギーなどと言い、肉体の物質生命とは異なるものです。
 生命もひとつではなく、多くの霊体の集まりで、心、意識がその情報を引き起こし、環境や他の生命と波動的に同調したりします。その肉体の制限の中で意識を磨く事で、これまで受け継いで来た癖、業、カルマを修正出来るといいます。そこではその反省、努力、気付きが大事になります。
 その修正は生きてある時、エネルギー生命が身体に宿っている時しかできないのです。何しろ死んだ人は死んだままで変えられないのですから、生きてある事に謙虚に、感謝で今を己の目的の為に生きる事が大事です。

 その学びの為に、縁する人は自分と異なった性質を持つ人や、正反対の人を選択させられると言います。それが夫婦であったり、親、兄弟であったり、そういう方たちが自分の癖の修正の為に最適な人達です。
 ちなみに両親から色々な性能を受け継ぎますが、身体の左側は父親の方の先祖、父方の要素で、右側は母親の方の先祖、母方の方の要素でその全く違うもので自分が出来ているともいわれます。私達は沢山の癖を持ち生まれて来ていて、その違うものを調和させる事で生かされているのです。
 ですから前世でお世話を受けた事など、周りの方々に必要なことをさせて頂かないとなりません。対面同席五百生といいますが、出合う人、全てに縁があり、縁がない人はいません。そして全てに縁があり使命があるのです。私達の肉体の60兆個の細胞の全てに役割がある様に、私達人間も全て役割があります。

 ここで「対面同席五百生」の事を少し紹介します。
「これは、たまたま偶然にバスで隣り合ったり、たまたま喫茶店の向かいの席に座った見知らぬ人であっても、そのように同席したり対面したりする人というのは、これまで繰り返されてきた前の世で、五〇〇回は一緒に生きた人である、という意味です。「袖の振り合わせも五百生の機縁」とも言いますが、袖を振り合わせてすれ違うだけのような人であっても、目には見えない、深い深い縁があるということなのですね。
 すると、家族は、どれほど深い縁なのでしょうか。バスや喫茶店でたまたま同席対面の人でさえ、五百生という深い縁があるのですから、この世で親子となり家族となり、また夫婦となる相手というのは、もう500回どころの縁ではありませんね。千回とか、1万回とか?それはもう、ずっとず~っと長い長~い魂の旅を共にしている存在なんだな、そんな気がしてまいります。
 身近な人ほど、些細なことで喧嘩になってしまったり、すれ違ったりしてしまうものですが、前の世、その前の世、もっともっと遥か遠い世からの深いえにしが、自分と身近な人との間にはあるのだと考えてみると、(本当に前世がある、ない、かの議論はさておいて)、ムカツク親、うざい伴侶も、少し違った意味を持った相手として感じられてまいります。私の遠い遠い過去から、遠い遠い未来に続く魂の旅の同伴者なのだと思うと、相手も、また私も、お互いにお互いのために何らかの大切な意味を持っているのかも知れません。
 私たちは、どうしても凝り固まった考え方や小さな視野になりがちです。ときには、大きな眼差し、スケールの大きな考えかた、途方もない時の流れの側から、自分を見つめ直してみるのも良いのではないでしょうか。」
http://www.hasedera.net/blog/2015/11/post_399.html

2019年3月13日水曜日

1607「天命12」2019.3.13

 ダイヤ―さんのお父さんがアル中で2歳の時に家出していました。その為に彼は孤児院で大きくなりました。優秀で奨学金を貰い、大学に行って助教授になりました。そして啓蒙書を書いていたのですが本が売れなませんでした。
 彼はお父さんを憎んでいました。その気持ちが強かったです。ある時、友人がお父さんが死んだことを伝えてきました。お父さんが埋葬されている墓地に行ってみました。
 レンタカーを借りて行ったが、車の中に名刺が落ちていました。その名刺は写真入りで、何々ホテルのものでした。おかしいなと思ってポケットに入れておきました。ガソリンスタンドで墓地に電話をした。お父さんの墓を尋ねたら、何々ホテルの横にあると、言います。そのホテルが名刺のホテルだったのです。

 そこに行ってお父さんの墓で1時間位泣きました。そこではお父さんに抱かれている感じで、お父さんに導かれてここに来た事が分かりました。お父さんもお詫びをしたくて、こうして呼んでくれたと思うのです。今でも母に暴力をふるい、何故、出て行ったのが分からないのですが、それがお父さんには精一杯の事だと分かったのです。今、これで父への憎しみの気持ちを忘れます。と思いました。
 そこから帰ったら本が売れ、ベストセラーになったのでした。憎しみは人を束縛して可能性を小さくしてしまう、と思います。
 全部、全ての人が精一杯して、生きているのです。

 禅の会に看護師さんが来ていますが、職場の腹が立ってしまう患者がいて、その患者さんにバンバン言ってしまう、と相談された。
 そこで私が言ったのは、その人はそこで精一杯生きているのではないか。という事でした。皆、聖徳太子でないのです。凡夫でたいした事がないのです。皆、それなりに精一杯だ、という悟りが大事です。そう許して行った時に、自分の人生が変わる。のではないかという事です。
 だから、憎しみを引き付けるのは、束縛して、可能性を狭めてしまいます。まず、自分を許すのです。
「自分を許し、人を許し、自分を愛し、人を愛す。」という五井さんの言葉がありましたが、その様に生きて行かれたら良いのではないかと思います。」

※人間と真実の生き方 五井昌久
 「人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生ではなく、常に守護霊、守護神によって守られているものである。
 この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在に至る誤てる想念が、その運命と現れて消えてゆく時に起る姿である。
 いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難の中にあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得できるものである。

他にこんな表現もありましたので参考までに。
「神を愛し、人を許す。これがカルマを消すための極意です。このとき、自分を許すこと、自分を愛することも、どうか忘れないでくださいね。
 自分を許し、人を許す。自分を愛し、人を愛す。
 自分というのは神さまのことでもあるので、この表現も正しいと言えます。
 カルマなんてものは、「愛」の前には無力なものです。ただ、ちょっとカルマはしつこいところがあるので、というか、めちゃくちゃしつこいので、徹底的な祈りが必要です。
 一つのカルマ自体は愛によって一瞬で消えるのですが、カルマの量がちょっと多すぎるんですよね。あなたの転生の回数が多ければ多いほど、カルマも多くて重くなります。しかし、転生の回数が多いからこそ、あなたの魂は磨かれており、愛に目覚めることができるとも言えるのです。」https://www.gospelofcat.com/entry/2018/06/18/190000

2019年3月12日火曜日

1606「天命11」2019.3.12

 仰山(きょうざん)さんが寝ていました。夢の中で、歩いて行くと御殿があり、戸が開いてそこに入ると光がバーと入って来ました。その部屋の真ん中に弥勒菩薩様が座っていて、色んな菩薩さん達が集まって会議を開いていました。上席から3番目の席が空いていたのでそこに座りました。司会者が今日は3番目の席の方が説法の番ですと言われました。直ぐに立ち上がり説法をした。ということです。

 これは禅の公案です。これにどういう意味があるのか。これは自分の身に引き換えて考えてみます。
 高級ホテルがあったら自分は入らない。
 ドアがありそこが煌びやかなセレブの会合だったとしたら、自分だったら入らずに逃げます。
 3番目の席が空いていたら、自分なら末席を探します。
 指名されて直ぐに話しましたが、自分ならば、まだ準備が出来ていない、と辞退します。
 このことは何を現わしているか。これは自己制約の想いが、人間には凄く強いので、私には出来ない、資格が無い、と避けます。しかしそれは全部嘘です。
 ドアがあったら入りなさい。席があったら座りなさい。頼まれたらやりなさい。
 で自分が出来ないのではないのです。どうなるかと思ったら駄目です。ドアがあったら入りなさい。席が空いていたら座るのです。私も部長と言われたらやり、教頭と言われたらやりました。

 枠が外れたらそれが出来る能力は幾らでも入ってくるのです。やったら良いのです。失敗してもたいしたことではないのです。失敗しても御免なさいで、又そこからやったら良いのです。そこで勉強になったら良いのです。前に前に進んで行く事が大切です。
 天命はそういうことで、今置かれた所でやって行く事です。どんなに小さい事でも良いから、世の中の人を、小さなことでも明るくし、幸せにして行きたい、という事をちゃんと持てないと駄目です。
 自分だけとか、家族だけ、というのは間違っています。天命とは、祈りを持って今、現実でやる事をやる。それで良いでしょう。

・自分に自信がない。自信を付ける方法は。
 自分を許せるか。自信の無い人は1番、自分を許していません。自己批判をしているのです。そしてどうしても自信が湧かないのです。自分の中にあるあらゆるものが、実はそのままでOKなのです。それを否定したり、抑えている人は辛いです。

 お経をあげたり、坐禅するのは身体でします。頭ではしない。身体で出来ると自信が出て来ます。私はそうでした。そして今は何でも出来ると思っています。宇宙にアクセス出来るので何でも入って来きます。しかしそれは難しいですが。

 自分を認めて、受け入れて許し、愛する事です。過去に積み残している自分があるのです。何々チルドレンです。そんな人を見ると、見えるのは迷子で泣いているイメージが浮かんできます。過去に色んな事があり、今、立ち止まって、辿り着いていない少女がいるのです。その少女を抱きしめて許して、一緒に連れて来るのです。
 しかし運んで来ては駄目で、自分で、自力でこっちに歩いて来る様にするのです。魂の断片の1つが統一されて全体性が出来て輝いています。そうなると自信がある、無いは問題なくなります。全部を許すのです。過去の憎しみ、過去を憎むと自分のいのちを束縛する事になるのです。

2019年3月11日月曜日

1605「天命10」2019.3.11

 湯川さんも借金でどうしようも無い時にはっと気が付いて、自分の腕を信じていたが、神様を信じていなかった。もう自分の腕は要らない、神様やって下さい、私は番頭をします。借金は神様がやって下さい。とお願いしました。そしたら3か月で借金が無くなったといいます。
 自分が主人だと思っている内は駄目なのです。神様にお願いして行くと、ちゃんとやっていける、という事が分かったのです。これまでお金で苦しんで来たのですが、お金は要らんものだと分かったのです。それで頼まれて教会を開くことになったのです。
 その時もお金5円、お米1升しか持っていなくて、それでやって行くという。家族が心配したのですが、それで死ぬなら神様のせいだ。これでチャレンジして行こうとやって行ったのです。そして大きい教会に成りました。金光教大阪玉水教会の湯川安太郎さんのことです。そこでは勧誘はしない、沢山の方々が集まってきました。

・自分の役割の見つけ方で参考になるものは。
 五井昌久さんの言葉で「私達の天命がまっとうされますように。」が凄く良いと思います。

※五井昌久「私に荷物を預けなさい」より
「人間というものは、自分一人だけで生きているものではなくて、自分は先祖の代表としてここに来ているんだ、何々家、何々家の先祖がダーッと何千何万もあるわけです。それを含めた先祖が全部働けますように、というのが”私たち天命が完うされますように”ということなんです。
 私たちというと、自分の夫なら夫、妻なら妻、子供なら子供だけが私たちと思うけれど、そうじゃない。“私たち”という言葉の中には、自分の今生きている家族、それから先祖、それらを含めている。天命というのは肉体だけの天命じゃなくて、霊界にも天命があるし、幽界にも天命があるんです。それを完うせしめ給えという祈りなのです。判っても判らなくても、そういう意味で”私たちの天命が完うされますように”という祈りがあるんです。」

 天命は天から授かる使命のことです。天命と言うと人によって違います。私は「言葉の御用」を天命としてもらったのですが、華々しい事で無くて良いのです。
 子供を育てることも良いのです。マリアさんはそれでした。自分が今やっていること、それがどういう役割になっているのか、人間の頭には分からないのです。でも今、自分にやって来た事が今の自分の天命なのです。だから一生懸命に、精一杯にそれをすることが大事です。
 私の所には週末になると孫が遊びに来ます。近くの公園へ行って一緒に遊んでいますが、あっという間に時間が過ぎてなくなります。色々本の仕事などあるのでこんな事で良いのかと思うのですが、その時に必要な事をすることです。その関りがやがてどうなるか分からないのです。私がそこで孫を育てる事が孫にとってやがて活きるかもしれないのです。

 本を書いていますが、読んでくださり、人が幸せになってくれ、次の世代に役立てる事をしてくれたらと思います。取り敢えず、今出来た事が天命なのです。
 でも祈りとして神様の役に立ちたいとして「私達の天命がまっとうされますように。」の祈りを唱え、誠実に力まずに毎日を過ごしている事が大事です。そうするとパーと必要なものが来ます。
 インスピレーションとして、又言葉として来る時もあります。あるいは出会いとして来る時もあります。それを素直に受けてやって行くことです。それがお金に成らない事かもしれないのですが、私はそれをずっとやってきています。その都度、色んな知らせで来るのでちゃんとやって行く事が大事です。


2019年3月10日日曜日

1604「天命9」2019.3.10

 そのことを湯川安太郎さんが指導しています。
 信者さんの娘さんが、お母さんがお茶屋を経営しているが、その娘さんもお店を開く事になった。神様にお願いして下さい、と言ってきた。すると湯川さんが、何をお願いするのか?と尋ねた。娘さんは、お客さんに好かれる様に。と答えた。
 娘さんが、翌日またお願いに来た。すると先生はまた、何をお願いするのか?と。その様に何度も聞いたのです。
 それは願いの焦点をきちっと具体的に自信を持ってイメージして、言葉にして行くのが必要なのです。

 鉾でかき混ぜ、渦を作っておいて、上にあげた時に塩がぽたぽた落ちました。それでおのころ島が出来ました。おのころ島とは、自ずから凝縮して形になる、と言う意味です。おのころ島とは淡路島のことです。
 心の接点が出来ないと駄目です。その接点が出来たら、必要なものが渦で中心に集まってきた。と言うのが国生み神話です。
 自分が一体、何を目指しているのかをはっきりと目標が確立され、心にきちっとあると、おのころ島になり、注文を付けずに自動的に形になるのです。
 一度、淡路島へ行かれたら良いです。淡路島におのころ神社があります。鳴門にも行って渦潮を見たら良いです。鳴門(なると)ですから成る所です。あの島もなかなか上手くできています。

・新しいものを生み出して行く時のやり方。
 先ず目標を作り、心の中に拠点を作る時、いつも心がそこにあり、後は手放して、きちっと行く様にするのです。日本の中にはその遺伝子があります。日本人ならそれを使えます。創造神話を持っている民族はそうそう居ません。
 ユダヤ人は持っていました。それが天地創造です。日本人も持っていました。しかし中国人は持っていない。インドにもありません。日本人はだから凄いのです。これは誰でも出来るので使って下さい。

 足運びでも良いです。目標をしっかり確立して、後は神様にお任せする。神様の仕事だから任せないと駄目です。未だ叶いませんというと叶わないことになります。
 昔、精神世界の指導者がいて弟子たちに悪い指導をしていました。その結果、キツネになってしまいました。百丈禅師の所にそのキツネが来てそこで嘆くのです。
 私は5百生、500回生まれ変わって生きてまだキツネだ。キツネから生まれ変わりたい、と言います。しかし百丈さんは、それでは抜けられない、と言ったのです。
 キツネから未だ抜けられない、抜けられないと思っていると、キツネの状態をまだだ、まだだと心に描いているのだ。と言いました。
 キツネは、分かりました。ここで頑張ります。と言った時にキツネから抜けられたのです。

 定めたら後は任せる。しかしそこが難しいのです。中途半端に能力を持っている人は難しいのです。私の様に、能力の無い、甲斐性なし、あかんたれの典型の人間だったので、私は自分を頼むところが無い。すると今度は、放生、手をぱっと放つ所では強いのです。自分の力で何かしようという気が無いので手放せる。しかし中途半端に腕のある人はその手放すのが難しいのです。

2019年3月9日土曜日

1603「天命8」2019.3.9

 天照大御神(あまてらすおおみかみ)の岩戸開きの話があります。天照は神様のくせに、鬱で引きこもりになったのです。面白いのですが日本は女性の国です。この女性原理が世界に発信されないと駄目です。今、日本の女性のレベルが世界1高いです。
 魂が高いが重たい責任を背負ってしまう。長女が特に家のものを抱えてしまうのです。魂が高いので背負う荷物が沢山あるのです。

 その象徴的なのが、天照さんが背負って岩戸に入った事です。現代的神話で女性にとって色々ありますが、神道では、生命力が無くなり沈んでしまうのか、魂の断片が自分の中に漂い、遊離してエネルギーが減る、と考えていました。
 自分の中にある都合の悪いものを抑圧して潜在意識に押し込める状態です。天照は真面目で、父の期待が大きい。伊弉諾から優等生で育てられたのですが自分の中にある気持ちを抑圧したのです。押し込めて行ったのです。それがふらふら漂い自分から出て行く。真面目で優秀ですが、女性として魅力が無い人間に育ち、生命力が無くなってしまったのです。

 魂を復活し、元に戻す作業がいります。それを「みすまる(御統)」、身に集まる、と言います。星のスバルも集まったものです。バラバラの魂を集める術法が1つあります。又、鏡を見せるのが1つです。秘法だからあまり書かれませんでした。
 自霊拝というのがあります。鏡を見るのです。その中に映る自分を神として礼拝の作法をする事です。これは自分の姿を神と礼拝するのです。

 引きこもりの神、天照が映っている。これを神として礼拝するのか?この現象の奥に本当の自分があるので、そこを礼拝しろ、というのですが、それでは復活出来ません。この今の表れている姿を否定しているからそれでは駄目です。今映っているこの姿を礼拝するのです。これが神で、大変な自分をOKしないと戻ってこないのです。
 この今を作っている自分を認め、本質を受け入れ、許して愛してくれて、それで出て行った魂が戻って来てくれるのです。
 魂の全体性を取り戻したら、天照の本質が出て来て、いのちの輝きを取り戻せる。現象を認めて、許して上げないと駄目なのです。

 今のままで良い事を生徒に教えてあげる。私は君が好きよ、と言う。それで良い。認めている事をちゃんと教える。そして自分を許せたら、他も許せることが根本的な事です。自分を許せたら他も許せ、世界も許せる。自分が輝くのが天照です。それによって世界の輝きが世界に戻りました。

・心と魂の違いは
 心は想いを形にする自動性を持つものです。「こごろ」と言い、良い形に結晶化する性能を持ったものです。
 伊弉諾、伊弉冉の国生み神話があります。高天原から下りて来ます。天から下りて来て、天の浮橋、それは天と地を結ぶエレベーターですが、そして地上に立った。
 海が心の象徴で、生み出す力を表します。性能を持ったところに鉾を下しました。強い意志を持って海をかき混ぜました。「こおろ、こおろ」、固まれ、固まれとかき混ぜました。これはイメージして描かないと駄目です。
 そして「ならす」。言葉で表現しないと、何回も神様にお願いしている内に、目指しているものがはっきりしてくる事を「ならす」と言います。


2019年3月8日金曜日

1602「天命7」2019.3.8

 私は文章を書いていますが、大学は理系でその能力は無いのです。けれど、一旦神様が御用をやれというと、その才能が入って来るのです。その文才も頂き、角川書店から4冊目の本が今度、出ますが、何故か不思議に皆さんが協力してくれるのです。ありがたいです。
 必要なものは全部引き寄せてくれるのです。能力も、チャンスも、人も全部やってくるようになります。本当にありがたいことです。枠が外れるとそれが起きるのです。

 「家賃が上がった人」の例
 ある方が家賃を倍にすると言われた。そんな事はしない様にしてください。とお願いしました。
 そしたら、そんな事出来るか。倍にするというのはお前の資格が上がったということだ。それは赤飯を炊いてお礼をしろ。自分で喜んでやっていけ、と言われたのです。
 そうしたら業績も上がったのです。そして又家賃が上がりました。その内に出て行ってくれと言われました。もう自信が出来て、どんな所にも入れると喜んで出て行った、という事です

 もう一つ。「踏み倒された人」の例です。
 商品を渡したのにその支払いのお金が入ってこないのです。そうしたら、せいぜい倒されなさい。今、そういう巡りが来ているから、と言われたのです。
 そう言って踏み倒されたら、もっと収入を上げたら良い、と考えなさい。踏み倒した人は不幸な人だから、1000円倒されて2000円入って来る。過去の事を考えずに未来の事を考える様にしていったそうです。そしたら良くなったのです。
 金光教の湯川安太郎さんは指導が上手です。大阪の金光教会で大きい働きをした方です。

質問
・目の前の人に自分が投影している。横の人、縦の神様も貴いと、どうしたら分かるのか。
 地上の私、心の私、宇宙の私。地上の私を、この範囲を自分と思っているのです。しかし心にも、宇宙にも私の意識があります。これらがいのちの本質です。
 いのちを共有しています。上では1つのいのちで一体です。地上では別々で、上に行くと一体化していきます。下の己。自己他己の己。全ての人は逆円錐の己です。投影していくとここに遺伝子があり、神全体を持っています。神の全体がここに凝縮しているのです。
 肉体、性質、限界、形に現れ存在していますが、神の能力は全部に凝縮して入っているのです。
 神道では人は霊止で、そこが霊の地上の拠点です。天から直接にこの地に関われないので霊止が必要です。全ての人が全体を凝縮し、神の遺伝子を持っているのです。

 必要に応じて出てくる空っぽ財布が良いです。空っぽですから重くないから良いです。全てのお金を入れたら重すぎて、盗まれるかと怖くなります。
 空っぽだが、必要な時に入っていたら良いです。そこまで信じてするのです。心が信じないとそう動きません。そう思ったら入って来ます。今、必要なお金が入って来るのです。
 この空っぽ財布を持てたら良いです。能力も全部ここに、力もここに凝縮して、自分があると信じないと良き働きが出来ないのです。


2019年3月7日木曜日

1601「天命6」2019.3.7

 心の身体におんぶして目的地に運んでくれることも可能です。
 そのことを私はタクシーでイメージしています。タクシーに乗って運転手に目的地を伝え、車は動きます。後は運転手に任せないと駄目です。それをとやかく言うと駄目です。すると、行き止まり、一方通行でいけない、ということになります。

 心さんはちゃんと分かっています。途中で注文を付けるから駄目なのです。最後まで心さんが何をどうするか分からないので、心さんを信用して任せる必要があります。しかしそのことが出来ないので、途中で注文を付けてしまうのです。駄目と言うと駄目になってしまします。
 心に描いたことが現実性を持っているのでそうなってしまうのです。心は難しいです。肉体は精妙に扱える様に進化して来たけど、もう一つ上の心は未だコントール出来ていないのです。だから不安になり、イライラし、不安が現実化するのです。気を付けないといけないことです。しかし凄い勉強になります。
 コントロールするのが難しい車を借りているのです。上手く使いこなせる時に天之御中主神なれる、という途中の段階です。そういう心の使い方をしましょう。

 注文を付けない話しのことで、途中で勘定はしない床屋さんの話です。
 湯川安太郎さんは明治3年生まれ、お金に苦労して最終的にはそれが入る事になり、執着しなくなった方で、金光教教師のお話しです。
 「途中の勘定はしない。」
 先生、私には借金があり1か月なんぼのお金がないと生活ができないのです。神様にお願いしてあてがってください。
 分かった途中で計算するなよ。と湯川先生方いいました。
 そして1か月黒字で行けたので感謝できました。翌月は赤字になった。勘定してお陰が無くなったのです。次月は勘定しないで良かった。翌月は勘定したら赤字になった。

 心に描かれた事が現実となるのです。神様にお願いした事だけを心に刻んでおくだけです。タクシーの運転手と同じで、途中で勘定したら駄目になる。心に描くのでそうなるのです。大丈夫だと安心が心に宿ります。ゴールを神様に告げたら後はお任せするのです。
 私が45歳で逆転出来ました。何を心に刻むか、そこを大切にしておくのです。

 自己制約が強いと想いが叶いません。自分に資格、能力が無く、身体も悪い、という自己制約があると駄目です。囲いが取れると何も考えずに動けたのに。
 私の履歴書もひどいものでした。まっとうな職歴が無いのです。あの時、でも出願しようと思った事が凄い。自己制約が無くなったのです。

 「背負いの雑貨屋さん」
 ある行商の人は一家6人でかつかつで生きていました。奥さんの里も困りはて、そこの6人も面倒を見てくれというのです。そこでどうしたものかと、湯川さんの所に相談にきたのです。そしたら湯川さんはその6人を引き取りなさい、お陰様の種を貰いなさいと言われたのです。
 そして引き取り生活したら3日目で1か月分のお金を全部使ってしまったのです。どうしましょう、と神様にお願いしました。そしたら神様に伝票を書いて出して置いたら良い、と言うので神様にお願いしておいたのです。
 その方が大晦日に泣いてやってきました。お陰様で12人が生活出来る様になりましたというのです。
 それは何故か。枠には自分が6人しかなく、かつかつで生きる能力しかないと思っていた。その自己制約の枠から外れるしかない。それが外れたので必要な時に、必要なものがちゃんと入ってくる。


2019年3月6日水曜日

1600「天命5」2019.3.6

 中国古代の名君に舜という人間がいます。孔子が舜帝のことを褒めています。舜帝は何もやっていないで、ただ南を向いて座っていただけです。だから素晴らしい政治が出来たといいます。
 だから私が言っているのはそういう事です。何もしていないが南、明るい方向を向いている。この学校が良くなる。先生たちは信用が出来て良くなる。ただ見て、坐禅している。それで周りの人が良くなる、そういうことです。
 高校生の時代かな。私の席の隣になった子は成績が良くなるのです。しかし席替えすると成績が落ちるのです。皆そうでした。ですから今日、ここに来た人は絶対得です。そのことは後で分かりますから、いつもそうなのです。福岡に住んでいるのですが、家の窓から見えるマンションにソフトバンクの松中選手が住んでいました。その年に三冠王を取ったのです。しかしそこから離れたら駄目になりました。
 私の周りにいると良くなります。不思議ですが私は良くならないのです。そういうあり方が大切です。人から褒められる事は無いのですが、周りの人が幸せになれば良いのではないかと思います。自叙伝の様な話です。

 ある時に人間の身体には3つあると言われました。古事記の冒頭に神様が3つ出て来ます。天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、そして神産巣日神(かみむすひのかみ)です。
 冒頭では人の本質は高天原からで、人間を生み出す為の設計図と、その過程を造化三神からで次に伊弉諾、伊弉冉とされています。

 天之御中主神は宇宙全体を体としています。宇宙全体が我が身で全部が身内です。私達も手が自由に動くのがそれは身内だからです。宇宙全体が身内なら自由に動かせます。最終的には人類はそこまで進化していくと思います。今は未だそこまで達していません。ですから身内はまだいう事を聞いてくれません。

 次は高御産巣日神で高次元の身で心を担います。神産巣日神が低次元の身で肉体です。この3つの身を人に持たせようという設計図を作ったのです。
 下の身が神産巣日神です。肉体に結びの機能があります。想いを形の世界に結んでくれるのです。自動性があり、手を上げようとしたら上がります。実はそれはとても難しい事で、とても沢山のプログラムが居るのですが、一気に実現してしまいます。
 形の世界に思いを生み出す能力があります。物凄く大変な事が実現する機能を低次元の肉体が持っています。それは凄い事です。肉体を自由に動かせる事は凄いです。更にスポーツ選手は精妙に動かせるのです。

 もう一つ上の身は高御産巣日神です。高次元で、その心の身は大きいです。離れたスプーンに人間の手は届かないのですが、心の手は届きます。想いで届き、スプーンが曲がるのです。スプーン曲げは心の手で届けて、心の手で曲げている事なのです。
 足、手、目、頭もあります。それを上手く使いこなす事です。それを人類のレベルで授けて下さったのです。
 乗り物の心を上手くコントールして、思いが実現出来る様に訓練し、トレーニングしていく必要があります。
 その為に、そうなんだよ、もっと人間には大きい身体もあり、肉体でないことも出来るのです。だからスプーン曲げが出来る人がいっぱい増えたのです。しかし、そういうメッセージだったのに、本当の意味が分かっていないのです。


2019年3月5日火曜日

1599「天命4」2019.3.5

 何か不思議な事に45歳の時に、福岡の友達が福岡の進学校で物理の先生を募集していると話してくれました。その時、拘り無く履歴書を送ったのです。そうしたら面接するから来てくれと連絡が来たのです。旅費を出すので来てくださいと。そして福岡往復の旅費を出してくれて、面接の前にテストをするというのです。
 その日、物理の勉強をしたことが無いのでテストは出来ないと言って、結局テストを受けずに面接だけで帰ってきました。物理は採用されたら勉強しようと思っていました。これまでやっつけ仕事でやって来ていたので、それで帰ってきました。
 もう駄目と思い、しょうがないので今の仕事をしようと思っていました。そしたら電話がかかってきた。4月から採用したいのでと言うのです。でも私は、それは嘘でしょう、と言ったのです。しかしテスト受けていないけど大丈夫と言うではありませんか。正規教諭で来てくれと言うのです。

 福岡に行くのに4月に採用するという確約書を送って来ました。そして引っ越し費用の半額を出してくれました。そしてこの高校に採用されました。しかし私は、生徒よりレベルが低いのです。その高校は東大に現役で30人から40人合格し、大概は医学部に行くのです。ですから私よりレベルが上で、知識は生徒より私は低いのです。

 授業の前の日に勉強して翌日教える。分からない事があると一晩中考え、考えて分かって学校へ行く。そうすると、生徒は頭が良いので私が考えていたそのことを質問してくるのです。そこを図解してちゃんと説明が出来るのです。それでこの教師は信用出来ると思われたのです。
 九州の気質は1回信用したら付いて行こうと言うものです。それで物凄く付いて来てくれて、集中して聞いてくれました。そして驚く事に、1年目で物理が全国1になったのです。灘高校の先生がびっくりして、どんな教え方をしているのかと言われました。私が就職して1年目ですよ。
 そこで一機に生徒、保護者、先生方の信用を得て、一挙にこれは私にぴったりの場を与えられた、この場で後30年位いれば良いかなと思いました。そしてやってきました。

 学校の総務部長が病気で倒れて私が臨時でやってくれという事で、やりました。そうしたら評判が良かったのです。人間関係は全然駄目で、教える事は出来たのですが、そういうこと、人間関係も苦労してやっているうちに信用が出来てきて、翌年は総務部長にしてもらいました。
 総務部長を7年間して定年までもう少しの時に、終わりまでの覚悟を決めていたら、校長から教頭をやってくれと言われたのです。取り立てて何が出来るわけでもないが、あなたが居ると落ち着くと言われました。
 その時は学内の派閥でギャーギャーしていた時でした。校長からは、だから何もしなくて良いので、ただ椅子に座っていてくれたら良い、と言われました。それで教頭になったのです。そして言われた様に何もしませんでした。いつも5時に帰っていました。こんな教頭はどこにもいません。普通は最後まで学校に残っているのが教頭ですが、私はそんな事をしたら身体が持たないので、ホオポノポノをして帰っていました。

 ですから私は何もやっていない。しかし教頭に在籍している時に、学校が九州1の進学校になったのです。そして不祥事が一切無かったのです。しかし、それが私がいるせいだが誰も気づいていないのです。
 私は何もしないけど、居るだけで周りが良くなり、幸せになって行く、その生き方があるのです。是非、真似して下さい。

2019年3月4日月曜日

1598「天命3」2019.3.4

 若い頃は辛かった。でも殻を破ったら、必要なものが、必要な時に出て来て、才能も出て来るのです。そこから順調に出て来るのです。ですから1回は殻を破る必要があります。
 私は42歳であらゆる面で行き詰りました。経済でもです。既に高度成長経済もなくなり、先を見通してこんなことでやって行けるのか?このままでは多分駄目だろう。
 精神的にも、42歳にもなって偉そうに21世紀の指導理念を作ると言っていたのですが、何も達成していない。全く分かっていない。そして何の意味も無い。そんな状態です。
 どうしようもなく、ある時、家族旅行で伊勢神宮へ行きました。内宮様の前でお祈りをして、このまま人生送っても意味が無いので自分の為でなく、神様の為に何かお役割があったらやらせて下さい。無かったらいのちを取って下さい。とお願いした。そう言うのがコツです。

 そうしたら神様はズトーンと柱を立てて、自分の周りに柱が立ったのです。イキイキした神社には、神前に柱があり、上昇、下降の気流が交流しているのです。気持ちが良く流れています。その時に開放感がありました。閉ざされていたものが取れ、いのちの行き詰まり、息詰まりが取れ、楽に呼吸が出来る様な感じがしました。
 その時、何か言葉が聞こえたりしたのでなく、何かそんな体験をしたのですが、究極的な体験でした。私は禅をしていたので悟り体験はいっぱいしていたが、それは根源的に違うものです。根本的体験の気がしました。その時に私の役割を貰ったという事ではないです。

 伊勢に行った時に、人によっては「かむち」に成れと言われた人がいました。「かむち」とは鍛冶屋さんの事で、その時は分からず後で調べて鉄工所を始めたらしいです。そしてやがて国会議員にもなり成功した人もいますが、人によって言葉で聞ける人もいますが、私の場合は言葉で聞けた訳で無いのです。

 そしてある時に夢を見ました。「火が来るけれど、その火は君を使うけど良いか。」と来たのです。火は何か分からないのですが、それは霊的エネルギーの様でした。私はそれにOKをして、分かりましたと言ったのです。その夢でのことを分かっていました。
 次の日に昼寝をしていると、その頃は週に3日位しか働いていなかったので昼寝が出来たのです。意識が集まって来て、ヒューと上がって天に届いて、ストーンと小包が届いたのです。何かと思って開けてみたら圧縮フイルムで、そこから言葉がどんどん出て来るのです。
 それをメモ帳に書いて行ったら、1週間で400字詰め原稿用紙300枚になったのです。もっと沢山あるのですが取り敢えず、300枚に成ったのでどうするか、と考えたのです。読んだら格好いいのです。自分の頭から出たものでないけれどどうしたら良いか、と出版社に送ったのです。すると直ぐに出版しますと連絡が来たのです。

 それが出版され、小包から4冊の本が出版されました。その出版社は今は無くなっています。1冊4万円とかになっている様です。42歳から43歳の頃でお金も少し入って来ましたが、経済的には暗黒が続いていました。

 辛かったのは妻の関わりでした。この人は頭がおかしくなったと思い、どうしたら良いのか、思っているのです。辛くなってきました。これは縁で、これ以外に変われない。別れて妻の実家の福岡に帰ってくれて良い、と言ったのですが未だ続いています。そういうひどい時期があった。
 妻は私を否定していました。まともな仕事では無く、ヤクザだと。人間はきちんとした仕事について子供を育てるものだと言います。それは当然です。そんなまともな人が私の傍に居たから良かったのです。

2019年3月3日日曜日

1597「天命2」2019.3.3

 私は42歳から45歳の間を境に大きく変わりました。
 42歳の前までは不幸せ状態です。それは、貧しい、寂しい、虚しい、と言う状態です。
しかし45歳以降は、幸せな状態で、豊か、賑やか、生きがい、の人生になったのです。
 不幸せはこの3つで集約されますが、貧しいのは経済のこともありますが、心が貧しいのです。世界と繋がっていない、自分として小さい存在で、いのちが貧しい状態なのです。
寂しいも、みんなとぜんぜん離れているのです。虚しいは、何処にも所属しない、何も生産していない、そんな虚しさです。

 そんな状態から変換出来るヒントをお知らせ出来たら良いなと思います。
 いのちに囲いがあるのでは無く、いのちが流通しているのです。それは一体感のある人生で、そこから進化して、皆、自分と分かってきたのです。
 「自己他己」と言います。自分を現わしている己と、他として現れている己と、道元さんが言っています。これに近づくと幸せになってくるのです。

 ※この「他己」というのは、道元が多用する言葉である。他の存在について言い表すにあたって、他の存在と自己の存在とが切り離され対立したものではなく、つながり合って密接な相関関係にあるということを示すために、「他」に「己」という字をつけて「他己」とするのである。この場合の「他己」とは、人に限らず山川草木などすべての存在者をさす。

 何故貧しいか。それは閉じ籠っているからです。それでは水は流れてこないし、お金も流れてこないのです。自分の周りに囲いがあるから入らないのです。必要があれば入るのに、今、囲いを持っているので、恐怖心があるので入らないのです。

 本来これからの時代は必要な時に、必要な所に入って来るのです。何も自分の手元にお金が無くても、必要な時に入って来る時代になるのです。そう作らないと駄目です。格差は恐怖心が作っています。それを無くするのです。

 豊かさ、はそういうもの、囲いや恐怖が無いのです。私はお金が無いです。本を書いてもお金が入ってこないし、しあわせ通信もお金は入りません。その中で豊かさを実証していきたいと思います。

 今は賑やか、です。昔は私ひとりで誰も来てくれませんでした。私が気づいたことを本に書いて、共鳴してくれる人がこうして集まって来てくれて、とても賑やかになりました。
 生きがい。昔は虚しいことを味わいましたが、今は神様の思し召しをやっている、その流れを実感出来ています。それを惟神(かんながら)と言います。全ての人に神様の流れが来ているのです。皆、それに乗って生きられます。私はそれに乗って楽しく生きています。それに乗ると全てが自動ドアで、全く楽に生きられるのです。

 しかし何故それが分からないのか。囲いがあるから感じられないのです。流れのままに、その通りに歩いて行ったら楽に生きられるのですが、間違っている人がいます。思し召しの流れに逆らい、我欲を出して、なかなかしんどく、違う方に流されています。そしてしんどい生き方になるのです。

 囲いを外す生き方をすると良いです。
 どうして外すのか。坐禅をすることも1つです。坐禅をすると内側から外れ、ほどけます。学びに成ります。しかしそれをしない人は外から壊されるのです。逆境が来て、囲いを破らないとならなくなるのです。会社が倒産したり、自分が手放すしかない状態になって、それを体験するのです。
 逆境で悟ったと言う人がいます。各分野の達人たちは本能的に逆境を招き寄せる人がいるのです。

2019年3月2日土曜日

1596「天命1」2019.3.2

 立花大敬さんとのご縁はかれこれ20年前で、トータルヘルスデザインの近藤社主の紹介です。天命塾の名付けの親が立花大敬さんで、仙台天命塾の第2回講演会は立花大敬さんでした。私にとっての大事な師であります。昨年11月25日に仙台で講演会がありましたが残念ながら私は参加出来ませんでした。その時の記録を仲間のS様から頂けました。素晴らしい内容ですので紹介します。

 「私は45歳まで惨めな人生を送ってきましたが、その後に突然変換して今は本当に幸せな人生を送っています。そういう若い頃にうだつが上がらない人でも私の様な例があるよ、と言う事でお話しをしたいと思います。
 先ず自分が辿って来た道を話したら良いかな。
 昭和23年に生まれました。戦争が終わって直ぐの時代です。その前の世代では大阪の焼け野原を見たのですが、私の時代は草原の時代でした。生駒の山まで家が無く、草原だったのです。そういう所から出発しています。
 大阪大学に入った時は大学紛争でした。その前に高校でも高校紛争がありました。大学紛争の事を知っている人はここにはあまりいないと思いますが、真剣に議論したりしていました。機動隊とぶつかったりしていましたが、仲間の1人がそれで死んでいます。羽田闘争で機動隊にぶつかってY君が亡くなったのです。
 佐世保闘争では、原子力空母エンタープライズ入港に反対して学生たちが米軍基地への橋の攻防で突撃しました。機動隊が放つ催涙ガスが入った水をホースで浴びると目が痛いのです。女子学生がレモンを切って目に入れると中和して痛みが無くなるのです。それで回復して又突撃をして行くというのです。
 高校の友達A君が川を渡りフェンスを乗り越えて基地に入ったのですが逮捕されてしまいました。彼は京大だったのですが退学になり、その後も公安が付いてまわり、就職が出来ずに北海道に行きました。そこの農園の人の紹介で山梨のブドウ園に世話になることになりました。そこで新しいぶどうの品種を開発して活躍したのです。葡萄酒の元になるものです。こういう人生もあるのだなと思いました。なかなか面白い人生もあるなと。

 大学紛争の中で彼らを見ていて私は違うと思っていました。あれは同じ土俵の上での戦いで、勢力争いだと思いました。1970年でしたが、新しい次元で見ないと駄目で、それでは新しい方向性で無いのではないかと思ったのです。
 それは何かという思いを抱き、何処へ行ったらヒントを得られるのかと思っていました。それで禅の修行に出逢ったのです。
 19歳の時でした。禅をやっていて直ぐに霊的体験をしました。ある意味で凄い体験をしてしまったのです。しかしそこには解釈の間違いがあったのですが。「この世は、夢で幻想にすぎない。」と思いました。そして「この世で生きていても仕方が無い。」と思ったのです。
 大学で研究していたのですがやる気が無くなり、就職もでもしかで先生しかできず、それも3年で辞めてしまい、結局お寺に入ったのです。しかしお寺に入っていて、ここでは21世紀の理念は出てこないと絶望して、そこも出てしまいました。
 何処にも所属しない人間は不安です。でもそのままに所属しないでやって行こうと決めました。そうして禅の修行をして、45歳までアルバイト、家庭教師、学校の非常勤講師、塾教師をしてふらふらして生きていました。
 男としては辛いです。皆、凄く出世していました。私だけ無職で、辛い思いを45歳までしてきました。そんな人生も必要だったとやがて思ったのです。しかし機動隊とやり合っていた彼らは、就職するとガラッと変わり、企業戦士に変わっていっていました。

2019年3月1日金曜日

1595「極上6」2019,3,1

 皆さんの宣言が終わりました。いよいよ交流会、昼食です。テーブルを設置して配膳して自由席で座ります。初参加の方はお導師に近い席です。先ずは皆さんで乾杯です。天命塾の恒例の乾杯の音頭は初めての方もいますので、本家本元のお導師にお願いしました。
「人に後ろ指をさされる事を恐れる事なく、これからも犯すであろう我々の数々の過ちに乾杯!」
 許されてある幸せです。



 次に料理を担当して下さったT,Nさんから料理の説明をしてくださいましたが、菜食で動物性が無い手作りのスペシャル弁当とその他の料理ですが皆さん美味しいと好評です。彼女は玄米自然食の「あかりんち」料理教室を宇都宮市内で開講しています。

 ホームページから紹介します。https://cookpad.do/owners/10303
伝統食からカフェ風スローフードまで、ほっこり楽しい料理
【コンセプト】 
毎日食べるもので体はできています。 料理不得意、忙しくても大丈夫。少ない調味料で驚くほど美味しい健康料理、家族も喜ぶ笑顔の食卓になります。 
そして・・・ 生活そのものが楽しくなるお料理教室です。
【先生】 T,N
玄米自然食『Akari Cafe』を経て、現在は『家族が喜ぶ!世にも楽しい玄米自然食料理教室』開催中
[経歴] 
自然食を学び、 独自のアレンジを重ね、ごく一般的な普通の方が美味しいと思え、また食べたくなるような食事を提供できる自然食カフェを目指して「Akari Cafe」をオープン。 
一般の方達に受け入れられるだろうか、と不安でしたが、 結果幅の広い層の方々に喜んで頂けました。 まだまだ無限大にレシピが湧いてきます。 
これからは、驚くほどに簡単で、美味しい健康的なお料理を ご家庭でもお作りいただけるお手伝いをさせて頂けたらと思い お教室を開設させて頂きます。 
皆様との一期一会。 美味しくて、にっこり。 心まで、ほっこり温まる時間 を楽しみに、お教室でお待ちしています。



 お導師がいつも用意して下さる地元のにごり酒も飲み干し、お酒が足りなくなり追加で日本酒とビールを買いに行くほどに、皆さん大いに歓談、盛り上がり交流を深める事が出来ました。初めての方も打ち解けて良い感じです。宇都宮の始めての方々も情報交換できて何か善きご縁がスタートする感じです。




 お導師を中心に皆さんが気兼ねなく集える場がある事はありがたい事です。私もお導師と奥様に改めてお話をしました。自分の思い込みですが、お導師には爽やかに、軽やかに悠々と思い残すことなく天界に行かれることを願っています。まだ、まだ用意は出来ていませんので、もう一つ足腰を鍛えて飛躍の機会をしっかり定めて頂ける様に、とお伝えしました。激励というか、苦言を呈しましたが、涙を浮かべて喜んでおられました。真面目な引きこもりは頂けません。次回、来年も新年信念会を引導下さることを強くお願いしました。お導師も再生して元気にきっと開催出来る事でしょう。

 次々とお導師の所に皆さんが集まり、女性の皆さまがお導師の身体に触れてエネルギーをしっかり注いでくださっています。するとだんだんに晴れ晴れしてきて顔にも張り、艶が出て来ました。嬉しいことです。お導師には色気が妙薬の様です。何しろ天性の持て男で楽しく生きて来ているので、女性のエネルギーは必須です。嬉しいそうに笑う、笑顔が素敵です。


 時間はあっという間に過ぎ16時を過ぎてしましました。片付けをして最後は皆さんと集合写真です。大輪の花が鮮やかに笑顔で咲きました。



 生老病死はこの次元の定めですが、この肉体を如何に旅立つか。PPKの大先達にはしっかりそこを生き抜いて、極上の教えをお示し頂きたい願いです。

 お導師の紹介です。
杉浦 清始 
 昭和12年生まれ。大卒後、証券会社勤務を経て、仏門に飛び込む。全国各地で互師互弟(ごしごてい)の姿勢で学びあい、魂を高めあいながら、現在は宗教の枠を超えた「宇宙僧」として、栃木県小山市に庵を構える。
 平成15年にガン(悪性リンパ腫)を発病するが自らの気づきと多くの方々からの愛により治癒、ガンが消滅。「自分で自分を自分する。今に生きる自分道」をモットーに自分自身イキイキと生き、悩んでいる人や苦しんでいる人に手を差し伸べるにとどまらず、自らが人と直接関わることでその人一人ひとりが持っている宇宙エネルギーを湧き上がらせる、自己実現への道標 「楽生面授」を実施。
 (株)トータルヘルスデザイン近藤洋一会長とともに「人生の終盤を、輝いて生き、輝いてあの世に還っていく」ことをテーマに、“イキイキワクワク人生の総仕上げサポート、「チャレンジPPK(ピンピン倶楽部)」を展開。「イキワク会主宰」。「あ・お・う会主宰」。
 著書:「ワクワクイキイキ生きるヒント」「頭は使うな心に聞け!」(日新報道)
「ガンから生還した僧侶」(長崎出版)